アコライト・ソフィア26
悪しき穢れた手段で神が甦る…
49.甦生
足に灰色の塊を掴んだ蝙蝠が沼の黒い柱を目差して飛んでいく。
空の満月が沼の霧を白く輝かせ、黒い柱、ヒュドラの牙を照らし漆黒さを際立たせている。風も無く音も無い深夜。ただ、蝙蝠の羽ばたきだけが空気を震わせていた。
突然、西の岩山の中腹あたりの岩壁が爆発し、その爆煙の中からソフィアが姿を顕した。
「げほっ、げほっ。なんだ、最後の壁って薄かったのね」
『★…それでも厚さは2mは在ったで』
『○しかし、ソフィアの掘削速度は早いな』
穴はソフィア達には小さく、掘削しながら進んできたのである。
『☆掘削って、ただ岩を杖で叩き壊してるだけやんか』
「いいじゃない。それより此処は?」
『◎…あそこにヒュドラの牙が見えるよ』
「…え? あ、本当だ。…ん?」
牙を目差して羽ばたく蝙蝠が月明かりに照らされた霧を背景に浮き上がって見える。
「見つけたっ! 行くわよ。みんな!」
ソフィア達は即座に空を飛び、蝙蝠を追いかける。素早く飛べない蝙蝠に追いつくのはすぐかと思えたが、遥かに離れた距離は如何ともし難く、追付いたのはヒュドラの牙だった。やっとの思いで辿り着いた蝙蝠はデオレマへと姿を変え、牙の上に腰掛け、ソフィアを睨み待っていた。
『くっくっ…やっと来よったか…』
「…負け惜しみかしら?」
ソフィアは空中に停まり、デオレマを睨み返した。
『★何か考えとるん?』
確かに未だ何かあるのかもしれないという疑念がソフィアを止まらせた。
『…いやいや、ヒュドラの復活には、是非とも御主に同席して欲しかったのだよ』
「御断り致しますわ」
ソフィアは杖を両手で握り念を練り始めた。全身から淡く光が輝き出し、水晶の装飾の品々が虹色に輝き出す。まだ動かない右肩では在ったが、その先の右手の握りは力強かった。
「…覚悟はよろしいかしら?」
杖を右手に預け、左手をデオレマに向けて半身に構え、掌に念を集め始めた。
『くっくっくっ…魂の塊をこの牙に吸わせるだけで儀式が終る。そこで見ているがいい…』
デオレマの左手に握られた灰色の魂の塊。
「断った筈よ!」
ソフィアの左手から放たれた虹色の宝珠が灰色の塊を吸い込んだ。
『おぅっ!』
「それでもう、どうする事もできないでしょう? 特別に浄化の術を多めにかけましたから先程のようには解除できませんわ。その魂は貴方を倒した後、丁寧に祓わせていただきます」
魂の塊は歪空間結界の中に閉ざされた。浄化の光の中に…
『くっくっくっ…かっかっかっ…はぁはっはっはっはははははは…』
虹色の宝珠を握り締める手から白煙を上げて、デオレマは狂ったように笑い出した。
『☆…なんや?』
『○死期を覚ったんかな?』
『…これを、この状態を待って居たのだ』
「何ですって?」
『くっくっくっ…さっき確信したのじゃよ。今まで魂をこの牙に吸い込ませようとしてきたが、うまくいかん。せいぜい草木の魂を削りとって与えた時だけ、この牙は活性化した。他の魂を吸い込ませた時は吸い込んだ分だけ瘴気を発するだけじゃった。悩み続け…その杖を見た時に鍵が見えた』
「…この杖を見た時?」
それは多分、ノランが持って行った時。
『その杖が纏う光は神気そのもの。リッチとなったこの身には毒。だがヒュドラには? ヒュドラとて神獣の端くれ。しかも神界で生れながらも獄界との狭間で彷徨う神獣。竜如きよりも遥かに神に近い。ならば吸い込ませる魂は神気でなければならん…のではないかとな』
「神気? …え?」
『つまり、これじゃよ。浄化の結界に包まれた魂。これこそがヒュドラを復活させるマナ。神々への贄。このワシを神界へと導く道標』
「…何ですって!」
しかし、その宝珠の中はデオレマが穢れた手段で集めた魂。怨み、呪いが混沌となった穢れた魂の塊。
幾ら浄化の術で包んでいるとはいえ…神獣への贄としては剰りにも穢れている。
穢れすぎている。
『…見ているがいい』
デオレマは虹色の宝珠をゆっくりと牙へ近づけると、ヒュドラの牙は宝珠を砂に水が染み込むかの様にすうぅっと呑み込んだ。
「…まさか!」
『くっくっくっ…ほれヒュドラが復活するぞ…くっくっくっくっくっ』
ヒュドラの牙に亀裂が走る。中から揺らぐような光が漏れ始め…
突然! 数本の触手が弾きでた。
「きゃあ!」
辛うじて触手から逃れたソフィアを別な場所から弾けでた触手が襲う。
「…くっ」
数本の触手がソフィアの法力に引かれるのか、デオレマを襲う事なくソフィアだけに襲いかかる。誤った手段での召還を…それを見過ごしたことを咎めるかのように…狂ったかのように襲い来る触手。見る間に牙の亀裂から、いや牙全体から無数の触手が弾け出て来た。
『ぐっぐっぐっ…やはり、魂が足りんようじゃの…では』
デオレマは片手を森に向けて呪文を唱え始めた。
