尾上夕
僕の家から出て行った殺人鬼が果たしてどこに行ったのかと言えば、驚天動地な場所でも奇奇怪怪な世界でもなく、普通で普通な、普通すぎてつまらない街だった。
家から歩いて数分ほどの場所にある所で、老若男女様々な人種の人が集まる大通りで、僕もヒマなときここに来てはゲームセンターに行ったりして遊んでいる。
そんな場所を殺人鬼は、当たり前のように歩いている。
坂本さんは人を殺しすぎる人は当たり前にいて、普通に街に溶け込んで普通に暮らしているとか言っていたけれど、あの殺人鬼を見る限り、確かに坂本さんが言っていた事はあながち間違っていた訳ではないらしい。人ごみの中に当たり前のように紛れ込んでいる殺人鬼を見失わないように、その背中を息を殺しながら追いかけていると、すたすたと迷いなく歩いていた殺人鬼が不意にその歩を止めて、首だけ動かして後ろから追いかけていた僕の姿を視界に捉えると、にやりと笑った。
どうやら追いかけられていた事は初めから気づいていたらしい。
ちょいちょいと、手招きしてくる殺人鬼を見て、肩の緊張を解いた僕はさながら、街を歩いていたら偶然友人に出くわしたかのような体を装いつつ、前を再び歩き出した殺人鬼の横に少し小走りでつく。
「ほらな、やっぱりお前はこっち側の人間なんだよ」
「違うよ、警察に連絡して逃げないように追いかけてたんだ」
「ふうん。そりゃあおっかない、さっさと逃げないとな」
精一杯の見栄張りも、殺人鬼には殆ど効いていないようで、逃げなきゃという割には逃げる気配もなければ、焦る様子もない。
そんな殺人鬼相手に僕がこの先何をしたかと言えば、特に何もしていない。普通に殺人鬼についていく形で人ごみの中を歩くことだけしかしなかった。
嫌がらせをした所でこの殺人鬼は僕に何かしてくる訳でもないので、普通に追走である。
特に話すこともなく、普通に二人、両親を殺した加害者と両親を殺された被害者は歩く。
どれぐらい経っただろうか、恐らく五分か十分か過ぎた頃、不意に殺人鬼は話し始めた。
というか、この殺人鬼には不意しかないのだろうか。反応や行動、会話の始めの殆どが不意や唐突な物のような気がする。登場の仕方に至ってはもはやマジシャンのそれである。
まあ、殺人鬼の存在じたい不意や唐突みたいなイレギュラーなものなのだろうから、まあおかしくはないか。
ともかく。
不意に、殺人鬼は口を動かす。
恐らく、独り言で。
「近くにいるな」
「……なにが?」
「同類」
殺人鬼は淡々と答えた。
同類、つまり人を殺しすぎる人がこの近くにいるという事なのだろうか。僕は焦らず落ち着いて辺りを見渡す。辺りには沢山の人がいて、どれがその同類なのか分からない。この殺人鬼の例もあるし、年寄りや子供とかといった、本来なら除外すべき相手も除外せずに見た方がいいだろう。しかしどれだけ見ようとどれが殺人鬼なのか皆目検討がつかない。まあ皆目検討がついてしまうような出来損ないの殺人鬼かが、捕まっているか精神病院かに収監されてないのはおかしいし、まあ、つかないのは、当たり前なのだろう。
「なあ殺人鬼」
「ん、なんだ?」
探したところで見つかりっこなさそうなので、僕はもう見つけているだろう殺人鬼に尋ねる事にした。
「どれが殺人鬼なんだ?」
「ふん、気になるのか?」
「言われなかったら気にならなかったよ」
「それはそうだな。ふむ、じゃああいつ」
殺人鬼は少し笑ってから、あつ一人の誰かを指差した。
スーツの似合うスレンダーな女性。
年は三十ぐらい。
肩甲骨まで伸ばした綺麗な黒髪をストレートに伸ばした女性。化粧も見たところそこまでしているようには見えないので、素の顔が元より綺麗な人なのだろう。
そんな人が、挙動不審に辺りをキョロキョロと、警戒していた。
「あそこにキョロキョロしてるやつがいるだろ?」
「うん、いるね」
「もう少しすると、多分、あの路地裏に入るぜ?」
殺人鬼の言う通り、挙動不審な女の人は人の視線の隙間を縫うように、誰にも見られないように、スッと、路地裏に入っていった。もし仮に、彼女をここまで注視してなかったら見逃していたかもしれない。それぐらい、自然な動きだった。
僕と殺人鬼はそれを見送ってから。
「さて、追いかけるぞ」
と、殺人鬼が切り出した。僕の返答など聞きもせず──あるいは、返答なんて聞かなくても決まっていると言わんばかりに、殺人鬼は歩を進める。
