アコライト・ソフィア 5
ソフィア達の前に顕われたのは…
「完全じゃないって? どうして?」
「それはね…」
ソフィアは二人に振り向くと微笑んで言った。
「ここは村の墓地でしょ? ここにはいろんな人が永眠っているわ」
二人は黙って頷いた。
「その中には自分の家族や子供達を心配している想いもあるの。だから『完全』には浄化しないし、できないのよ」
二人は神妙な面持ちで墓場をじぃっと見つめている。
「さ、行くわよ」
「うん」
二人は墓場に向かって、ぺこりと頭を下げると手を繋いでソフィアの後を追った。
そして二人を見送るようにゆっくりと木の枝が揺れていた。
10.沼の住民
昼過ぎというのに沼は靄を漂わせて音もなく佇んでいる。その靄には僅かながらも瘴気が感じられた。水面に所々に浮かぶ浮島の草も生気がない。
沼の畔、朽ち果てようとしている桟橋でソフィアは辺りを見渡している。
「なにかしら? あの柱は?」
微かに靄の向こうに黒い柱が立っているように見えた。
『☆なんや、えらい雰囲気持ったモンやな』
『★枯れ木では、なさそうやで』
「枯れ木じゃない。俺達が子供の頃から立ってるよ。しっかし、誰が道標を弄ったんだ? 直しながら来たから、こんな時間になったじゃないか…まったく、旅人の子供の悪戯かな。おじじと明日にでも直さないと…」
(ふふっ…もう大人のつもりなのね)
精一杯に気張っているギゼルの言葉が可笑しくてソフィアはくすりと笑った。
「何がおかしい?」 ギゼルは憮然としてソフィアを睨んだ。
「いえいえ。それにしても、この沼は深そうね」
ソフィアは水面に視線を移して底を探した。
「ここは底無し沼だよ。少し先に行くと…あの辺りから急に深くなっているんだ」
「ギゼルは溺れた事が在るもんね。よく知ってるのよ」
「うるさいぞ」
事実らしく、ミクラに毒づくギゼルの態度がソフィアの盗み笑いを誘う。
「こらこら。喧嘩しないの」
ミクラはささっとソフィアの影に隠れると、ギゼルに向かって、舌を出した。
「ここは? 涸れ川みたいだけど…」
ソフィアが指差すところには砂と砂利が森の中まで続いていた。
「おじじの話だと、教会の霊泉の水が流れていた所らしいけど」
「そう。霊泉の…かなり質のいい霊泉だったのね」
老人が子供の頃に涸れてなお、未だに草が生えてこないということが質を、そして涸れ川の幅がかなりの水量が霊泉から湧いていたらしい事を顕していた。
「さて…と、そんな霊泉が流れついていたとすれば…この沼はけっこう耐えられるわね」
ソフィアはこの沼全体を思い描いて必要な法力を考えた。
「じゃ、始めるからちょっと下がっててね」 下がったギゼルの後ろにミクラは隠れた。
(仲直りしてきたわね)
二人の位置を確認し、くすりと笑ってから、ソフィアは目を閉じ瞑想する。そして杖を両手で水平に持ち、両の掌を合わせた。
「…はぁあぁぁぁっ!」
ソフィアが口の中でなにかしらの呪文を唱え、ゆっくりと掌を離していくと間に虹色の光の球、宝珠ができていく。
肩幅ほどの大きさになった虹色の宝珠をゆっくりと手で縮めていった。
「ふぅうぅぅ!」
両手で隠れるほどの大きさに宝珠が縮まるとソフィアは次の呪文を唱え始める。
「光よ。全ての力を聖なる力とし、邪悪と闇を退け、その力を顕し賜え。ラ・レイ・レム・ギ・ピュア・リィ」
虹色の宝珠は輝きを増すとソフィアの手を離れ、水の中に消えていった。
「終わったの?」 ギゼルとミクラは宝珠が消えていったあたりを見つめながら聞いた。
「終わったわ。正確には始まった、だけどね」
「始まった?」
「そう。さっきのは浄化の力を…霊精で固めた宝珠の中に入れたものなの。そして、これから暫くはこの池を浄化し続けるの」
「さっきみたいに、一気に片付かないのか?」
「駄目よ。そういう事すると池の水が蒸発して無くなっちゃうわ」
「そんなに凄い魔法なんだ?」
「そうよ。魔法はね、使い方を間違えたら大変な事になるのよ」
「そう。確かに大変な事になる」 不意に靄の向こうから声がした。
『★誰や?』
水草の向こうの靄の中に姿が影絵となって、ぼんやりと浮かぶ。続けて声が響いた。怒りのこもった声で。
「どういうつもりじゃ? こんなものを私達の世界に放り込んで?」
影の手には先程、水の中に消えていった虹色の宝珠が握られているのが見える。宝珠の光に照らされた手は…黒みがかった緑。だか、ほっそりとした腕と細く長い指の形は美しい。その指先の爪が鋭く、長くなければ…
