坂本知恵
「人を殺しすぎる人って、絶対いると思うんだ」
と、坂本さんは図書室でゆっくり読書をしていた僕の前に現れると、胸を張って唐突にそう言ったのだった。本を二冊ほど抱えているのを見て僕はああ、また本の影響でも受けちゃったのかなと思った。
図書委員で読書家である彼女は、なんというか本の影響を受けやすい性格をしている。まあ要は、騙されやすくて、信じ込みやすい性格だ。
そんな彼女が図書室で、本を抱えて、唐突に訳の分からないことを言ってきたのだから、多分、その鵜呑みにした知識を自慢しに来たのだろう。
まあなんにせよ、話す内容はあれだけど、好きな人と二人っきりで話せるそうそう無い機械を見逃すほどバカじゃない。僕は少し頬を緩めて、読んでいた本を机の上に置くと、坂本さんのいる方を向いた。
「えっと、それはつまり人は罪を犯さずに生きることは不可能。天国に行きたければお寺にお布施を払いなさいってこと? 僕はどちらかというと神道の方が好きなんだけど、もしかして坂本さんは仏教派?」
「いや宗教関連の話をどの子がタイプ? みたいな感覚で話されても困るとしか反応できないんだけど……珍しいね、ちゃんと顔を見て話してくれるなんて」
「ん? いつも見てるつもりだけど」
「見てないよー。いっつも本を読む片手間に、適当に相づちうってばかりで」
「そうだっけ?」
「そうだよ。それに私がしたいのは別に仏教の話じゃないよ」
「じゃあゾロアスター教?」
「宗教が違う訳じゃないし、どうして数多ある宗教の中からゾロアスター教を選んだのか分からないし……そもそも宗教関係ないから」
「ふうん、じゃあなんの話?」
僕がそう尋ねると、坂本さんは本を抱える腕に力をこめながら、図書館じゃなかったらきっと、大きな声で言っただろう、それぐらいの勢いで言う。
「つまり、殺人鬼は存在するって話」
「……へー」
「あ、今『うわーまたなんかバカなこといい始めたよこの人。頭良いのにバカなんだよなこの人、知恵って名前のわりには無知なんだよなー』とか思ったでしょ?」
「そんなこと全然思ってないよ、坂本無知さん」
「絶対思ってる!」
「思ってない思ってない。それで、どうしたらそんな極論めいた答えが出るんだ?」
「極論って、私からすれば逆にいないと思う方が不思議でたまらないけどなー」
と、坂本さんはさっきまで、本を読むまで露も思っていなかったであろうセリフを白々しく吐く。
「でもさ、もし殺人鬼が本当にいたら、おいそれと外を歩けなくなると思うんだけど」
「人は人を殺すよ?」
「……」
「毎日殺人事件のニュースが流れているのに、どうして皆、人が人を殺さないと、信じきれるのか、私は疑問がつきないよ」
「そんな事言ったら」
僕は言う。
子供らしい青い意見を、堂々と胸を張って、自慢げに言う好きな人に向けて言う。
「僕が坂本さんを殺す可能性もあるってことになるよ」
対して坂本さんは、きょとんとした表情で言うのだった。
「そんな事ないよ。だって私たち、友達でしょ?」
友達。
友達……。
どうやら好きな人にとって僕は友達止まりだったらしい。いや別にいいんだけどね、友達ではあるってだけ十分なんだけどね。
「とにかくね、人は人を殺す。だから人を殺しすぎる人がいても、おかしくないと思うんだよ」
と、犯罪心理学の本と殺人鬼を題材にした本を抱えて、思春期の子供らしいことを、僕に自慢してきたのであった。
その三日後である。
件の殺しすぎる人によって、彼女が殺されたのは。
***
「あーお前、あの時学校に遅刻してきた奴か」
「本当に忘れてたんだな」
そしてその、クラスメートの敵にして、家族の敵にもなった殺人鬼はイスに座り、僕も机を挟んだ向かい側の席に座った。僕と殺人鬼を遮るものはいつも家族と食事をするときに使う机しかなく、その机には返り血がこびりついていて、ここで殺人があって、その被害者たちがどういう風に殺されたのかを僕に教えてくれる。
