小太郎・・・2
「誰か来たよーっ」としつこく吠え立てて、玄関に母を誘導する。姉はテレビを見ているし、みんなはまだ帰ってきていない。母が小太郎に呼び出され玄関へと行く。彼は母が戻ってくる前にテーブルの上のものを引き落とす。口に食べ物を入れさえすれば小太郎の勝ちだ。そして、彼はそれを実行に移す。その時、彼の口に入るのは、ハンバーグだったり、牛肉だったり、時にはいわしだったりする。こうなった小太郎はもう手がつけられない。この引き摺り落としたものが、肉類や、食べても平気なものならまだいいのだが、ハンバーグだったりした時なんて、私たちは生傷覚悟で凶暴化した彼と、闘わなければならなくなる。
ある日、気を付けてはいたのだが、彼がハンバーグを食べて、母が狂ったようになってしまったことがある。「もう、この子死ぬねん」そう言って、母は小太郎にドックフードの缶を差し出し、好きなだけ食べさせようとしていた。もう死ぬんだから、好きなだけ食べさせてやろうじゃないかということだった。
確かにハンバーグには犬が食べてはいけないたまねぎが含まれている。しかし、すぐに死ぬわけではないはずだ。しかし、子どもだけの力ではどうにもならず、父まで引っ張り出して、母を説得した。
「病院に連れて行ったらいいやん」
みんなに説得されて、母はその行動をやっとためてくれた。しかし、まだ、安心になったというわけではない。病院へ連れて行くということはそんなに容易く実行できることではないのだ。そして、小太郎からドッグフードを取り上げるという、流血覚悟の熾烈な戦いが始まる。
牙をむき出して威嚇する小太郎と、彼からドッグフードを奪おうとする人間。
もちろん、勝利するのは数からも、大きさからも優勢の人間側である。しかし、戦いはまだ終わらない。その後彼にリードを付けるという大きな仕事が待っているのだ。彼はドッグフードを奪った人間を睨み上げている。しばしの間、沈黙の睨み合いが続く。その沈黙が破られた時に、第二戦が始まるのだ。そして、その戦いに参加すれば、もれなく彼から、勝利の勲章が与えられるのだ。
どれだけ装備を重層にしても、彼の牙は人間の薄い皮膚を突き破る。
そして次の朝、その戦いの勲章を付けたまま学校へ行くと「キスマークみたい」と友達に言われた。
「そんないいもんじゃないよ」
全く、笑うしかできない。妹なんて、その勲章が目の上にくっきり残ってしまっている。もし、私の家の犬じゃなっかたら絶対捨てられている。誰でもそう思うだろう。こんな凶暴な犬、一体だれが好き好んで飼うっていうのだろうか。
そして、そんな飼い主側の思いなんて露知らず、ここにいるのが当たり前といった顔で今も偉そうにしているのが、おそらくポメラニアンであろうその小太郎である。彼はわんぱくで、テレビの前の困ったワンちゃん特集なんか見ていると、すべて当てはまるくらいなのである。そして、家族で笑いあう。
「うちって、どんな犬飼ってるんやろう……。なぁ、小太郎?」
小太郎はちょんと首を傾かしげて「なぁに?」と言う。こんな時の小太郎はかわいい。そして、それは彼特有の魔法で、その魔法に騙されているのが、この家の人たちである。
そんな彼は、恐れ知らずにも自分のことを「世界一かわいい犬」であることを自負している。抱っこはさせてあげるもの、人間は僕に従うものという法則が彼の中にはあるのだ。彼はこの家の王子様のつもりなのだ。
そして、この家の中での王子様は、何でも思い通りになると勘違いして生きていて、「小太郎はかわいいなぁ」と言えば、「当たり前」といった顔をしてぷいっと横を向く。そして、その自信は大したもので、彼は今まで、一度もやきもちを焼いたことなどないはずだ。愛されて当たり前だと思っている、救いようのない馬鹿犬なのだ。
本当は、自分の思い通りになんてなっていないということにも気付くことなく、彼はずっと王子様なのだ。
しかし、やんちゃなくせに、どの犬よりも怖がりで、家族のいない場所では情けないシュン太郎になってしまう。ちょっと違う散歩ルートに行けば、シッポは垂れ下がり、少しでも吠えられると、シッポを巻いてしまう。小太郎の鼻をへし折るのは簡単だが、その怖がりようといったら、散歩をしている私が恥ずかしくなる。
また人一倍さみしがり屋で、お母さんっ子の小太郎は、今年の正月に大変なことをしでかした。