「お気に召さなかったようですね。ニクシーさん」 ソフィアはにっこりと微笑んで応えた。
「ニクシー? こいつが?」 ギゼルは影を指差して叫んだ。
「こいつとは御挨拶だね」
指差された影は歩み出、靄の中から今、はっきりと姿を顕した。その姿は半透明の薄い衣を纏った美しく若い娘。さらに後ろに従うのは数名の美しい女性達。その手に握られた三叉鎗が荘厳さを奏でている。
「いや。そんなはずは。だって、俺が前に見たのは…」
「こんな姿じゃろう?」
娘達の後ろから、魚そのものの顔をした鱗だらけの体の亜人間、半魚人がひね曲がった木の杖をもって顕れた。
11.亜人類ニクシー
「きゃあぁぁ!」
悲鳴を上げ立ちつくすミクラ。ギゼルは鉈を構えて、半魚人を睨みつける。
水の中から別の半魚人達が次々と顕れ、ソフィア達を遠巻きに取り囲む。
「何々? なんなのよ〜」
「俺、俺達をど、どうする気だ?」
怯えるミクラを背に凄むギゼルの声も恐怖で震えている。
「この魔宝珠は何なんだい? この前みたいな毒仕込みじゃあないだろうね?」
宝珠をソフィア達につき出して聞く娘の目に浮かぶ、あからさまな敵意。
「違いますわ。それにしても…」 相変らずソフィアはにこにこしている。
「それにしても? 何だい?」 娘と半魚人達は身構えた。
「ニクシーさん達って性差が激しいって聞いてましたけど、本当なんですね」
こける半魚人。いや、ソフィア以外の全員が脱力感に襲われ、こけていた。
「今は、そういう状況じゃないだろう?」
ギゼルとニクシーの娘はハモりながらソフィアに叫んだ。
「あら、そうだったの?」 ソフィアはきょとんとしている。
「どういう状況だと思ってたの?」 ミクラは尋ねた。
「…どうって…単なるお出迎えでしょ? ニクシーさん達の」
再びソフィア以外の全員が脱力感に襲われた。
「そこまで怖がらないとは…貴女、私達を知ってるの?」
「御逢いするのは初めてですわ」
「その割には無気味なまでに落ち着いてるけど?」
『◎…ソフィアはワタシと逢ってるもん』
ソフィアの襟元からひょこっと出たウェンディを見て杖を持った半魚人は合点が行ったような面持ちとなって頷いた。
「ほほう。水の精霊とお逢いした事がお在りか」
「爺。あれは人形だぞ?」 娘は振り返って尋ねる。
「いえいえ、姫様。あれは精霊のミダル。水の精霊の移し身ですじゃで」
「ミダル? この者がそれ程の法力を持っているのか?」
ソフィアを振り返り見る姫の目には、まだ不審の色が浮かんでいる。
「では、この魔宝珠に封印したのは?」
ずいっと虹色の宝珠をソフィアの方に突き出して姫は尋ねた。
「浄化です。正確には過剰浄化。ギガピュアリィと言った方が判りやすいかしら?」
「過剰浄化? …と言うことは」
「姫様っ! お手を放しなされ」
ひったくるようにして半魚人の爺は姫の手から宝珠を奪い取った。
「これで、一安心…ではない! 誰か腐苔を持て!」
爺の後ろに顕れた半漁人から干からびた水苔っぽい塊を受け取り、宝珠を包むようにして持ち変えた。
「うぅぅむ。間違いなく浄化の法力が宿っておる」
爺は水苔を見つめて呟いた。
宝珠を包む水苔はすくんだ灰緑色から鮮やかな青緑色に変わっていく。
「幾多の瘴気を吸い込み腐苔となった千年苔が甦りおった…。あのまま姫様が持ち続けていたらどうなっていた事やら…」
「どうなっていたのじゃ?」 姫は持っていた手を摩りながら不安げに爺に尋ねた。
「どうにもなりませんわ」 ソフィアは微笑みながら言った。
「嘘を言うなっ! あれほどの法力ならば、何らかの影響が在るはずじゃ!」
爺は姫の前に出てソフィアを睨んだ。
「そうですねぇ…ニクシーさん達は魔法に対する耐性が人間よりは遥かに御在りですから…ちょっと若返る程度ですね」
「若返る?」 姫は持っていた手を見つめた。
黒味がかった青だった指が、透き通るような緑がかった青に変っていた。
「おぉ!」 「瘴気で御病みになられていた手が!」
「瘴気の毒素が消えている!」
半魚人達はどよめき、ソフィアの法力を、威力を理解した。
「私の浄化は他の人より強力ですから」 自慢げに言うソフィア。
「凄まじき法力の持ち主…」
半魚人達は苔を見、姫の手を見てソフィアを睨む。その目に浮かぶのは…何故か狂気の色。
「この者を贄とすれば… 我らが神が…」
読んで下さりありがとうございます。
これは光と闇の挿話集 長編の1作目になります。
5/30話目です。
感想などいただけると有り難いです