小太郎・・・4
そんなどうしようもない小太郎が、家に来たのは八年前。買うつもりはなく、たださみしさを紛らわすためにのぞきに行ったペットショップに、彼はいた。
一緒にゲージの中にいた女の子の方が元気で、しきりに「あそぼー」と言っていたのだが、当の小太郎はその子に踏みつけられながら、お昼寝を続けていた。全く愛想のない犬だった。しかし、弟が彼に惚れ込んだのである。しかも、生命保障まで付けて。そして、元気で大きく強い、いい子に育つようにと。母が彼に「小太郎」と名付けた。
そして、彼はみんなの愛情を一身に受け止めて、その応えとして、元気にどんどん大きくなり、一般的に知られているポメラニアンの四倍くらいの大きさになった。もちろん、太ったということではなく、背が伸びたのだ。獣医師にも、いつになったら成長が止まるのかを聞いたことがあるのだが、「もうそろそろでしょう」的な答えで、彼の成長はいまだに止まらない。小太郎にしてみれば、めざせ!ゴールデンレトリーバー、といったところかもしれない。そうすれば、何の苦労もなくテーブルの上の食べ物を食べることができるのだ。見てくれなど気にしない彼にとって、それは都合のいいことだった。
彼が大きくなることは家族の間で、小さいときによく言った山登りと、彼の食生活が関係しているのではないかと推察されていた。彼の好物は、野菜、特にトマト、キャベツの芯、人参が好きで。それらを調理し始めると、コタツの中からでも、ぐっすり眠っていても飛び起きて、背筋を伸ばして足元にお座りを始める。ほかの野菜なら、何の反応もしないくせに、「こんなにかわいいねんで」「見て見て、賢いやろ?」とアピールし始める。背筋を伸ばして凛々しくお座りしてみせるのだ。変なものが好きだから大きくなったのだと言われていた。
しかし、後々に知った話から、彼はアメリカ周りのポメラニアンではないかという結論に至った。どうやら、アメリカ経由で日本に入ってきたポメラニアンは、さらさらの毛をしていて、大きく育つのだそうだ。そして、ペットショップのオーナーが小太郎を抱き上げて言った言葉を思い出さずにいられなかった。
「よかったなー」
きっと、その人は小太郎が大きくなることを知っていて、その言葉を小太郎にかけたのだ。彼の小さい時の写真を見るたび、そう思う。
子犬の頃の小太郎は、本当にコロコロしていて、何をしてもかわいくて、何よりも元気だった。そして、家の中が小太郎の写真で埋め尽くされて、父は得意そうに、彼のカレンダーをパソコンを使って作成して、みんなに見せびらかす。母が、喜こんでそれを壁に貼っていく。そして、それを外さないものだから、過去のカレンダーが、大きな顔をして壁を飾っている。これも、小太郎の功績の一つだろう。
「お前もこんなにちいさかってんなぁ」
そのカレンダーを見ながら、しみじみと思うことがある。そして、小太郎がどうしようもない程、内弁慶になってしまったのは、育て方が悪かったのだろうと感じる。小太郎が来た当時は、ほんの七十日で人生の幕を降ろしたチャオのようにならないように家族で心掛けていた。小太郎に生命保障を付けた理由はフィラリアでたった十日しか家にいなかったそんなチャオへの思いが重なり、元気に大きく育ってね、という願いが込められていたからだと思う。
しかし、小太郎はというと定期検診ごとに「膝がずれていて治る見込みがないから、ふとらせないように」「心臓が悪いかもしれない」という悪い知らせを増やしていくのだ。だから、私の家族は小太郎の健康に対して、恐ろしく過敏に反応するのかもしれない。二度とあんな思いはしたくないという思いが大きいのだ。だから、ストレスをかけないように気にかけ。病気にならないように気を付け続けた。
そして、その裏返しとして、母はあの時、あんな行動に出てしまったのだろう。死んでしまうなら、せめて好きなだけ食べさせてやりたい。そして、チャオの写真がほとんど残っていなかったことを後悔しているから、父もたくさんの小太郎の写真を撮り、嬉しがってカレンダーにするのだろう。そして、小太郎は過保護に育てられ、フィラリアやそのほかの病気がほかの人間や。犬から感染しないように、お出かけは、動物病院へ予防注射を受けに行くことくらいだった。だから、小太郎の散歩デビューは普通に比べるとだいぶ遅れてしまった。きっと彼の犬嫌い、人嫌いはそこから始まってしまったのだろう。
そして、これではいけないと、しつけを始めようとしたとき、彼は都合よくと言うか、悪くと言うか、足の骨を折った。