その答えを否定して、踵を返して、殺人鬼に背を向けて家に帰って、それから家族が殺されたと通報しようと思った。立て続けに殺人事件が身近に起きて、さすがの警察も僕の事を疑い始めるかもしれないけど、この殺人鬼について説明すればいい。こいつが人殺しだと、供述すればいい。
そう思った。
思ったけれど、僕の体は僕の考えとは裏腹に踵を返さず、家に帰らず、通報もせず、殺人鬼が通った道を辿る。
人混みを掻い潜り、あの女の人が入った路地裏へ。
生ゴミやカビの臭いが鼻腔をくすぐり、思わず嗚咽をもらすような道に入ってみると、殺人鬼が「それみたことか」と言わんばかりの表情をして待っていた。
「それみたことか」
口にまでだしてきた。
少し不機嫌になりながら僕は、殺人鬼を押し退け、奥に進む。奥に進めば進むほど生臭さは増し、思わず鼻を摘まむ。少し進むと曲がり角があって、僕は普通にそこを曲がる。
曲がった先に、さっきの女の人はいた。
既に事切れた状態で。
誰かに食べられながら。
***
てっきり僕は、さっきの女の人が殺人鬼なのかと思っていた。殺人鬼が同類がいるといってから指差した人間なのだから、きっと彼女が殺人鬼で、これから誰かを殺すのかと、そう思っていた。
しかし現実はその逆だった。
彼女は加害者ではなく被害者で。
殺人鬼ではなく人間で。
食う側ではなく、食われる側だった。
「うわあ……」
人が人を食う姿を、果たしてどれだけの人が想像出来るのだろうか。人が人の喉元に犬歯を突き立てて、肉を抉りとろうとしている姿を、一体どれだけの人が想像できるだろうか。
多分、その想像よりも、見ていて気分が良いものではない。
「あら?」
そんな状況にでくわして、呆然と立ち尽くしていると、ふと、食べている側の女性が僕に気づいたのか顔をあげた。その時喉元から肉を一塊ほど口の中に頬張ったのか、落ちる死体には噛みついた痕がまざまざと残っていた。
「しくじったわね、まさかこんな所を歩く人がいるだなんて」
「あ、いや……」
しくじった。と困ったような口調で言う割りには、彼女の様子に変化はない。落ち着いて、頬張っていた肉をごくり、と飲み込んで口元に垂れている血を指の腹で拭って、それを舐める。
なんというか、挙動の一つ一つが艶かしいというか、色っぽいというか、大雑把に言うとエロい人だ。
それが例え、飲み込んだそれが人の肉だと分かっていても、少し惚けてしまう程度には、彼女は──この食人鬼は魅力的で、蠱惑的だった。
「ほらな。いただろ、人殺し」
と、後ろから僕を追いかけてきた殺人鬼が言うまで、僕は動くことさえ出来なかった。
殺人鬼の声で現実に戻る──殺人鬼と食人鬼に両挟みにされているのが現実だというのなら、現実に戻りたくなかったというのが本音であるけれど──しかし、現実を見ない限り、この状況は打破できない。
「しかも二人も、困ったわね」
「気にするな、俺も同類だ」
「同類?」
ヘラヘラと食人鬼と話し出す殺人鬼。
会話に答える辺り、彼女はいきなり襲ってくるような理不尽な種類の人間ではないらしい。人を殺して食っている人を理不尽じゃないというのはどうかと思うけど。
ともかく、目の前の食人鬼は僕を襲うつもりはなさそうだったから、僕は手元に隠し持っていた鋏から手を離した。
驚くべき事に、僕は惚けている最中にも襲われたときの為か、無意識の内に凶器に手を伸ばしていたらしい。
「同類って、なに、あなたも食べるの?」
食人鬼は途端に、警戒を強める。それはまるでおやつを盗られそうになっている子供みたいで、この状況にはかなりそぐわない反応だ。
対して殺人鬼は。
「いやいや、食わないから安心しろ」
と、言って。
「俺はただ殺すだけだよ」
と、言った。
食人鬼は少し訝しむ目を向けていたけど 、しかし、納得できたのか今度は僕に目を向けた。
「じゃあその子も人殺し?」
「いや、こいつは死にたがりだ。自殺志願者」
「……ふうん、子供なのに大変ね」
その反応にはなにか含まれているような気がしたけど、それが一体何なのかは、分からなかった。
「それで、えっと、殺人鬼と自殺者さん? は、私を通報するのかしら?」
「しないよ、したところで俺になにも得はない。な」
「口封じに殺されるのなら、考えなくもない」
「そう、なら一安心ね」
