家族
これで最後になります。少し長めですが、最後までお付き合いよろしくお願いします。
第一話からお付き合いしてくださった方へ。我が家の馬鹿犬+馬鹿飼い主にお付き合いしていただきありがとうございました。つたない文章ですが、これは、私が文章を書き始めて、初めて書き終えることのできた作品です。本当にありがとうございました。
小太郎の様子がおかしいと人間たちが気付き始めたのは、その二週間後くらいだった。最初は、地震や、災害を予知しているのではないか? 実際一番初めに彼がおかしくなった時には東北の方で、小さな揺れがあった。もしかしたら、幽霊?なんていうことも話されたりした。誰も、彼の目の異常なんて疑わなかった。もともと、怖がりで、ショウジョウバエにすら恐れおののく小太郎だったので、きっと、何か私たちに見えないものに怖がっているのだろうとしか考えられなかったのだ。しかし、誰が言うこともなしに、もしかしたら見えていないのではないかという、現実が見えてきた。
ときどき、小太郎はいつもならぶつからないところに、足をぶつけるようになった。今までも歩いていて、電柱にぶつかったりするおまぬけな犬だったので。気付くのが遅くなったのだ。しかし、小太郎は、いつものところにおいてある、エサ箱にぶつかり、絶対に目を離すことのなかったご褒美のドッグフードの在り処がわからずに探すようになった。それに、散歩へ出かけると、道の端へ身を寄せて歩いているようにも見える。そして、異常なほどに前からくる自転車や人間に吠えるようになってきていた。
目が見えていないかもしれない。それがわかってくると、あの時の小太郎が本当に怖かったのだということが思い知らされた。いきなり、視界が奪われたら不安で仕方がない。私だったら、こんなに早くこの状況に慣れてしまえるものではない。しかしそこはさすがに犬。彼の適応力は大したものだった。もう彼にはそれが当たり前のようになっている。きっと、これが野生の生きる力というやつなのだろう。気にしていては、楽しく生きられない。
うちの王子様は強かった。
「こたろ? 見えてるか?」
バイトから帰ってきた弟が、実験的にドッグフードを小太郎の目の前で動かした。弟は家族会議の結果を聞いて、自分の目でそれを確かめようとしているのだ。小太郎はジッと一点を見つめたまま、そこにはないドッグフードを見つめている。前までの小太郎なら、そのドッグフードの動きと同じ首の動きをしていたはずだ。
「よし。偉かったなぁ」
一応、まてに耐え抜いたということで、弟の手から彼にご褒美が与えられた。
「やっぱり、見えてないみたいやな」
「やろ?」
そう相槌をして、私は小太郎の方を見る。小太郎は何かを探るように歩いて、コタツ布団の上に腰を落ち着けた。やっぱり見えていない。
聞いたことはないが、犬にも鳥目のような病気があるのだろうか。どうも暗くなると余計に見えなくなるようだった。見えていないのなら、一度病院へ行った方がいいかもしれない。もしかしたら、何かの栄養が足りなくなっていて、見えなくなったのかもしれない。もし、そうならまた見えるようになるはずである、と私たちは結論を出して、その日は終わった。
父が動物病院に電話をしている。父とそこの院長先生は友達らしい。そして、電話が終わって、母に言った。
「今度の火曜日に小太郎連れて、行こか」
最近は小太郎のために父の有給休暇がよく使われる。もっぱら猫はだった父は小太郎が来てから犬は人間に変わってしまったのだ。人というのもまた、変な生き物である。
なんでもその動物病院に犬の眼科医と言う人が、海外の研修を終えて戻ってくるらしい。その先生は常時いる先生ではないので、父の休暇を取れる日を考えて、その日に行くことになったらしい。しかし、犬の眼科医なんて聞いたこともない。最近では本当に色んな獣医師がいるものである。そして、院長先生が言うにはその獣医師は優秀な人らしい。何にしても、専門家に診てもらえば、何かが解決するかもしれない。何もなければそれにこしたことはない。そして、みんないつも通りにめいめいの場所へ出かけた。
しかし、小太郎はやっぱり、特殊な犬だった。何もないわけがない。
