――は、どうしようもない。
外伝です。
長生きしたい。と、私は夢見たことがない。
不老不死や不死身を夢見た時期は確かにあったかもしれないけど、それでも、長生きを望んだことはなかった。
それはどうしてかと聞かれたらまあ回答に困るのだけれど、結局のところ、長生きして年を取ってしまったら、人生は楽しくなくなると思っているからだと思う。
どんなものにも目新しさがなくなり、年老いた体は動くことをやめ、最後には寝たきりの生活が続くようになるだろう。
毎日見飽きた窓の外を眺めるだけの一日を過ごす。
想像しただけでも、遠慮したい生活だ。
だから私はちょうどいい年まで生きて、年を取る前に、先々に死にたい。
人生五十年と、昔の人は憂いだらしいけれど、人の生はそれぐらいでちょうどいいのかもしれないと、私は思っている。
本の知識とか関係なく、私は私の意思で、そう望んでいた。
そんな私の前には、先々どころか、目先の辺りで死のうとしている、死にたがりの同級生がいる。
長生きしたいとか考えるどころか、短命の人生を、彼は自ら選択している。
どうしてかと私は何度も彼に訊ねた。
けど彼はいつもその理由を、はぐらかす。
それは結局、彼自身、自分がどうして死にたいのか分かっていないのだろう。
私がその、長く生きたくないというその結果に、後から理由をつけたように。
彼にもいつか、理由が見つかると、結果が見つかるといいなと私は思うのだった。
あ、そう言えばまだ自己紹介をしていなかった。
私の名前は坂本知恵。
死にたがりな同級生の名前は朝倉生だ。
死にたがりに生なんて、まあなんというか、皮肉めいた名前なんだろう。と私は独りよがりに考えている。
***
「遅いなあ、朝倉くん」
「まだあいつに世話かましているのですか、知恵ちゃん?」
ある日の朝のことだった。
朝礼を終えて、一時間目の授業が始まるまでの間、クラスメイトの皆はおもいおもいに話していて、いつも朝話している相手、つまるところ朝倉くんが遅刻していて暇を持て余していた私の元に、牟濃さんがやってきた。
牟濃幸。
なんというか、色々かわいそうな苗字の人だ。
名前と違って苗字は誰かが狙って決められるものでもないし、彼女を無能と蔑んでいる訳ではないのだが、彼女はその苗字が嫌いで、自分のことを名前で呼んでもらうように人に頼み込んでいる。
「幸さん、おはよう」
私はもちろん、人の嫌がる事をしたがるようなタイプではないので、名前で呼んであげる。
「おはようございますですよ、どうせあいつの事です。睡眠薬を飲んでぐーすか眠って、遅刻していやがるのですよ」
「ははは、まさか」
睡眠薬で自殺。
そう言えばまだ彼から、服毒自殺で失敗したとかの話は聞いたことがない。
じゃあありえない話ではないね。
出来ればやめてほしい話ではあるけど。
「どうして知恵ちゃんみたいないい子が、あいつみたいな奴に優しくするのですか」
ごまかすように笑う私に牟濃さんはそう言う。
基本的にいい子なんだけど、口調にどこか棘があるというか、普通に悪い女の子なのだ。
「あんな奴、みんなみたいに放っておけばいいのですよ」
「あんな奴って、朝倉くんはいい子だよ」
「自殺志願者のどこがいい子なのですか、命を無駄にしようとする屑じゃないですか」
「屑って、辛辣だなあ……」
私は幸さんが真面目に言っているのだと理解しながら、笑って返した。
死にたがりである彼は、まあ当然といえば当然なのだけれど、クラスの中で彼は浮いた存在である。
その大半は幸さんのように、嫌っている訳ではないけれど、それでも、好き好んで近寄ろうとする人は、余りいない。
「屑を屑と言って何が悪いのですか。親からもらった命を大事にしやがらない奴は、屑そのものですよ」
「でも朝倉くんは両親のことを大好きみたいだよ?」
父の日や母の日、それに二人の誕生日の一週間ぐらい前から準備をして、プレゼントを渡すのだと、図書館で『父の日』について語っていた私に対して、彼は嬉しそうにそう語ってくれた。