食人鬼はそう言って、再び食事を再開した。人の肉というのはウサギの肉とか猪の肉の味に似ていると聞いたことはあるけれど、どちらの肉も食べたことはないので、味は想像できなかった。
果たして美味しいのか不味いのか。
気になりはするけど、しかし、食べようとは思えなかった。
結局、食人鬼は僕らの事を気にも留めずに食べ始めた。道具を使わず、まるで原始人のように。もくもくと。
文字通り骨の髄までしゃぶり尽くしている彼女のその、ある意味醜態とも言えるその姿は、色っぽさからはかけ離れているのに──むしろその真反対、食い気に執着しているその姿を見ても、それでもまだ彼女から妖艶や艶かしいという、その雰囲気は拭えない。
もくもくと食べ続ける、彼女を観察するように眺めて続けるのは気が引けたけれど、ここで背を向けるのもなんだし僕と殺人鬼は彼女の食事風景を眺め続けた。
「……ふう」
男二人の視線をものともせず、彼女は食事を続けて数分後、人一人を食べ尽くした彼女は、残りかすに両手を合わせた。それは合掌とか弔いのそれではない事は、さすがの僕にでも理解できた。
「それで」
と、食人鬼は言った。
口周りについていた血を拭いながら。
口の中に残っていた肉をごくり、と呑みこみながら。
「こんな所に一体全体、なんの用?」
「よう?」
「生ゴミの臭いとか、カビ臭さが蔓延するこの場所に、用もなく偶然、殺人鬼と自殺者が迷い込んでくるとは思えないでしょ?」
「うーん、いや、用とよべるような用はないな。こいつが人殺しを見たいと言うから、ここに来ただけだ」
僕の頭に手をのせてそういう殺人鬼。僕はその手を払いのける。
「人殺しを見たい……ね。その欲求は誰にでもあるのかも知れないけれど、やっぱり、自分が巻き込まれないっていうその絶対的自信があっての事よね。あなた、自分が食われないと思ってるの?」
自分の唇を、艶かしく舐めながら、食人鬼は言う。
対して僕は。
「食われたら死ねるし、別に良い」
と、言った。
食人鬼は目をパチクリさせて「これは筋金入りね」と失笑して、肩をすかす。
「じゃあ、あなたの目標を阻止する為に、私はあなたを食べない事にしておきますか」
「それは残念」
これで食人鬼との会話は終わった。
後は、食べていない骨をまとめて持って帰ろうとしている食人鬼にそれをどうするのか、と聞いたぐらいか。
食人鬼は「家に持って帰ってね、揚げて食べるの」と答えてくれた。ゴミを出さない、中々どうしてエコロジカルな人だ。
「なあ殺人鬼」
「ん?」
「お前は証拠隠滅とかするのか?」
「殆どしない」
「だよな」
そんな慎重な性格なら、クラス一つ丸々殺すなんて大それた事しないだろう。
家に帰る食人鬼を見送って、僕と殺人鬼は路地裏から出ながらそんな話をした。次に視線を動かしたときには、殺人鬼の姿は消えていた。
勝手にどっか行った──というよりは、僕が見失った。の方が正しいか。
社会に溶け込む殺人鬼は姿を眩ませていた。
この辺りを探せば、まだいるのではないかと思ったけど、時計の針はとうにてっぺんを通りすぎている。中学生が一人で歩き回っていい時間はとうに過ぎている。殺人鬼と言う保護者なき今、僕がなによりも早くしなくてはいけない事は、補導される前に家に帰ることである。
家に帰って、僕はドアを開ける。人の死んだ臭いが、家の中に充満していた。
「……これ、どうするかなー」
呟いたものの、放置しておくわけにはいかないし、普通に警察に通報した。
今日はまだ、眠れそうにない。
***
警察が帰っていったときには、既に太陽はのぼり、空は青くなっていた。清々しい朝である。
クラスメートが全滅してから四日経過していた。死人を見てない日は一日しかない。中々どうしてエキセントリックな四日間である。
警察に『よく自殺しようとする危ない子』というレッテルに『漫画の探偵みたいなやつ』というレッテルを追加されたような気もするこの四日間。
その四日目。
科学薬品の臭いと僅かながらに死肉の臭いがまじった部屋の中、僕はパソコンをつけてとあるサイトを開いていた。
自殺志願者交流サイト。
いわゆる、自殺志願者たちが互いを牽制しあったり集団自殺の日取りを決めたりするあそこだ。
僕は今まで、こんなサイトを開いた事は一度もなかったのだが、今日は別だ。
『 こちらの世界の事は知っておいて損はないと思うぜ? ま、どう知るかは自由だけどな』
そんな殺人鬼の言葉にそそのかされて、僕は集団自殺の参加コメントを書いた。