朝倉生は行き違える。
くああぁ、と。
大口を開けてあくびをしながら、男は目を覚ました。
飾り気のない、簡素で質素な部屋の隅に置かれたベッドに体を沈めていた男は、掛け布団をどかして、少し濡れているカーペットが敷いてある床に足をおろした。
男は足元に散らばる物を、足でどかしながら部屋から出ると、居間にでて、そのままの流れでキッチンに向かうと、フライパンを手に取った。
テフロン加工された、少しお高めのフライパンだ。
「朝飯は……適当でいっか」
冷蔵庫の中を適当に物色しながら、男は調理を開始する。
ベーコンが焼ける音とと匂いを楽しみながら、男はテレビの方を見る。
テレビでは朝のニュースを放送していた。画面には、よく見るレポーターが《立ち入り禁止》と書かれた黄色のテープの手前の方に立っていて、奥の方に見えるブルーシートで覆われている場所を指しながら中継をしていた。
《昨夜未明、付近の住人から『異臭がする』などの通報をうけ、警察が出動したところ、あのブルーシートで覆われている先の少路地で四名の死体が発見されたの事です》
《死体で発見されたのは■■市在住、火ノ山文香さん、伊田井安治さん、鴻原友屋さん、永井三譜さんの四名。この四名は、済んでいる場所から年齢までばらばらで、警察は四人の関係性について調べ次第、無差別殺人として調べる模様です》
「無差別殺人って、恐い世の中だなー。■■って、ここら辺じゃねえか」
男は出来た目玉焼きをフライパンからはがして皿の上に置き、一緒に焼いていたウインナーと野菜を、その横に添える。
そうしている間にニュースは変わり、交通事故の話題になっていた。
《昨日の昼頃、■■市の中心地の近くの路上で、女の子がトラックに体を強く打ち付け死亡する事故が起きました。女の子は病院に搬送されましたが、搬送された時には既に死んでいたとのことです。死亡が確認されたのは、朝比奈育ちゃん。目撃者によると、当時歩行者用の信号は赤で、朝比奈ちゃんはまるで誰かに背中を押されたように飛び出していったようで、警察は当時一緒にいたと証言されている少年を捜索している模様です》
「ひどい話だな、前途多難……もとい将来有望で、過去より未来のほうが長かっただろう女の子だったろうに、そんな早くに死んじゃうとはなあ」
男は心にも思ってなさそうな言葉を吐きながら、テーブルに朝食を並べる。
自分がいる手前に一つ。
そして、その反対側にもう一つ、二人分の朝食をテーブルの上に並べる。
「その少年っていうの、お前だろ」
男は――殺人鬼は僕に尋ねた。
僕は少し口元を緩める。
「久し振り、僕の敵」
「僕の? 俺はお前に危害を与えた覚えはないけどな」
「じゃあ親の敵だ」
減らず口を叩く殺人鬼に、僕は笑いながら返した。
それが少し気になったのか、殺人鬼は箸を手元に置いてから、眉をひそめて、少し首を傾げた。
「お前、そんな事を言うキャラだったっけ?」
「昔から僕はこういうキャラだよ」
「そうか? 前会った時はなんというか、もっとこう、鬱屈とした性格だった気がするんだが」
「成長したんじゃない? よく言うだろ。男子三日会わざれば刮目して見よって」
「そんなものか?」
「そんなものだよ」
言いながら僕は席に座る。
殺人鬼もそれについで席に座る。
「それで、その『少年』はお前で間違いないんだよな?」
「うん」
ここで嘘をつく必要もないし、僕は正直に答えた。
果たして殺人鬼はどんな反応をするのかと少し待っていたのだが、殺人鬼は聞いてきたくせに、特に反応を示すわけでもなく、普通に朝食を食べはじめた。
なんだか出鼻をくじかれた気分だ。
まあいい。
僕は別に殺人鬼と話したくて、ここに来たわけじゃあないのだから。
僕と殺人鬼は向かい合って、黙々と食事を続ける。
