その92「ビリヤードをした」
「なんか、すごくおとなっぽいあそびがしたい」
夕方5時、夕暮れのオレンジが空に見え始めたとき、汐里は突然そんなことを言い出した。
「大人っぽい遊び?なんでそんなのがしたいんだ?」
「しお、もっとおとなにならなくちゃいけないと思う」
「6歳児でか……?」
幼稚園に通う身である汐里が何故そこまで成長に焦燥感を抱いているのかは疑問だったが、汐里は真剣に考えているようだったので、こちらも付き合うことにした。
「大人っぽい遊びって、どんなのなんだ?」
「わからない」
「深月姉に聞いてみようか」
この中で法律上も唯一大人に該当する深月姉に聞いてみることにする。深月姉は、長時間のゲームで目が疲れたのか、部屋の片隅で目を閉じヘッドホンで音楽を聴いていた。
俺が深月姉の肩を叩くと、深月姉は目を開けヘッドホンを外した。
「深月姉、大人がしそうな遊びってなんだ?」
「大人がしそうな遊び?んー、そうだねぇ、絵画とかはかなり大人っぽい趣味だと思うけどなぁ」
「お絵かきはいつも汐里はしてるしなぁ」
「そもそも絵画とお絵かきの違いってなんなんだろうねー」
お絵かきを提案して、汐里が納得するとも思えない。俺は深月姉に次の案を求める。
「盆栽とかは?」
「大人は大人でも齢を重ねすぎてるよ。盆栽をいじる園児を俺は見たくないよ」
「んー、それじゃねー、大人といえば、やっぱり恋じゃない?」
「汐里にはまだ早いよ」
「それじゃ、ビリヤードなんかは、かなり大人っぽくない?」
「ビリヤードなぁ……」
「びりやーど……?」
横にいた汐里は首をかしげた。
「ゆーいち、びりやーどって、なに?」
「んー、なんて説明すればいいんだろうなぁ。長い棒があってだなぁ。それで10個くらいある玉を突くゲームだ」
「ぼうで玉をつく………」
汐里はうつむいて考え込む。
「ぜんぜんおもしろそうじゃない」
「まぁ、さっきの説明じゃそうなるよなぁ……」
「でも、やってみる」
「マジか」
大人になりたいという目標が強いためか、汐里はつまらないと思いながらも
「ゆーいち、びりやーどしよう」
「いや待ってくれ。ビリヤードをするって言ったって、ここじゃできないよ。台も棒も玉もないし」
「それじゃ、ビリヤードができる場所にいこう」
「それこそ大人にならないと行けないんだよ」
俺が拒否すると、汐里はうつむき、ぺたりとその場に座り込んでしまった。表情は相変わらず無表情に近かったが、どこか落ち込んでいるように見える。
「しお、レディーになるって決めたのに」
「レディー……?」
どうやら、それが汐里の今回の理由のようだった。
「どうしてレディーになりたいんだ?」
「レディーになると、すっごく得らしい。テレビで言ってた」
「得って、どんな風に得なんだ?」
「なんか、ごはんとかタダで食べさせてくれたり、欲しいものを買ってくれたりするらしい」
「……そういうことか」
どうやらモテる女の子のことをテレビでは紹介していたようだった。確かに、前にそんな番組がたまたまついていたような覚えがある。
「そのおかげで、お金ぜんぜんつかわなくていいから、レディーは貯金いっぱいあるらしい」
「またそんなディープな知識までテレビは……」
思っていたよりも遙かに不純というか、物欲にまみれた目的のようだった。俺はため息をつく。
「目的がそんななんでも奢ってもらえるような女の子になることなんだったら、ビリヤードをちょっとしたくらいではすぐには……」
「わかってる。でも、レディーになるためには、毎日のつみかさねが大事」
「おお、なんたる向上心だ……!!」
汐里は時々、無駄に向上心が高いときがある。今がそのときのようだった。
「今回は、練習でいい」
「いや、練習って言ったって、ここにはビリヤードをするための準備が……」
「だから、しおがぼうと玉と台、ぜんぶ作る」
「作るのか!?」
レディーになるためにビリヤードの道具一式を作ろうとするとは、すさまじい向上心だった。
「でも、今ここには木材もなければのこぎりとかそういう加工用の道具もないし……」
「だいじょうぶ。ぜんぶ段ボールでつくるから」
「正気かよ」
なにかこちらが言おうとする前に、汐里はさっさと冷蔵庫の横に立てかけられた、折りたたまれたAmazonの段ボールの束から2、3枚引き抜き、ハサミを用意する。そして、設計図を描くこともなく、いきなりちょきちょきと切り始めた。
「ずいぶんとDIY精神のあるビリヤードだねぇ……」
深月姉は汐里が頑張る様子を、緑茶を飲みながら眺める。
「でも、このままじゃ完成の日を見ないまま終わっちゃいそうだなぁ……」
いくら創作好きな汐里と言えど、段ボールでビリヤード台を作るというレベルまでには至っていない。仕方なく俺は協力することにして、俺は台と棒を作り、汐里は玉を作るということで分担をして作業を始めた。
「……ゆびが、痛くなってきた」
硬い段ボールを切って指が痛くなってきたようだが、それでもめげずに工作を続ける。俺も立体図を思い浮かべながら、段ボールを切っていく。
気づけば、完成するころには午後8時半を過ぎていた。ここまで、夕食はとっていない。
「できた……!!」
汐里が声をあげる。
出来上がったものは、ビリヤード台とはおおよそ呼べないような直方体の箱と、段ボールを丸めただけの棒と、いらない紙をくしゃくしゃに丸めてガムテープでとめた玉だったが、本物を知らない汐里は、感動したような目でそれらを見ていた。
「さっそく、びりやーどをしよう!」
汐里は棒を手に取る。俺は10個の玉をちょうど三角形になるように並べる。
「台の隅にある穴に玉を入れたらいいからな」
「わかった」
汐里は棒を構える。実物を見たことがないため、その構えはビリヤードというよりかは初陣の槍兵のようだったが、気迫だけは十分に感じ取れた。
「いけっ……!」
汐里はおもいきり棒を突き出す。棒は見事に玉にヒットし、転がりだす。
「…………!!」
だが、紙を丸めただけの簡易な玉がそれほど転がるはずもなく、ちょっとばかり他の玉に当たって、そのまま動きを止めてしまった。
「……………」
「……………」
「残念だったな。それじゃ、もう一回してみ……」
「もういい」
汐里は棒をその辺に放って、玉を手に取る。
そして、両手の二つを、俺に突き出した。
「これ達郎。こっち和子」
「マジか……」
玉にはペンで顔が書き加えられ、茶色の顔をした生物に早変わりをした。
汐里のその二つをよしよしと撫でた。
「かれらは、だんご星人」
「マジか」
「地球をしんりゃくしにきた」
「マジか」
「なかにはあんこが入ってる」
「なら大福だよそれ」
なんでもおままごとの道具にしてしまうのは、汐里の癖のようなものだった。
結局ビリヤードの玉だったものはそのままだんご星人にされ、悪役を演じきった。
そんなこんなで、汐里のレディへの道は先送りされてしまうのであった。




