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106/106

その106「フライドチキンを作った 下」


「ずるい」


汐里は、小さな眉をひそめてそう言った。


幼稚園服のまま正座をする汐里の前には、丸々とした目をした黒猫のぬいぐるみが置かれている。


「しおのいない間に、ゲームセンターに行くなんて」


汐里はご立腹のようだった。


それも無理はない。


幼稚園が終わり、帰ってくるなり、タンスの上にでかでかと見慣れないぬいぐるみが鎮座していたのだから、なにかしらのことがあったであろうことは、幼稚園児でも察しがつく。


そうして汐里は深月姉を問い詰め、買い物ついでにゲーセンでクレーンゲームに興じていたことをあえなく白状させてしまったというわけだ。


「しお、とてもおこってる」


「だろうな」


汐里の帰宅後から俺がバイトから帰ってくる夕方まで、ずっと怒りが持続していたのだから相当なものだ。


汐里は俺の袖の裾を引っ張ってくる。


「しおもメダルゲームとかしたかった」


「そうだよな」


「ガチャマンボでじゃっくぽっと当てたかった」


「あ、結構詳しいんだな……」


もしかすると、ギャンブラーである父に何か教え込まれたのかもしれない。


ふてくされる汐里に、深月姉は大きなぬいぐるみを差し出した。


「許して!これ、汐里ちゃんにあげるから!」


「……………」


眉をひそめたまま、汐里は猫のぬいぐるみを受け取り、しげしげと眺める。


そうして、じっと深月姉の方を見て、口を開いた。


「まぁ、くるしゅうない」


「あ、なびいた」


わりとチョロいようだった。


汐里は座り込むと、ぬいぐるみを両腕に抱きかかえてもふもふし始めた。


まぁ、機嫌が戻ったのならそれに越したことはなかった。


「おなまえきめた」


猫のぬいぐるみを身体から離し、じっと見つめた。


「この子は、松男まつおにする」


「松男……」


相変わらずのネーミングセンスだった。


「松男ザウルス」


「えっ、恐竜なの!?」


さらにそれから一通りもふもふした後、汐里は松男を自分のおもちゃ箱のダンボールの上に乗せた。


「まぁ、これはさておいて」


「あ、切り替えた」


「ゆーいち、フライドチキンをつくろう」


どうやら本来の目的を思い出したようだった。


俺たちはスパイスの入ったレジ袋を持ってキッチンに向かう。


調理台に、スパイスの缶を並べていく。


「さて、それじゃあ作っていくか」


汐里はエプロンを付けて準備を始めている。


「ゆーいち、これ巻いて」


そう言って、汐里はタオルをこちらに差し出してくる。


「どこに巻くんだ?」


「あたま」


汐里はタオルをぐるぐるとねじって、こちらによこす。


俺はそれを汐里の額に巻いて、頭の後ろで結びつけた。


「へいらっしゃい」


突然、汐里はそう発する。


「どう?お店っぽい?」


「ああ…………確かにお店っぽいな」


お店はお店でも、ラーメン屋だけどな。


ご機嫌になった汐里と一緒に、調理台に並べられたスパイス類を眺める。


「まずはスパイスだけど………これ、どうしたもんかな」


「私に任せて!」


突然居間の方から深月姉が出てきた。


「私がスパイスの調合をするから!」


「調合ったって、深月姉料理下手じゃん」


「先人たちのレシピがいくつか転がってるの。だから安心して!」


こと料理に関して、安心してと言われて安心できるだけの信頼を深月姉には寄せていないが、とはいえスパイスの名前もまともに知らない俺たちがやるよりかは幾分かマシな気もする。