こいつが炊いた白米は、べちゃべちゃになっている訳でもなく、少しかためで、僕好みのかたさだった。
こいつも僕と同じ好みなのだろうか。
それはイヤだなぁ……。
「……」
「……」
会話のない、静かな食卓にBGMのように流れるニュースは、カラオケ店で起きた、謎の大量死事件や、体の一部に食べられた痕が残っている不審死の事件だったり、僕の家を報道したりしていた。
この2日間で、どれだけの人が殺されてきたのだろう。
数え切れないほど……という訳ではなくとも、一つの街で起きるには余りにも不釣り合いな数の事件が起きて、余りにも不釣り合いな数の人が殺された。
殺されていたことが分かった。
まばらに、さながら地雷のように潜んでいた世界はしかし、今までもう片方の世界に干渉したことはしなかった。世界の住人が迷い込んでくるのを待っていた。
しかし今、こうして世界は、崩れて壊れて崩壊して、もう一つの世界と混ざりあいはじめていた。
ぼくとあいつが作り出した崩れた世界。
あちらとこちらの世界が混在し始め、混乱がおきているそのニュースを聞き流しながら、僕は殺人鬼に尋ねた。
「なあ、ここはお前の家なのか?」
「いや、俺の家じゃないけど」
半熟の黄身を箸で十字に切りながら殺人鬼は言う。
「適当に鍵が空いている家を探して、普通に間借りしているだけ」
そんな風に言っているが、もちろん、誰もいないのに鍵を開けたままにしておくほど、不用心な家庭が存在するはずもなく、ここの住人は偶然たまたまこの場に居合わせていないとかそんな事もなく、ここにいたくてもいられないのだろう。
それから僕らは色々会話をした。
いや、それは会話というには余りにも繋がりがないけれど。
どちらかというと、独り言の応酬という方が近いのかもしれない。
「へえ、お前って彼女がいたんだな」
そんな応酬の中、初めて殺人鬼が反応を示したのは、そんな事だった。
なんというか、仲売人といい、この世界の男はなんでこう、人の恋愛事情が気になるのだろうか。
「どんな子だったんだ?」
「良い子だったよ。すごく良い子。どうして僕なんかを好いてくれたのか、今でさえさっぱり分からないぐらい」
「けど、人殺しだった」
と、殺人鬼は断言した。
僕はまだ、彼女が『恋愛脳』だということを『人殺し』だということを殺人鬼には言っていない。
もちろん、話の流れ的に彼女が人殺しであることを予想できないことはない。
ただ、この殺人鬼の断言っぷりは予想して言ったというよりはまるで全てを理解していると言っているようだった。
「さて、腹も膨れたしそろそろ本題にはいるか」
殺人鬼は箸を置いて、僕の方を見ながらそう言った。
「俺のところに来たのは、まさか飯を食いに来たからじゃあないだろ?」
「……まあね、殺人鬼と会話をするために、何人の人殺しと話したりなんかしないよ」
きみは思春期で、悩み迷っているなんて言われたよ。と、僕は自嘲気味に笑った。
「なるほど、じゃあお前はある程度の答えは決まっているんだな」
「決まってる」
それじゃあ答え合わせだ。と殺人鬼は言った。
ぼくとあいつから始まったこの話の。
答え合わせを。
***
「お前は嫌悪で人を殺す人殺しだ」
「僕は嫌悪で人を殺す人殺しだ」
「こいつの事が嫌い。だから殺すという、余りにも短絡的な人殺しだ」
「こいつの事が嫌い。だから殺すという、余りにも短絡的な人殺しだ」
「そしてお前は自己嫌悪で自分を殺そうとしていた」
「そして僕は自己嫌悪で自分を殺そうとしていた」
僕と殺人鬼は、口裏を合わせたわけでもないのに、同じセリフを同じ口調で語った。
結局のところ、そういう事だった。
僕は嫌悪で人を殺す人殺しで、それが嫌で嫌でたまらなくて、自分を嫌悪して、僕は自分を殺していた。
それほどまでに、嫌悪していれば『自分』であれど殺してしまうほど短絡的な僕が、どうしてここまで人を殺さないで済んだのか。