彼に下された診断は遺伝性の失明。遅くても六ヶ月で完全に見えなくなるらしい。しかも、ポメラニアンにはほとんど見られない症例らしい。全く、どこまで困った犬なのだろう。彼は飼い主に心配ばかりかけている。
「で、対処法はないん?」
「遺伝性らしいから、待つのみ。やって」
「早かったら明日かもしれへんの?」
「そうかもしれへん」
その後小太郎にかけられた言葉は、絶対に綺麗なものではない。でも、それがこの家の人にとっての愛情の表れなのかもしれない。そうとでも言っておかないと、誰がこんな犬を飼っていられるというのだろうか。自分のことが話題に上っていることに気付いている小太郎は、話をしている母の方を見ながら、耳をすませている。
「お前、ほんまによかったなぁ。おにーちゃんが惚れ込んでなかったら、絶対実験動物行きやで。大きいし、珍しい症例やし」
「こんな犬やし」
「ほんま、よかったなぁ」
とにかく、くよくよなんてしてられない。薬もなく治療もできないことを嘆いても、どうしようもないのだ。完全失明だってそれは可能性にしか過ぎないし、小太郎はいたって気にしていない。飼い主ばかりが気に病んでいても仕方がないことである。前向きに考えよう、そう思った。そして、見えていない時があるということがわかると、見えていない時の小太郎と、見えている時の小太郎の違いまで分かるようになってきた。見えている時の小太郎はちゃんと人の目を見て、話を聞くし、その時の瞳は開き切っていない。それにいつも通りの情けない顔をしている。それがわかってくると、みんなが小太郎に声をかけるようになってきた。
「今は見えてるみたいやなぁ」
「見えてるなぁ? こた?」
そんなことに興味のない小太郎は相変わらず、ぷいっと横を向き、自分の興味のある方へ行ってしまう。しかし、家族が小太郎の視力のことを心配し始めると、不思議なことにそれから小太郎の視力があまり失われなくなってきたのだ。
「何か、最近調子よさそう」
「きっと福ちゃんが助けてくれてんで」
そういう妹と私の会話。もちろん、小太郎の知ったことではない。
実際に福ちゃんの白内障が進んできたということもあったので、そういうことにしておいた、というのが本当のところである。
「最近やめてた、キャベツの芯を再開したんがいいんかも」
という母の私論。
どうすることもできない病気なので、医者も知らない可能性を探しているのである。そして、母は小太郎に提案するのだ。
「見えてる間に、いろんなところにドライブに行こうな、小太郎?」
ドライブ?
小太郎は目をきらきら光らせて、母の顔を見た後、みんなの顔を見回した。
しかし、ドライブ好きの小太郎に、そうは約束したものの、なかなか実行されず、もう三ヶ月くらい経っていた。そして、最近やっとその予定がたて始められている。小太郎と福ちゃんを連れて旅行へ行こうというのだ。
小太郎たちと旅行に行くのは久しぶりである。彼らが旅行へ行くと、何か面白いことが起きる。だから、楽しい。いつもと違う雰囲気がそうさせたのか。水が怖い小太郎が海に入って、波に遊ばれたこともある。それに、福ちゃんが歩いていたら、いきなり外国人に「オー、ブラウニ―」と言われたりしたこともある。全く他愛のない、小さな思い出が家族の中に増えていく。そして、彼らの存在が確かなものになっていく。だから、みんなが楽しみにして、ペットと泊まれる宿探しを始めた。
「どこがいいかなぁ」
パンフレットを見ながら、小太郎と福ちゃんが一緒に部屋に入れる宿を探す。人間と一緒にいないと鳴きづめの福ちゃんのためだけではない。やっぱり、彼らは家族の一員になっているのだ。だから、私たちもずっと一緒にいたいというのが本音だろう。きっと、彼らがいないと、静かすぎて、気持ち悪く思うはずだ。それに欲を言えば、思いっきり走ることのできる場所ばいい。でも、できれば、あまり犬のいないところがいい気もする。しかし、きっと、犬がいようが、いまいが、小太郎は小太郎で、福ちゃんは福ちゃんで、楽しいかけがえのない思い出を私たちに与えてくれるのだろう。
そして、一日でも長い間、小太郎の視力が完全に奪われないことを祈りながら、彼らとの日々を過ごしていくのだと思う。
(終)
この後、二匹と富士山を見に行ってきました。もちろん、ドライブで☆