「くっ…そんな事は…あぅっ!」
襲い来る蠢く触手から身を護るだけで精一杯になったソフィアはデオレマを阻む事ができない。
『…ノワーディ・ボア・レム』
掌からでたのは無数の黒蛇喰焔。黒い焔の蛇達は空を飛び、森に襲いかかると樹を食い散らし燃やしていく。
「…くっ…しまったっ」
ソフィアが森の方へ近づこうとした時、背後から触手がソフィアを襲った。
「きゃあぁぁぁぁぁ」
触手は容赦なくソフィアを沼の浮島へと叩きつける。
「…ぐっ…うぅむぅぅぅ…」
頭を打たれ、法力を奪われ、消えかけようとする意識を繋ぎ止めるだけで精一杯のソフィアにデオレマの歓喜の声が絶望を告げる。
『ぐっぐっぐっ…そこで森が燃え尽きるのを眺めているがいい…くっくっくっ』
「…う…くぅっ…うぅぅ…そんな…」
ソフィアは朦朧とした意識の中で森に向かって呪文を唱えようとしたが、立ち上る事もできなかった。
50.約束
焔蛇は樹を喰いつくすと次の樹へと移り、燃やしていく。その焔から発せられる生気を貪らんと空中で蠢き打ち震える触手。やがて牙が…ばぎぃんという鈍い音を立てて割れ裂け、中から無気味な本体が姿を顕した。
「あぁぁぁ…こんな事が…」
朦朧とした意識の中で誰かが話しかけた。
《ソフィア、負けたと思った時が負けだぞ》
「…負けたと思った時? 父ちゃん?」
《…負けたのか?》
「…負けて…無い…」
《だったら、立ち上がって…》
「立ち上る…」
両手に力を込めて身体を起こそうとするが、がくんと力が抜けて草の中に突っ伏してしまう。
「…あかん…立ち上がれん」
《立ち上がれんかったら…負けだぞ》
「うぅっくっ…」
再び立ち上ろうとするソフィアの目に信じられない光景が映った。
焔蛇が呻き声を上げてぼたぼたと地面に落ちていく。
「…え?」
『…なにぃ? どうしたというのだ?』
驚くデオレマとソフィア。
ソフィアの目に映ったのは…樹の上で焔蛇達を百竈の樹の槍で叩き落とし戦うキーファの姿。既に幾つかの火傷を負いながらも懸命に戦う姿。よく見れば…キーファの全身と周りの樹々の葉に…全ての葉に飾られた七星と文呪紋様の護符。
聖痕紋様の護符が湖畔の全ての樹の全ての葉に飾られていた。
一枚一枚の護術力は小さくてもそれが集まった事で、護符の葉を大量に食べた事で焔蛇が退けられたのである。樹々の命を取り込めなくなったヒュドラは触手を絡ませ身悶え始めた。
(樹が…そんなに護符を纏ったら樹が枯れる。キーファ、貴女が幾ら精霊だとしても無事には済まない…いや…湖畔の樹が自らの命を犠牲にして…後ろの樹々を…森を護っている? …自己犠牲なん……やな)
こちらに気づき見つめるキーファの瞳に宿る光。その光が、煌めきが湖畔の樹々の覚悟がソフィアにある決心をさせた。
「…あの子ったら…加減をわきまえへんのやから…」
くすりと笑うソフィアの目に桟橋近くの岸に上がるヌーラ姫とネゼ、そしてノラン達の姿が映った。
「…無事やったんやな。よかったぁ」
ふっと力が抜け、何故か…ソフィアの口調が変り、ふらりと立ち上った。
何かを覚悟したかのような澄んだ瞳。
ぞっとするまでの美しさを浮かべて。
『★…う、あ…ソフィア、大丈夫か?』
気絶していた人形達が起き出した。
「…大丈夫や。アンタ達は?」
『☆…大丈夫やで』
『○…ソフィア言葉が…変ってるで』
「うん? そぉかぁ?」
『◎…そだよ…始末つける?』
ソフィアが言葉使いを変えた時、それはキレた時。
その時の口癖が『始末』だった。
《ソフィア…自分の始末はちゃんと自分でつけんとあかんよ…母ちゃんと約束や》
「そやな…始末つけよう…」
『★☆○◎おっしゃあ!』
ふらつきながらも人形達を拾い上げるソフィア。そして、左手の上に人形達を集めた。
『★ソフィア? どうしたん?』
「みんな、ありがとな…今まで…」
『☆ソフィア? 何言うてるん?』
「…ここで、さよならや…」
『○いややなぁ…そんな冗談…』
ひゅんという乾いた音と共に人形達を歪空間結界が包んだ。
『◎…ソフィア? どしたの? ねぇ?』
中から結界の壁を叩きながら人形達が叫んでいる。
「あのヒュドラを甦らせたんはウチやから、ウチが倒さんとあかんねん…それに、神獣の中でも神界で生まれ落ちた神獣やから…神さんに近いんやから並みの方法では倒せへんから…せやから…堪忍。ここでお別れや…」
『☆認めん! アタシはそんなん認めんから』
『◎ソフィア。みんなで倒そう。なぁ?』
「ありがと…ガスティ・ウィン」
風に吹き飛ばされて人形達を包んだ虹色の宝珠は桟橋近くへと飛ばされ、脆く割れた。
読んで下さりありがとうございます。
これは光と闇の挿話集 長編の1作目になります。
26/30話目です。
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