その時の彼は、とても純朴で、とても楽しそうで、それこそ、その日の前日に自殺を図ったようには思えないぐらいだった。
「親が大好きなのなら、自殺なんてしやがるのがおかしいのですよ」
「まあ、それはそうだね」
もう彼にとっては、自殺というのは毎朝歯を磨くのと同じようなものなのだろう。
または性質。
当然のような生理現象。
動物としての本能。
だから、父の日について嬉しそうに語っていた彼と、自殺をする彼は、寸分違わず、彼で間違いないのだろう。
「なんの話をしているんだ。お前ら?」
と、なんというか上から目線で高圧的な声が下からした。
席に座っている私よりも下からする声。
それだけ背の低い人なんて、クラス中、いや学校中を探しても彼一人しかいないだろう。
私は視線を下げながら声のした方を向く。そこには幼稚園児がいた。
……いや、そんな事を言うと、彼が本気で怒りそうだから修正しておこう。
私は別に、人の嫌がる事を進んでやるような性格ではないのだ。
そこで偉そうに、腕を組んでふんぞり返っている彼の名前は低高見。その背丈は幼稚園児かと見間違えてしまうぐらいに小さくて、この自然と人を見下しているようなその態度も、なんだか背伸びをしている子供みたいで、うざったく見えない。
実年齢を知っている私たちは、それを微笑ましくみる事もできないのだけれど。
そんな彼を微笑ましくなく見ていると、低くんは腕組みをしながら私を睨んできた。
「なにを見ている坂本知恵」
「ん、別に? 低くんはいつも通りだなって思っただけ」
「ふん? まあいい」
低くんは私の顔を睨みながら口をへの字に曲げたが、特にそれ以上げんきゅうしてくる気は無いらしく、話を戻した。
「それで、一体何の話をしているんだ?」
「朝倉の話をしているのですよ」
「朝倉? ああ、あいつか」
低くんは、誰も座っていない朝倉くんの席をちらりと見た。
「あいつがどうかしたのか?」
見てから、再び私達のほうを向きなおしてから、低くんは威風堂々と、首を傾げた。
首を傾げる。その程度の動作に威風堂々なんて言葉をつけるのは、いささか変な感じだけれど、実際彼の行動にふさわしかったりするのだから、まあ不思議と言えば不思議だ。
ともかく。
どうやら低くんは朝倉くんの事を『どうでもいい』と思っているようだった。
彼が学校に来ていないことだって、どうして遅刻しているかだって、どうでもよさそうだった。もし朝倉くんの机の上に花瓶が置いてあったとしても、彼は特に興味も見せないだろう。
対して彼女、牟濃幸さんは朝倉くんのことが余り好きではないようだった。
あまりというか普通に嫌いみたいだった。
彼女曰く『もう生理的にあいつの事が嫌いなのですよ』なんて言っていたけれど、どうして彼をそこまで嫌うことが出来るのかは分からない。
私は……うーん、どうなんだろうな。
別に彼のことは嫌いではないなあ。
でも好きかと尋ねられると首を傾げざるを得ない。
彼との関係はあくまでも一クラスメートに過ぎないし……。
あれ? そうなると、この中に彼を好いてくれる人がいないということになっちゃう。
別に私がその枠組みに入ってもいいんだけど、やっぱりそれはなんか違う気がするんだよね。
私は多分中立だ。
興味が無いとはまた違う立場。
となると、このクラスには彼を好意的に受け入れている人はいないということか。
「あれ、朝倉いないな」
「あれ、朝倉いないね」
あ、そうでもないか。
誰も座っていない朝倉くんの近くにその二人の姿はあった。
同じ台詞を、同じ口調で話す二人組。
一人は医上登呂くん。
もう一人は殿上湖呂ちゃん。
名前がちょっとちょっと甘被りしている二人は、性別が違うにも関わらず見た目も性格もそっくりで、会ったその日から意気投合して、いつも一緒に行動をしている。
「今日は朝倉くん休みだよ」
朝倉くんの席を囲んで首を傾げている二人に、私はそっちのほうを向きながらそう言った。
