暗闇・・・2
小太郎はみんなが食べ終わるのを待って、テレビの部屋にみんなを呼ぶ。そうして、みんなの膝の上で眠るのが大好きだ。だから、今日も、「おねーちゃん」に狙いを定めてテレビの部屋へ誘導した、はずだった。しかし、福ちゃんに先を越されてしまい、姉の膝の上に乗ることができなかった。そんな時、姉はいつもこう言う。
「ごめん、小太郎、ちょっと遅かったわ」
そう言われても、小太郎はどうして乗れなくなったのかが、実際よくわからなかった。しかし、確かに姉の膝の上には福ちゃんが乗っていて、小太郎が乗ろうとすれば、子の福ちゃんに怒られてしまう。仕方なく、今日もその横で眠ることとなった。本当は母の膝が一番好きなのだが、姉の方が長い間乗っていられるので、小太郎と福ちゃんにとっては姉が一番いい椅子だった。
それでも、まだ変わったことはなかった。確かにみんなの顔は見えていたし、小太郎の視界は、真っ暗に閉ざされていはいなかった。
それから……。
まだ、気になることなんて起こっていない。まだ、家の中も明るくて、変わったことなんてなかった。小太郎はもう一度、今日起きたことを思い出そうとしていた。それから、母が夕飯を作り始めた気がする。
珍しく、姉も台所に立っていたので、小太郎は不思議に思っていた。でも、もしかしたら、いつもいない姉はたくさん食べ物をこぼすかもしれないので、小太郎は調理中ずっと、姉の足元にまとわりついていた。収穫は野菜の切れ端少しだったが、小太郎は満足した。
「小太郎? 邪魔やから向こう行っとき」
姉がそう言って、小太郎を見た。もちろん邪魔なんてしていないので、小太郎は首を傾げてまんまるっこい目で姉を見上げた。
「小太郎の食べるもんは、もうないよ」
「ないのかぁ……」
小太郎は残念に思ったが、姉がそう言うので、もうないのだろう。食べるものがないのに、いても仕方がない。小太郎は素直にテレビの部屋に戻って、お昼寝を再開した。
玄関の戸の開く音がして、小太郎は目を覚ました。
「この足音はノリちゃんだ」
そう思って、小太郎はノリちゃんが帰ってきたことを伝えるために、高い方の声を出し、家の中を走った。
「こたぁーっ。ただいまぁ」
「ノリちゃん、おかえりーっ」
小太郎はそう言って、家の中を走り回った。そして、体中を撫でてもらって、また走った。しかし、小太郎がどれだけ喜ぼうが、もうノリちゃんは手洗いとうがいをして小太郎の方を見てくれなかった。小太郎はさみしくて彼女を呼んだ。
「ねーねー、もっと撫でてよーっ」
それでも、ノリちゃんは気付いてくれない。いや、無視をしているので、小太郎はぷーっと一瞬ふくれて、ソファに乗った。しかし、またノリちゃんと目が合って、それで嬉しくなって、シッポを振って、仰向けに寝そべった。別にこの時も変わりなかったような気がする。
そして、みんながご飯を食べ始めた。兄だけがいない食卓。兄はいつもみんなよりも遅く帰ってきて、後からご飯を食べる。いつもと変わらない食卓。
小太郎は水を飲みにその台所を横切り、また元に戻ろうとしていただけだった。しかし、帰り道がなくなってしまっていたのだ。どう考えても、意味がわからない。今も、真っ暗な景色しか見えないし、みんなの顔も見えない。
「小太郎? もう大丈夫そうやな? ちょっと降ろしていい? おねーちゃんな、足痛くなってきてん」
そんなことされては、またどこに誰がいるかがわからなくなる。小太郎は必死に訴えた。
「降ろさんといて! おねーちゃん! 降ろさんといて」
しかし、姉に伝わるわけもない。小太郎の必死の願いもむなしく、姉は小太郎を降ろしてしまった。やっぱり辺りは真っ暗で、何も見えない。もしかしたら目をつむっているのかもしれない。眠る時はいつも、真っ暗だ。小太郎はそう思って、大きく目を開けた。しかし、どれだけ目を大きく開いても、何も見えない。小太郎は余計に怖くなってしまった。
小太郎は泣きそうになりながら、その暗闇にやっと立っていた。足ががくがく震える。心臓もどくどく言っている。そして、耳だけがやたらと冴えていて、ジーッという音が耳に響いてきた。暗闇の奥から小太郎を呼んでいる気がした。
もしかしたら、みんなが意地悪をして、家じゅうの電気を消してしまったのかもしれない。確かにそこは小太郎の家の匂いがするのだ。そして、そう考えないと居てもたってもいられなかった。
「おねがい、早く明るくして」
こんなに暗かったら、何も見えない。小太郎は何もないはずの自分の背後がとても怖くて、見えない鼻先に何かいるような気がした。何もないその気配すら信じられなかった。唯一の安息の場所が何者かに取られてしまった気がした。そして、その何ものかはいつかその暗闇から姿を現し、小太郎をみんなの傍から遠ざけてしまうような気がした。そんなこと耐えられない。
「おねがい。みんな僕の傍から離れないで! ずっと一緒にいて!」
しかし、怖くて声が出ない。小太郎はすくむ足を必死に支えて、焦点の定まらない目で暗闇を見つめ、「こわいよーっ」と声なき声で必死に叫び続けた。
本当に、小太郎にはそれしかできなかったのである。