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その1「幼稚園児がやってきた」

 「あー、天下がとりたいーー!」


 六畳一間の部屋に、微妙に反響するくらいの音量で、姉は叫んだ。


 「なんなんだ深月姉。いきなり」


 「三日天下が取りたいーー」


 「三日で終わっていいのか」


 深月姉はあおむけのまま、狭い部屋で物を倒さないように、慎重にドタバタと暴れていた。テレビを見ると、国盗りのシュミレーションゲームをしているようだった。


 「ねぇー、夕一も下克上手伝ってよ」


 「いや、俺これからバイトだし」


 すっかり伸びたセーターの裾を振り回すように、深月姉は駄々をこねる。


 「バイトなんかいいから、ねーちゃんの黒田官兵衛になってよー」


 「そのバイトでここの家賃と食費がまかなわれてるんだよ」


 それを言うと、深月姉は不機嫌そうに頬を膨らませた。おおよそ大人とは思えなかった。


 「……わかった」


 「わかってくれたか」


 「はぁー……結局、夕一が天下の台所なのか……」


 「いや、意味わかんないから」


 深月姉は、なにか無念そうに、ゲーム画面へと戻っていった。俺は洗面所に向かい、歯磨きをしながら鏡で身だしなみを確認した。


 彼女、柏木深月は実の姉であり、同時にニートだった。三ヶ月前は外資系の証券会社に勤める一端のビジネスウーマンだったが、ある日突然辞表を出して、次の日からニートになった。入社してわずか7ヶ月。本当に突然のことだった。


 俺は深月姉のアパートから高校に通っていたが、そういった事情から、バイトをすることを余儀なくされた。そうしてバイトに明け暮れるうち、成績はみるみる下がっていき、気づけば進級できないレベルにまで達していた。県内有数の進学校に入ったばっかりに、進級のできない状態になってしまったのだ。


 「ねぇ、帰ってきたら、夕一官兵衛だからね?」


 「官兵衛でも孔明でも、好きなのになってあげるから」


 俺はバイト用のバッグを手に取る。そして、深月姉が苦戦の末畠山家を倒したときだった。


 部屋に、甲高いインターホンの音が鳴り響いた。一瞬にして、和やかな空気が凍る。


 深月姉は、反射的にテレビをミュートにしていた。


 「ねぇ、これってまさか……」


 「………ああ」


 この部屋のインターホンを押す人間は限られている。そして、この時間帯は、一人しかいない。


 「でも!おととい来たばっかりなのに……」


 「相手の目的は果たせてないんだ。いつまた来たっておかしくない」


 俺は息を殺して肩に下げたバッグを床に下ろした。深月姉は小さく縮こまって、その身体を小刻みに震わせている。


 今は、相手が去っていくのを待っているしかないのだ。


 「夕一……怖いよ………」


 「深月姉、今は静かにしてくれ」


 そのとき、またインターホンが鳴らされた。その瞬間、耐えきれなくなった深月姉が叫び声をあげた。


 「夕一!うちにNHKの料金を支払うだけの余裕なんてないよ!」


 「わかってるっ!!」


 俺が財布を握っているのだから、我が家の経済状況は深月姉以上に把握をしている。NHKと契約をすれば、たちまち月末3日間は水で暮らさなければならない。それだけは避けたかった。


 「いや、でも待って。もしかしたら、お母さんからの郵便かもしれない」


 「絶縁状態の実家から荷物なんて届けてくれるか?」


 「この前、実家の私の部屋の本を送ってもらうように頼んだの。勉強するからって。本当はオークションで売りさばくためだけど……」


 「俺たちほんと切羽詰まってるんだな……」


 だが、それを知ったからには、ドアの向こうにいる人物を確かめなければならない。


 意を決して、俺はドアの方へ忍び足で近づいていった。


 「いい?ハットをかぶったお兄さんが郵便で、それ以外はみんな敵なんだからね?」


 「わかってる」


 そして俺は、ゆっくりとドアの覗きに目を合わせた。


 「……………」


 「………どう、夕一?」


 「………誰もいない」


 「え、誰もいないの?」


 深月姉がこちらまでやってくる。


 「帰ったのかな?」

 

 「わからない」


 俺はドアを開けた。まぶしい光に一瞬目が眩む。玄関先には、やはり誰もいない。


 「夕一、下……」


 深月姉が下の方を指さしていた。彼女の指さす方を見ると、そこには小さな女の子がいた。


 「……………」


 水色の上着と、紺色のスカート。それに黄色の帽子。どこかの幼稚園の服だろう。


 「……ぺこり」


 深々と頭を下げてきた。


 こちらも、おじぎを返す。


 深月姉は、俺の背中に隠れていた。


 「どうしたの?子ども苦手だったっけ?」


 「ううん。ただ、最近夕一以外の人と触れあってないから、ちょっと怖くって」


 「どれだけ人見知りなんだよ」


 屈んで、少女とまっすぐ目を合わせる。ぱっちりした目が、じぃっとこちらを見ていた。整った顔立ちだった。


 「どうしたんだ?道に迷ったのか?」


 女の子は、幼稚園規定のものらしき黄色の肩下げバッグから四つ折りの紙を取り出し、俺に渡した。


 俺は、それを開き目を通した。


 「夕一、なにそれ?」


 紙に書かれていたのは、簡易な地図だった。駅から始まり、目的地までの道筋が描かれていた。


 俺は地図の到着地点を指さした。


 「……これ、うちだ」


 「………えぇっ!?」


 少女はこくりと頷いた。


 「……どういうことなんだ?」


 少女はその小さな口を開く。


 「ママが……」


 「ママが?」


 「しばらくお兄ちゃんたちと、一緒に暮らせって」


 「……………はぁ!?」


 少女はまた深々と頭を下げる。


 「ふつつかものですが、どうぞよろしくおねがいします」


 「いや、ふつつかものとか言われても……。と、とにかく、中に入って詳しく話を……」


 そのとき、ツンツンと背中をつつかれた。振り返ると、深月姉が悲しげな顔をしていた。


 「ねぇ、夕一……」


 「深月姉。気持ちは分かるけど、今は人見知りを出してても仕方ないだろう。こんな小さい子を放っておくわけにはいかないし、とりあえず話を聞かなくちゃいけない」


 「そうじゃなくて、バイトの時間……」


 俺は腕時計を見る。既に、今から走っても間に合わない時間まできていた。


 「うわっ!遅刻だ!唯一の収入源が!」


 俺は奥からひっつかんで、あわてて靴を履く。


 「ちょっと待って夕一!私、この娘とどうコミュニケーション取ればいいの!?」


 「ググれ!」


 俺はそのまま部屋を出て、自転車に飛び乗る。


 アパートからは、動転する深月姉のわめき声が聞こえていた。


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