山本皓大 下井弘 鹿羽帖屋 鴻原恵美 鴻原壮介 鴻原巫々子 鴻原宍夏
気づいたことがある。
僕が今まで遭ってきたあちらの世界の住人の共通項だ。
遭った。というと、なんだか災害みたいに聞こえるけれど、彼らとの出逢いは台風とか地震とかと同じ天災のようなものだし、まあ、あながち間違ってないと思う。
そんな彼らの共通項。
殺人鬼と食人鬼と仲売人と先天性。
人を殺すぐらいしか共通項が無さそうなこの四人だが、実はもう一つある。
彼らには警戒心というものがない。
不安という心がない。
殺人という、分かりやすい重罪を積み重ねておきながら、彼らは警察の目の前を普通に通り過ぎれるぐらい、警戒心がない。
無害な一般人である僕でさえ、警官の前を通るときはちょっとドキドキしたりするのに、彼らは一切しない。
非日常の住人は、当たり前のように、日常に紛れている。
それはきっと、彼らには罪の意識がないからなのだろう。
呼吸をするかの如く、至極当たり前のように人を殺す彼らにとって、罪を犯すことは当たり前の事過ぎて、気にも留めない。留められない。
食人鬼と仲売人は、それでも一応、通報するのかと聞いてきたり、もっと楽に稼げる仕事があるならそっちをする、と言う辺り、罪を犯している。という自覚はあるようだったけれど。
『殺人罪』というのがこの世にはあって、自分たちはそれを犯しているのだと、基礎知識として知っているようだったけれど。
知っている、というだけだけど。
まあそれでも、目撃している僕を妨害もせずに家に帰す辺り、比較的──本当に比較的正常な二人も、やっぱりどこか狂っているのだろう。
そう、彼らは警戒心が薄いせいか、はたまた殺しが当たり前すぎてか、実は結構目撃者を取り逃がす事が多い。
実際僕は五回も取り逃がされた。
残念すぎて、死にたい気分になった。
まあ死にたい気分には、いつもなってるんだけどね。
生来の自殺志願者。
それが僕である。
今日も今日とて、僕は自室で首を吊っていた。
天井は一度首を吊ったときに抜けて助かってしまった事があるので、今日はドアノブに縄を引っかけての首吊りである。
これからドアノブが壊れるとかそういった事が無い限り、楽に死ねるだろうとワクワクしていたのだが、しかし残念なことに、首を絞め始めたとたんまるで見計らっていたかのように、ドアがノックされた。
このままだと出ようが出まいが、結局ドアが開けられて僕の自殺は失敗してしまう。
しかもドアをノックしているのは恐らくお婆ちゃんかお爺ちゃんだ。
ドアを開けたら愛孫が首を吊っていたなんてショッキングな映像を見せたら、ショック死してしまいかねない。お爺ちゃんお婆ちゃんっ子である僕からすれば、それは避けたい事態だ。
僕は急いで首を吊っていた縄をほどくと、すぐにドアを開けた。
そこにいたのはお婆ちゃんだった。
お婆ちゃんは僕の首がうっすら赤くなっているのを少し不審がりながらも僕に電話の子機を渡してくれた。
僕宛の電話らしい。
はて? このケータイ全盛期の時代に、家に置いてある固定機に電話してくるなんて、一体全体、誰だろうか。そう思いながら僕はお婆ちゃんに「誰から?」と尋ねると、お婆ちゃんは「あなたの幼馴染み」と答えた。
***
幼なじみと聞くと、どうしても異性の女の子を想像してしまうのだが、しかし残念なことに、夢を見せる気がないのか、現実を見せる気なのか、僕の幼なじみは男である。
女にしか見えない中性的な顔つきをしている男とか、男として育てられた女とか、そう言った伏線もない、普通で普通な、ありきたりな男子である。
小学校の頃は普通に仲良く話したりしていたのだが、中学になりクラスが別になってからというもの、どことなく疎遠になり話すこともなくなってきた幼なじみ。
それがどうして今更。
幼なじみは『話したいことがある。どこかで話さないか』と言ってきた。
特に予定もなかった僕はそれを了承すると、近くにあるファミレスで待ち合わせの約束をすると、お婆ちゃんに子機を返して『友達と遊んでくる』と伝えた。お婆ちゃんは『誰と?』とは聞いてこなかったが、聞いてこられたら少し困った事になったただろうから、結果オーライだ。
どうしてかと言えば。
僕が幼なじみの名前を思い出せないでいたからだ。
思い出そうと頭の中をかき混ぜても、彼の名前が思い出すことができずに、ファミレスに到着してしまった。幼なじみは先に到着していたようで、先に席を取っていてくれた。
