その97「違いのわかる女になろうとした」
「なんかねー、最近思うんだけどー」
昼食時。汐里は幼稚園にいるため、ちゃぶ台で深月姉と二人肩を並べて野菜炒めとご飯を食べていると、ふと深月姉が言った。
「大人の女性って、なんかかっこいいと思うんだよねー。ほら、よくコーヒーのCMとかで見ない?金髪でトレンチコート着てるモデルみたいな女の人」
「深月姉トレンチコート持ってるじゃん。金髪は似合わないと思うけど」
「もう、そういうんじゃないんだってばー。なんていうかこう、違いのわかる女的な……」
「なるほど。大人の女性になる一番の近道があるよ。それは……」
「働くっていう選択肢はダメだから」
さすがに深月姉もパターンは読めてきているようだった。
「私はただ、違いのわかるかっこいい大人の女性になりたいだけなの」
「なるほど。違いの分かるかっこいい、なんら生産性のない大人の女性になりたいわけだな」
「むむ、なんかひっかかる言い方だけど……まぁ、いいや」
ちょうど食事が終わって、俺は食器を台所に運び、水に浸けた。
時計を見る。午後のバイトまでには、まだ少し時間があった。
「よし、わかった。それじゃ、違いのわかる女になる手伝いをしてあげるよ」
「えっ、なれるの!?違いのわかる女!」
「なれるさ、違いのわかる女」
俺は三つ、マグカップを用意する。お湯を沸かして、そこに、別々のコーヒーを淹れた。
「一つがいつも深月姉が飲んでるインスタントのコーヒーです。もう一つが、それよりも高い、俺が飲んでるドリップコーヒーです。そして三つめが、それよりもさらに高い、この前試供品でもらったドリップコーヒーです」
「なるほど……」
深月姉は難しそうな顔をして、腕を組む。
「……というか、私が飲んでたコーヒー、夕一のより安かったの!?」
「いいじゃん、どうせ深月姉は砂糖と牛乳で薄めてコーヒー牛乳にしちゃうんだから」
深月姉は納得のいかなさそうな顔をしていたが、気持ちをとりなおしたのか、真剣な面持ちでコーヒーと向き合う。
「それじゃ、この右端のやつからもらおうかな」
「ああ。どうぞ」
深月姉は湯気立つマグカップを手に取る。そしてそれを口元に添え、傾けた。
「……どう、深月姉?」
「にがい」
「なるほど……」
非常に端的でわかりやすい説明だった。
次に、深月姉は真ん中のマグカップを手に取る。そして、それもまた一口含んだ。
「……どう、深月姉?」
「にがい」
「なるほど……」
この上なく明快で、簡潔な説明だった。
最後に、深月姉は左端のマグカップを持ち上げた。それもまた一口飲んだ。
「……どう、深月姉?」
「にがい」
「なるほど……」
素晴らしいまでに明瞭かつシンプルな説明だった。
俺はそれらのマグカップを下げて、深月姉に問いかける。
「さぁ、全部飲み終わったわけだけど、どうだった?」
「ぜんぶにがい」
「なるほど……」
これほどまでに簡素で理解しやすいコーヒーの批評がこれまでにあっただろうか。いや、ない。
「それじゃ、どれが一番高いコーヒーだとかは……」
「わからない」
即答するあたり、非常に正直ではあった。
「これ、コーヒー牛乳にしてくれない?そしたらわかるかも」
「違いのわかる女にコーヒー牛乳はちょっと不適当じゃないか?」
「まぁ、街角のスタバでタンブラーに入ったコーヒー牛乳を飲むニューヨーカーはいないだろうしね……」
深月姉はため息をついた。
「ハーゲンダッツと普通のアイスの違いならわかりそうなんだけどなぁ」
「そんなの俺にだってわかるよ」
「しるこサンドと六花亭のバターサンドの違いもわかりそうだけど……」
「それもはや全然違うものだし」
違いのわかる大人の女までの道は険しいようだった。
そのあと、俺たちは我々の舌でも違いがわかって、なおかつそれなりにわかるとかっこいいぎりぎりのラインのものについて話し合った。
そしてその結論が「安めのウィンナーとシャウエッセン」で収まりかけたところで、深月姉は何か気づいたように上を見上げた。
「……あ、そういえば」
「ん、どうした深月姉?」
「夕一、バイトの時間は大丈夫なの?」
俺は時計を見る。バイトの始業時間数分前だった。
「ま、まずいっ!!」
慌てて立ち上がり、バッグを掴む。
「いくら違いがわかっても、時間を守れなきゃ大人の男失格だよ、夕一ー」
「うっさい!!」
俺はダッシュで部屋を出ていく。
結局、始業時刻には間に合わず、店長から軽いお叱りを受けたのだった。




