その93「汐里が英語を話し始めた」
「サプライズ」
いつも通りの夕食時、出された甘口の麻婆丼を見て、唐突に汐里はそう言い出したのだった。
「どうしたんだ汐里、いきなり」
「サプライズサプライズ」
「いや、重複して言わなくていいから」
汐里は俺を見て、得意げな表情を浮かべた。
「サプライズは、えいごで、おどろいた、といういみ」
「そんなことは知ってるよ。むしろ言われたこっちが驚いてるよ」
汐里は木製のスプーンを手に取り、麻婆丼を一口頬張る。そして一言、こう言った。
「サプライズ」
「いや、だからなにがサプライズなのかてんでわからないから」
「ゆーいち、サプライズ」
「今日の俺に驚かせるような要素はいっこもないよ」
汐里はまた得意げな表情を浮かべる。こちらは謎が深まるばかりだった。
「深月姉、こんなときはどうすればいいんだ?」
思わず俺は深月姉に助けを求める。深月姉はわりと好物な方に位置する麻婆丼を頬張って、至福の表情を浮かべているところだった。
「んー、そうだねぇ、要は、汐里ちゃんは英語をしゃべりたいわけでしょ?わたしにまかせて」
深月姉は汐里と向き合う。そして、汐里と並ぶ程の得意げな表情で、こう言った。
「Hello, my name is Mitsuki Kashiwagi. My favorite game is 『Call Of Duty』. What is Your Hobby?」
「おぉ……!!」
その流暢かつ完璧な発音の深月姉の英語に、思わず俺は声を漏らす。深月姉は言い終わって、胸を張る。
「……………」
汐里は、黙ってじっと深月姉を見据える。
「……………」
深月姉も笑みを作って、汐里を見つめる。場は、沈黙に包まれる。
「……………」
「……………」
「………どうしたの、汐里ちゃん?」
「………おねーちゃん、言ってること、よくわからない」
「………へ?」
汐里は一口麻婆丼を食べた後、渋い顔で深月姉を見つめた。
「おねーちゃん、今、なんて言ったの?」
「いや、ほらね、自分の名前を言って、それから好きなゲームを言ってから、汐里ちゃんの趣味を尋ねたんだよ?」
「しおは、おねーちゃんの好きなゲームもしってるし、おねーちゃんもしおがお絵かきとおままごとがすきなのをしってる。これになんのいみがあるの?」
「はうっ……!!」
汐里の思わぬ一撃に、深月姉は打撃でも食らったかのように腹部を押さえる。
「おねーちゃんは、もうちょっと話すことのいみをべんきょーしたほうがいい」
「はうぅうぅ……!!」
深月姉はさらなる一撃を食らい、ゆらゆらとよろめいた後、その場にノックアウトしてしまった。
「み、深月姉……?」
声をかけるが、返事はない。ただの意気消沈した姉のようだった。
俺は汐里を見据える。深月姉をこうまで追い込んだというのに、汐里は平気な顔で麻婆丼にまた手を付けている。無邪気とは恐ろしいものだった。
「汐里、俺たちはもうギブアップだ。一体どうしたんだ?」
「……さきちゃんに、えいごをならった」
「英語を……?」
汐里は頷く。
さきちゃんは汐里と同じ幼稚園に通うお友達で、巨大な豪邸に住むお嬢様でもあった。
さきちゃんから習ったとあれば、これまでの言動も、なんとなく納得がいった。
「さきちゃんに英語を教えてもらって、それを汐里は使いたくなったんだな?」
「そう」
汐里はこくりと頷く。
なるほど。
「おねーちゃんのぐーたらな生活がサプライズ」
「はうっ!」
突然、飛び火のように深月姉に話が行き、深月姉は不意打ちのダメージを受ける。
「おねーちゃんがはたらかなくても生きれてることにサプライズ」
「はううぅう!?」
痛いところを突かれてダメージを食らう深月姉。一方で、どうしてそこに話が飛ぶの!?という疑問の叫びが、さっきの声からは感じ取れた。
「おねーちゃんがおかしを押し入れのおくにかくしてること、サプライズ」
「はうぅうっ!……って、どうしてそれを知ってるの!?」
「汐里、もうそのくらいに……」
「おねーちゃん、サプライズ」
「はうぅうぅぅ……」
「存在そのものに驚きを感じ始めたか……」
こうなってしまうと、もう手の施しようがなかった。
そんな汐里の驚きの発見は、ここから約30分間、汐里が飽きるまで続いたのだった。