「学校に遅刻するなんて悪い奴だな、お前」
「睡眠薬が思いの外効きすぎたんだよ、いやこの場合は中途半端……かな?」
「中途半端? 睡眠薬っていうのは眠れない奴がぐっすりと眠るためにあるんだろ?」
「他にも色々使い道はあるさ。例えば自殺とか」
「自殺ぅ?」
殺人鬼は僕を変な物を見るように、眉を顰めながら見る。殺人鬼みたいな、それこそ天然記念物みたいな存在に、そんな目で見られたくはないのだが。
「なんだお前、死にたいのか?」
「まあ、そうかな。どっちかって言うと、自分を殺したくなる。が正解かもしれないけど」
僕は僕を、唐突に殺したくなる。僕はそう吐露した。更に、珍しく口が止まる事を知らなかった僕は、そのまま続けて今までの半生(?)を、つまり僕が今までどう自殺してきて、どう失敗してきたかを教えた。殺人鬼はそれを話半分に、持っていたバックの中を探りながら興味なさげに聞いていた。それに気づきながらも僕は話すのをやめなかった。なんというか、話を聞いてもらいたくて話してる訳じゃなくて、ただ話したくて話している感じだった。多分、前に殺人鬼がいなくても、僕は話しただろう。独り言のように、話しただろう。
「──という訳だ」
「ふうん、どういう訳なのかはさっぱり分からないけど」
話し終えると殺人鬼はようやく終わったか。と言わんばかりに、めんどくさそうに顔を歪めながらバックから取り出したものを返り血のついた机の上に置いた。見てみるとそれは、初めて殺人鬼と出くわした時に突き刺したハサミだった。刃の部分は赤く錆びていてもう使い物になりそうも無い。
「とりあえずこれ、返しておくぜ? これお前のだろ?」
「返すって言うなら返してもらうけど、わざわざ持ち歩いてたのか?」
「ああ、俺結構取り逃がす事多いからさ。忘れ物は預かっておいて、いつかまた会ったときに返せるよう、持ち歩いてんだ。知ってるか? 人って逃げるとき結構な確立で物を落とすんだぜ?」
「……ゲームのドロップアイテムみたいだな」
僕がハサミを受け取ったのを見て、殺人鬼は満足したのか頷くと、流れるような動作でイスから立ち上がり、居間のドアを開けた。
そして外に出る──その前に殺人鬼は首だけこっちを向いた。
「お前は多分、こちらの世界の住人なんだと思うぜ? こちら側、どぶの中で泳いで生きているような、そんな世界の住人だ。いや、もしかしたら今さっき足を踏み入れた可能性もあるけどさ」
だからさ、と殺人鬼は続ける。
「こちらの世界の事は知っておいて損はないと思うぜ? ま、どう知るかは自由だけどな」
言って、言い切って、殺人鬼は居間のドアを閉じる。暫くして、玄関のドアが開く音がした。こうして、この家に残ったのは僕と、家族の死体だけになった。あの時、クラスメートが全員殺されたときは殺人鬼に意識が持ってかれていて、死体というものを、バラバラになった死体というものを観察する機会が無かったから、こうしてまじまじと死体を見るのはこれが初めてだ。
なんというか、ただの肉の塊だ。
スーパーに行って、生肉コーナーに並んでいても違和感がないような。
まあそれは僕の主観だからであって、他人から見ればそれはどう見ても人間の死体で、生肉コーナーにあったとしたら、もう二度とそこで肉を買えなくなるだろう。
ふむ、そう思えない。そう考える事が出来ないのは確かに、僕はおかしいのかもしれない。それこそ、人よりも鬼の方が人種的には──種別的には似ているのかもしれない。人は殺さないけど。
「……よし」
僕は家族の死体を居間に放置したまま、先に出ただろう殺人鬼の後を追うようにして家を出た。
出るときには鍵をしっかりかけて、確認してから出た。殺人鬼とか這入ってきたら面倒だし。