「そうなん?」
「そうなの?」
「遅刻しているだけかもしれないけどね」
「そうなんだ」
「そうなんだ」
二人は事前に話し合っていたように、同じ口調で、残念そうに言った。
「朝倉くんに何か用でもあったの?」
「借りていたノートを返そうと思ってたんだけどな」
「借りていたノートを返そうと思ってたんだけどね」
医上くんと殿上さんは顔を見合わせながら小首を傾げて悩む動作をする。
その医上くんの手元には、いつも朝倉くんが使っているノートがあった。
いつの間に彼と医上くんと殿上さんは、ノートを交換するほどの間柄になったのだろうか。
そりゃあまあ私だっ四六時中彼と一緒にいる訳ではないけれど、しかし、彼が人との交流を進んでするようなタイプだとは思っていなかったから少し驚きだ。
「ねえ」
そんな二人に、私は尋ねてみた。
「医上くんと殿上さんは、朝倉くんのことをどう思う?」
「いい人」
「いい人」
「はあっ!?」
医上くんと殿上さんがほぼ同時に発したその台詞に、幸さんは大声をあげた。
その近くにいた低くんは顔をしかめて耳をふさぐ。
「いい奴って、あいつのどこがいい奴なのですか!?」
「宿題を見せてくれたり」
「教科書を貸してくれたり」
「いい奴だよな?」
「いい奴だよね?」
「え、えええぇぇ!?」
向かい合って言う二人に、心底信じられないという風に、幸さんは顔をしかめた。
どうやら朝倉くんの表……つまるところのプレゼントを送る話を嬉々として話す彼のことを知っている人は彼に好意的で、裏、つまり自殺志願者の彼を見ている人は彼を嫌う傾向にあるらしい。まあ当然といえば当然か。
さて。
そんな風にクラスメートと楽しく会話を続けているところだった。
医上くんと殿上さん、それと幸さんが意見の食い違いでちょっと口喧嘩をしていて、そんな三人をどうでもよさそうに眺める低くんを傍目に、私は黒板の上にある時計を見た。
すでに一時間目の授業が始まっていた。
「あれ?」
私は首を傾げる。
一時間目の数学の担当である水原船盛先生は、いまどき珍しい熱血タイプの先生で、今まで授業に遅刻したことなんて一度もなかったのに。
朝倉くんの不在。水原先生の遅刻。
大逸れたことでもない、大仰にする程のことでもない。
毎日続く日常の中で起きた些細なイレギュラー。
だから私はそこまで気にすることもなく『珍しいこともあるものだな』と、その程度に捉えていた。
それが日常の中に潜む、地雷のような非日常に迷い込んでいたということに気づけずに。
「ねえ、水原先生」
ちょっと遅いね――と。
私が他の四人に尋ねようとした時だった。
ひょっこりと、それは姿を現した。
黒い濃霧が教室の中になだれこんできた――とか。
殺意が偶然人の体をしているようだった――とか。
吐き気を催すような化け物のようだった――とか。
そう言った表現が一切合切似合わない人だった。
あまりにも平々凡々で、あまりにも普通で、さも当然のごとく姿を現したそれに、私たちは警戒することができなかった。
それは普通に教卓の前に立って、おもむろにその近くにいたクラスメイトを殺した。
私はそこで、それが部外者だということに気づいた。
それは更に、クラスメイトを殺す。
私は自分が置かれている状況を確認する。
それは赤い血を撒き散らす。
そこで私は、あれ? なんだか危なくない? と思った。
近くにいた低くんが殺された。
私はようやく命の危険を感じ取った。
それは幸さんの喉笛を掻っ切る。
私は自分が置かれている状況を理解する。
「あなたは」
その血濡れた包丁が、私の喉元に迫った時に、私の口は自然と動いた。勝手に動いた。
「どうして人を殺すんですか?」
「うん?」
それは包丁の動きを、ピタリと止めた。
「どうして人を殺すのか?」
包丁を止めて手元に戻すと、悩む仕草をする。
「どうして、どうして、どうして、か」
悩むそれを見ながら、私はそれを確認する。
それは男だった。