「わかった。じゃあ、俺たちは肉の下ごしらえをするか」


冷蔵庫から鶏もも肉を取り出すと、汐里がぎこちない手つきでラップを剥がし、まな板の上に乗せた。


「深月姉、一枚で何ピースくらい作ればいい?」


「大きいので三等分、小さかったら二等分だね」


俺が切ろうとするところを、汐里が止めた。


「ここは、しおが切る」


「いや、危ないぞ」


「わかってる。でも、きけんを乗り越えたさきに、あかるいみらいがまってる……!!」


「いや、そこまで危なくもないんだけどさ」


そんな戦地に赴くテンションで来られても、むしろこっちが困ってしまう。


汐里は刃先の丸いセラミックの包丁を手に、まな板の上の鶏肉と対峙する。


宿年の敵と相対するみたく、まじまじと肉を凝視する。


そして、ある時、意を決したように肉に刃を入れた。


「……………ッ!!」


「どうした?」


「………ぬるぬるするッ!!」


「まぁ、鶏肉だからな」


汐里は刃をゴシゴシと肉に擦り付けていく。


「切れない……!!」


「皮が結構しぶといからな」


なおも汐里は包丁をもってして鳥もも肉に応戦するが、まるで歯が立たない。


「なんと歯切れが悪いことか………ッ!!」


悔しそうに声を漏らす汐里。


そして、おそらく言葉の用法がかなり違っているだろうが、俺はあえて口には出さない。


それからしばらくの間汐里は鳥もも肉と格闘を繰り広げていたが、ある時手を止めて言った。


「………これは、ゆーいちがすべきだと思う」


完全に匙を投げてしまったようだった。


そうして俺にバトンが渡った後は、ものの1分足らずで切り終わり、鶏肉の下処理が終わった。


「こっちもできたよ!」


深月姉は自慢げに粉の入れられたボウルを見せてくる。


スパイスやらハーブやらが入り混じり、フライドチキン用の粉としてはかなり説得力のある感じに仕上がっているが、まぁ食べてみないことにはわからない。


「じゃあ、揚げていくか」


それから、揚げていったのだが、ここからの作業は割愛する。


何せ、単に粉をまぶして揚げるだけではなく、牛乳だの卵だのをかき混ぜた液体に肉を浸して、それに粉をまぶし、さらにはその上にさらに追い液体として肉をくぐらせて、その上にまた粉を塗すというとても面倒な作業が待っていたのだから。


その間のことを話していてはとてもキリがない。


そして、二度目の粉まぶしの際、指にベタベタと衣がひっついた時点で、俺はフライドチキンが嫌いになった。


そうして、なんやかんやあって、フライドチキンは出来上がった。


「……………できたッ!!」


汐里は感嘆の息を漏らす。


それもそのはずだ。俺は今すぐにでも叫んでお祝いをしたいところだった。


まぁこの間、やたら自分で揚げようとする汐里をやんわりといなしたり、揚げ始めた後も揚げ温度にこだわる深月姉に付き合ったり、実に色々あったわけだが、今何を言っても後の祭りだ。


フライドチキンは出来上がった。


とりあえずは、その事実があればそれでいい。


「早速食べよう!」


ちゃぶ台にもっていくことも待たずして、俺たちは各々にフライドチキンを掴む。


俺はその茶色い衣を被った肉を眺めながら、これまでの道のりを思い返す。


実に長い道のりだった。


そもそも、ケンタッキーのCMさえ見なければ、汐里がフライドチキンを自分で作ると言い出さなければ、凝り性の深月姉がケンタッキーの再現レシピを試そうとしなければ、こんなことにはならなかった。


だが、それももう終わりだ。これで、全ての苦労が報われる。


そして、全員でひとかじりをした。


「こ、これは……………ッ!!」


俺たちは、各々に驚きの表情を見せた。


「しお、天才なのかもしれない………」


汐里は感激に近いような、なんともほころんだ顔を見せている。


そう、このフライドチキンは、実に美味しかったのだ。


俺と深月姉は、顔を見合わせる。


「………美味しいね」


「ああ……美味しいな」


俺たちはただそれだけ言い合う。


確かに美味しい。


なんなら、揚げたてなぶんスーパーのフライドチキンより美味しいかもしれない。


だが、深月姉の目的は別にある。


そう、ケンタッキーの再現だ。


その点で言うと、ひとつだけ重大な問題があった。


深月姉が、バンとキッチンの流しの縁を叩いた。


「美味しいけど、ケンタッキーに近いのかどうかわからないよっ!!」


「そうだな………」


「だって、私たち、ケンタッキーなんて最後に食べたの何年も前だもん!!」


そう、俺の少ない給料で生活している我が家において、ケンタッキーなんていうものは一種の高級料理に近い。


ケンタッキーの味などとうに忘れているため、再現と言われても比較のしようがないのだった。


「おいしい………!」


その隣で、汐里は夢中になってフライドチキンを食べている。


初めてのフライドチキンとあって、感動もあるのだろう。


「……まぁでも、美味しいからいいか」


「そうだね」


俺たちも、ご機嫌で食べ始める。


そうして、さほど大食いでもない汐里がチキンを3つも食べて、夕食としてはいいひとときとなった。


そんなこんなで、俺たちのフライドチキン作りは幕を閉じたのだった。






ちなみに、後日、大量に残った11種類のスパイスの使い道に困ったのは、いうまでもない。

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