「いきなり悪いな」
「いいよ。暇だったし、それにしてもまた話す機会があったなんてビックリだ。僕はもう、話すことなんて無いと思ってたから」
「それはあれだ。こんな事話せるのが、お前ぐらいだからな」
「ふうん」
なにやら嬉しいことを言ってくれる幼なじみ。
そこまで信用されていると思うと、誰だったっけ?なんて聞けないから黙っておくことにしよう。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
「僕はこのイチゴパフェ」
「俺はさっき頼んだのでいいです」
まあ。
話を聞き終えてみると、どうやらこの幼なじみは僕と話したかった訳では無かったらしい。
僕ではなく自殺志願者と。
異常者と、話がしたかったらしい。
「それで、僕になんの用だったんだ?」
そんな事をつゆも知らず、僕はそんな風に切りだした。
「うん、まあ……誰にも話すなよ」
「話す相手がいないよ。クラスメートも家族も皆殺されたんだから」
僕のその発言に、ファミレス店内の視線が一気に集まってきたような気がしたけど、まあ気のせいだろう。
なんて不謹慎なことをっ! と言ってるような視線が痛かったけど、それは包み隠す必要のない周知の事実であり、僕は何度もそれに取り残された身なので、文句を言わないでほしいのだが。
だから僕はその視線を無視して、届いたイチゴパフェを頬張り、スプーンで幼なじみを指す。
「で、話って?」
「あ、お、おう。昨日俺さ──人殺しを見ちまった」
「……」
固まった。
文字通りに。
微動だもせず。
「ひ、人殺し……? 殺人を見たとかじゃなくてか?」
声をひそめながらそう聞くと、幼なじみは神妙な顔つきで頷いて、その経緯──つまり人殺しを見たという話を語ってくれた。
「時間は、まあ夜だった。
満月の綺麗な夜。
その時はまだ雲に隠れてて見えなかったけど。
成績の悪い俺は親に塾に通わされててさ、その時も塾に行って帰るところだったんだ。俺は早く帰りたくて近道を使うことにした。墓場とかじゃないぜ、普通に建物の間に自然と出来る小道だ。
そこを少し早歩きで進んでいたら、不意に臭ってきたんだ。
血の臭い。
最初は風に紛れてなんとなく臭う程度だったけれど、進むたびに、段々と、刻々と、深々と、血の臭いは増していって、濃くなっていった。
血なんてものはさ、私生活で意外とよく見るけど、血の臭いっていうのは、意外と嗅いだことがない。臭いがするほど血を流した事がないからだ。
だから俺はその臭いを嗅いでどこかで交通事故でも起きたのかな、とてんで見当違いな事を考えてた。
今思えばバカらしい考えだったけど、とにかく僕は野次馬根性に引っ張られて、その血の臭いを辿ることにした。
目的地は近かった。というか、すぐそこだった。俺が近道で通ろうとした道を右に曲がったすぐそこ。
そこは行き止まりになっていて、そんな所で交通事故なんて起きるものなのだろうかと、今更ながらそんな事を考えながら俺は道を曲がった。んで、そしたら、そこにそいつは立っていた」
そこで一旦、幼なじみは区切ってオレンジジュースを飲んだ。
そいつ──まだ年齢も顔も背格好もなにも語られていないそいつ。
僕はそれが『殺人鬼』なのだと確信していた。どうしてか分からないけど、そんな気がした。
「あいつ、まだこの街にいたんだ……」
「ん、なんだって?」
「あ、いや。なんでもないよ」
「そうか? ならいいんだけどさ──それでどこまで話したっけ。そうそう、そいつはそこに立っていた。最初はただそいつが道に迷っているだけかと思った。だってたった一人で行き止まりで立ち尽くしてたんだからさ。
と言うことは、この血の臭いは更に向こうかと、俺はそいつに感づかれないように──まだそいつが迷子だと思っている時から既に感づかれないようにって警戒してた。
俺自身、そいつのヤバさを生物的に感じ取ってたのかもな──ともかく、とにかく。俺は踵を返した。けど、少し遅かった。完全にそいつを視界から消す前に、雲が月を隠すのをやめて、そのせいで、暗かった袋小路が月明かりで照らされちまった」
照らされてしまった。
月の光が、こちら側の人間からでもよく見えるように。あちら側の世界を。