あまりにも普通っぽい男で、それだけに、その手に持っている包丁が異常に浮いている。
けど普通の人ならばそんな抜き味の包丁を学校に持ってこないだろうし、そもそも部外者なのに学校に入ろうなんて考えないだろう。
あまつさえ、人を殺そうと考えてそれを実行に移すような人が、普通であるはずがない。
現に今も、悩む素振りを見せながらも殺す手だけは緩めていないし。
「そういえば久しくそんなことを考えていなかったなあ。昔は時折、いや、ほぼ毎日考えて悩んでいたような気もするけれど」
逃げ出そうとしている医上くんの背中に包丁を刺し、部屋の隅でガタガタ震えている殿上さんの胸を抉る。
いつのまにか、教室の中に残っているのは私だけになっていた。
生きている人間は、私だけになっていた。
「いや、考えてもなかったし迷ってもなかったか? うーん、いや、まあ考えていたんだろうな。お前らみたいな年頃じゃあ迷うことは当然のことだ」
ピチャピチャと音をたてながら男は歩き、おもむろに机を教室の端に追いやりはじめた。
「なんて考えた所で、俺が今こうして行きて行動しているということは、どこかで折り合いをつけたんだろうな。なんて決めたんだっけなあ」
「なにをしているんですか……?」
「ん、なにをって、お前が聞いてきた質問に対して、大人らしく、至って真面目に答えてやろうと思っているんだが?」
「い、いえそうじゃなくて、どうしてわざわざ、教室にある全ての机を端に、しかも乱雑に積み重ねているんですか?」
「ああ、なるほど。そっちか。いやなんというかな、今から誰かに会うような気がするんだよ」
「……誰かに?」
「だからこうして、舞台を用意しているわけだよ。演出ってのは大事なんだぜ?」
「……」
誰かと出遭う。
今この場にいるはずなのにいなくて、これから現れる人物。
となると、彼がこれから出遭う相手というのは、恐らくというか、十中八九朝倉くんだろう。
男と朝倉くん。
似ても似つかない、というかあまりにも両極すぎる二人に、シンパシーがあるとは思えない……いや、意外と似ているかもしれない。
二人とも道を踏み外している。
正しい道を歩いていない。
果たしてこの世に『正しい道』なんてものがあるのかは分からないけれど。
ともかく。
殺す人と死ぬ人。
共に仲違えて、手違えて、踏み違えて、読み違えて、間違えて、行き違えて、生き違えている。
確かにシンパシーを感じ合う間柄ではあるかもしれない。
同族嫌悪ならぬ、同族共鳴というやつかな。
「……じゃあ、私のクラスメイトを殺したのも、演出のため?」
「いや、俺はここに用があって、そしたらお前らが居たから、だから殺したって感じか?」
「……」
きっと今、私の頬は引きつっているだろう。
ついでって……。
「それで、えっと、なんの話をしていたんだっけか? ああ、そうそう。どうして俺は人を殺すのか、だったな」
男は気軽なふうにそんな事を言いながら、手に持っている包丁をもてあそぶ。
そして、緊張して警戒をしている私の目の前にまで迫ってきて、おもむろにその刃先を私に向けた。
「どうしてかと言えば、多分意味があって、意義があって、理由があるのかもしれないけど」
言い訳があるのかもしれないけれど。
うん。
分かんねえや。
そう言って男は――殺す為に殺す殺人鬼は、当然であるかのように答えて、そして私の喉に包丁を突き刺し、貫き、首をはねたのだった。
長生きしたいと願ったことはないけれど、そこそこ生きたいとは思っていた私が早死して、早く死にたいと願う彼が生き残るというのは、中々どうして、皮肉な話ではあるけれど。
まあ生き残ったとしても、彼の人生がこの先いつも通りでありふれた、普通の人生になるとは思えないけど。
とにかく。
私はこうして死んだ。
彼に似ている人に殺された。
***
殺す理由が分からない人。
死ぬ理由が分からない人。
目的を見失った自殺志願者は、今日もまた、手段を使い続け。
結果が分からない殺人鬼は、今日もまた、過程を生きる。