それはつまるところ、周りが『良い人』ばかりだったからだ。
自己嫌悪の人殺しにも優しい世界。
だからこそ僕は、今の今まで自分以外を殺そうとした事はなかった。
しかしその世界は、殺人鬼と出遭うことで脆くも崩壊してしまう。
そう考えてみると、初めて殺人鬼と出遭った時、ハサミを突き刺した意味も理解できる。
嫌悪したのだ。
僕は、初恋の相手を殺した男を嫌悪した。
自分と同じ、同族の男を自分と同じように嫌悪した。
しかし同時に、僕は殺人鬼を『僕が一体何者なのか』を知るための手がかりになるのではないかと思い、殺しはしなかった。
その結果、僕の家族は殺されてしまうのだけど。
そうして僕は殺人鬼と出遭うことで、もう一つの世界を視認して、引き込まれた――引き戻された。
それから僕は何人かの同族と会った。
食人鬼。仲売人。快楽犯。予備軍。
そして、恋愛脳。
初恋の人に、どことなく似ている彼女。
実際彼女は、初恋の人と同じように僕のことを受け入れてくれた。
自己嫌悪の人殺しを、それが当たり前であるかのように愛してくれた。
そんな欠点を含めて、好いてくれた。
だから僕も僕を好くように努力した。
彼女が好いてくれる自分を、また自分も好くようになった。
僕はこうして、自己嫌悪をやめた。
「そこで終われば、まだハッピーエンドで終わったんだろうけどな。同族に受け入れられて愛されて、歪んでいながらも、崩れていながらも、自己嫌悪の人殺しは自己嫌悪をやめて、自殺をやめました」
僕の一人語りに挟み込むように殺人鬼は言う。
「しかし残念なことに、二人の性格は相性抜群でも、二人の性質は相性最悪だった」
『自分勝手に人を殺す人殺しを嫌悪している人殺し』と『愛している人を殺す人殺し』。
それは、どれだけ性格が合っていても、恋愛に発展すれば、残酷な結末を迎えざるを得ない、そんな組み合わせだった。
彼女は僕の好きな人で、僕の嫌いな人だった。
だから僕は彼女を好いていたけど、本能の赴くままに、彼女を殺してしまった。
「そしてお前は彼女を殺してしまったことを引き金に、迷走をはじめた。彼女を殺したんだ。『人殺し』であることを理由で殺したんだ。となると、他の『人殺し』を殺さないと、彼女の『性格』が理由で殺してしまったことになる」
そんな事はない。僕は彼女の『性格』は好いていた。僕は彼女の『性質』を嫌っていた。
だから殺したんだ。
だからそれを証明するために、僕は『人殺し』を殺して回った。
悩み迷って、殺して殺して。
僕は初めに辿りついた。
「これで『過程』は終わり。僕の悩みも迷いもおしまいだ」
僕はハサミを取り出す。
初めて僕が他人に殺意を抱いた時に持っていた凶器を手に持った。
「僕はお前を殺して、僕を証明する」
僕は一歩進む。
殺人鬼は動かない。
「なるほど、つまりこの話は結局のところ、一人の『思春期の人殺し』の迷走が軸なんだな」
僕は一歩進む。
殺人鬼は動かない。
「僕が一体何者なのか。ふん、確かに誰もが悩む議題ではあるよな。誰だって自分が何者なのか知りたいし、自分が何をしたいのか分かりたい。自分は自分に一番近い存在のはずなのに、どうしてか人は自分のことを一番知らない。灯台もと暗しって奴なのかね」
僕は一歩進む。
殺人鬼は両腕を開く。
「さて『過程』を歩んだ『結果』お前は一体なにを学んだ? ちなみに俺は『迷うだけ無駄』って事を学んだぜ?」
「僕は――」
僕は一歩踏み込んで、殺人鬼にハサミを突き立てた。
そして、体のどこかに何かを突き刺された気がした。
殺されたような気がした。
――僕はな、殺人鬼。
――どれだけ悩んで迷っても答えは一生出てこないことを知ったよ。
――だから悩まず迷わないで、真っ直ぐ生きるべきなんだと。
僕は――朝倉生はこうして行き違えて、こうして息絶えた。