「地面がさ、真っ赤だったんだ。まるでペンキの中身を全部ぶちまけたみたいに、地面も壁も、全部真っ赤。濃々とした赤。立ち尽くしているそいつの手には包丁があって、それも赤い。そいつが着ている服も赤い。足元にある三つの元人間も真っ赤。赤々した世界を、俺は見てしまったんだ……なあ、あれって俺の妄想とかじゃないよな」
「さあ、僕が見たわけじゃないら分からないよ。けど、多分妄想ではないと思う」
「どうして分かる?」
「今まで人殺しを何度も見てきたことがあるから」
「ははっ、悪い冗談だな。その言い方だと、何人も人殺しを見たみたいに聞こえるぜ。殺された人を沢山見てきたの間違いだろ。いや、それもそれで物騒だけどさ」
言いながら幼なじみは笑って、肩の荷物が落ちたように力なく机の上に突っ伏した。
それは。話すことにより、改めてその非現実に押し潰されいるようにも見えた──いや、どちらかというと安堵しているようにも見えた。
人殺しを見たという事がやっぱり現実で、喜んでいるように見えた。
「えと……」
僕はそれに少し困惑しながらも言う。
「つまりお前は吐露したかっただけ? 胸の内に留めておくには大きすぎるそれを誰かに話してスッキリしたかったってことでいいのか?」
「いや、違う」
僕の問いに、幼馴染みは体をゆっくり持ち上げながら答える。
「これは前置き。『昨日俺は、人殺しを見た』っていう前提でもいい」
「はあ」
「俺が話したいのはその後……なあ、お前って今もまだ死にたいと思ってるのか?」
「うん、まあ。今も時折」
「そか……その時って、どういう気分なんだ?」
「どういうって、そりゃあ……」
言おうとして、僕は言葉を詰まらせた。
なんだろうか、この感じは。
魚の小骨が喉につっかかっているような、『鈍重』と書きたいのに鈍までしかおもいだせないみたいな。
あと一歩のようで、実は全然出てないみたいな、輪郭だけはハッキリしているモヤみたいな『言葉に出来ない』と形容する事もできないみたいな……。
つまり、この感じは。
「……分からない」
という事なのだろうか。
今まで無意識に無自覚に、当たり前のように生理現象の如く死のうとしていたから考えもしなかったけど、いや、考えはしたけど答えを見つける事を放置し続けていたけど。
そういえば。
どうして僕は死にたいんだっけ。
「そっか、そうだよな。俺だって分からない、あの時俺がするべき行動はそこから脱兎の如く逃げだして、警察になりなんなり通報する事だったのに、俺は出来なかった。いや、しなかった。ただただ血を眺めていただけだった。人を殺しておいて、何も感じていないかのようなそいつが俺の隣を通り過ぎても、俺は無警戒に、血を眺め続けた。死体を観察し続けた。それでいつの間にか──俺は人を殺したくなった」
「……」
日常と非日常は隣り合わせだ。
決してその間に壁などなく、崖などなく。隙間もなく。
日常の中に地雷の如く、まばらに非日常は紛れ込んでいる。
「なあ、俺はどうしたらいいんだ? 訳が分からないんだ。理由が理解らないんだ。今まで考えた事がなかった。思った事もなかった。考えたくもなかった。なのにいつの間にか、俺は血の臭いを嗅ぎたくてたまらなくなってた」
幼なじみは──予備軍は吐露する。
吐いて露見させる。
己が迷い込んだ道を。
「…………」
対して僕は。
「ごめん、分からない」
既に迷い込んでいる僕は答える。
「僕自身、自分の事がさっぱり分からないから、とやかく助言なんて出来ないよ」
「……そりゃあそうか。ごめんな、いきなり訳のわからん事を相談してさ」
「けど」
心底疲れたように弱々しく笑いながら、レシートを持って席を立とうとした予備軍を呼び止める。予備軍は力が感じられないぐらい、ゆったりと、僕を見る。僕は、そんな予備軍の目を見ながら。
「そういう心配……つまり、罪の意識とか不安とかあるのなら、大丈夫だと、思う。あいつらには、それがないからさ」
「……はは」
予備軍は乾いた笑い声をあげながら、虚ろな目で僕を見据える。
「そんなこと言うとさ、やっぱりお前、あの人殺しと一緒だよな」
「……え?」
「だから俺はお前に聞いたんだよ。あの人殺しと一緒なお前に」
一緒?
僕とあいつらが?
自殺志願者と他殺志望者が?
似ているとかではなく── 一緒?
「それじゃあな、また話せたら話そうや」
茫然自失とする僕を背に、予備軍は僕の分も金を払って、ファミレスを後にした。
***
次の日、殺人事件が起きた。
事件現場は僕の家の近く。
一家族全員が皆殺しになっていたという。
たった一人、予備軍を除いて。