絹草叶は間違える。
待ち合わせはしていない。
ただ、ペンギンを見たければ水族館か南極に行くように。
彼女はきっと、この時間この場所に、まるで当たり前にいるだろう、そう思って僕はそこに行った。
殺人鬼と一緒にはいった、生ゴミやカビの臭いが鼻腔をくすぐり、思わず嗚咽をもらすような路地裏だ。
果たして、彼女はそこにいた。
初めてあった時と同じように、名前も知らない女の人の肉を食べていた。
「男の肉は食べないの?」
僕がそう質問すると。
「男の肉が美味しそうに見える?」
食人鬼は至って冷静に、そう答えた。
食べる食べないは別として、確かに美味しそうには見えないか。
「久し振りね」
食人鬼は僕の顔を見ながら、ゆっくりと口の中にある肉を呑み込んでから、そう言った。
その口の中は、血の色で一杯だった。
「覚えてたんだ」
「殺人鬼と自殺志願者のコンビなんて、覚えようとしなくても、覚えちゃうって。それで、相方の殺人鬼はどこにいるの?」
「相方じゃないよ。あの日、たまたま一緒にいただけ」
「そうなの?」
「あの後ずっと会ってませんし。そもそも、僕はあいつの名前さえ知らないし」
「へえ、なんだ。結構いいコンビに見えたけどな」
「そうですか?」
「そうそう、多分同じ類の人間なんじゃない?」
「僕から見たら、あいつとあなたの方が、同じ類の人間ですよ」
好きだから殺す恋愛脳。
憧れるから殺す予備軍。
楽しいから殺す快楽犯。
稼げるから殺す仲売人。
食べるから殺す食人鬼。
理由は違えど、誰もがも同じカテゴリの人間だ。
同じく道を踏み外している僕でさえ、その原理は今一理解できない。
好きなんなら、愛せばいい。
憧れたいなら、偶像崇拝すればいい。
楽しみたいのなら、ゲームをすればいい。
稼ぎたいのなら、別の仕事をすればいい。
食べたいのなら、パンとかを食べればいい。
殺す必要はない。そもそも、そこに殺しがはいる余地なんてないはずなんだ。
それなのに、彼らは人を殺す。
殺すのが目的じゃない。
目的の過程に、たまたま殺しがあるだけ。
そう仲売人は言っていたけど、果たしてそうなのだろうか。
殺すために、その過程を味わいたいから目的を作っているんじゃないか?
「あら? それについてはもう答えが出たんじゃなかった?」
「え?」
「神様が人を作った時に、組み立て方を間違えちゃった存在。つまり、材料も同じで完成した形も同じだけど、中身は微妙に違う。それが私たち。そうじゃなかった?」
「……人殺しには、人の心を読む能力でもあるのか?」
「人の心も、体ごと食べてるうちにね」
「あんまり面白くないです……それに、心はそこじゃなくて、脳にあるんですよ」
「無粋ね」
「現実的なんです」
「まあ、本当のことを言えば、その答えを前にも聞いたことがあるからなんだけどね」
「前にも?」
「あなたみたいに、人殺しの事を……こちら側の事を知ろうとした人はたくさんいるって事」
そして全員、同じ結論に至る。
そしてそれは正しい。
食人鬼はそう言った。
「お腹が空いたらコンビニに行ってパンを買ったりして食べるのが普通。それが当たり前。けど私は人を殺してそれを食べる。私にとってはそれが普通。けど、あなた達にはそれが理解できない」
まあ、異文化交流みたいなものね。
食人鬼はそう纏めた。
自分の知らないルールや文化には、人は意外と対応できない。拒否してしまう。
確かに自分はズレているけれど、だけどそれがおかしいと思ったことはない。
それが私の、あなた達にとっては違う文化の当たり前の事なのだから。
「あ、けどあなたは今、こちら側にいるんだっけ?」
食人鬼はそう言った。
「異文化……」
「そう、異文化。またはそうね、『個性』かしら」
「『個性』?」
「そう、食べ過ぎだったり、人の目を気にしすぎだったり、夢見がちだったり、そういうのと同じように、もしかしたら人殺しも『個性』の一つなのかもね」
「そんな人に迷惑かける個性が――」
「あるでしょ、自分の性を振りまくんだから、他大勢の集団に迷惑をかけるのは当たり前よ」
「――自分を正当化してません?」
「人間誰しも自分が一番大事よ。自分が自分を愛さなくて、一体誰が自分を愛してくれるのよ……まあ、あなたみたいに自分を殺すような存在もいるみたいだけどね」
それも個性、かな?
食人鬼は言う。
「あの後、色々あったみたいね」
「……まあ、色々、ありましたね」
色々と言うには、余りにも単一的すぎるけど。
色々あったように見えて、全部同じような事の繰り返しだけど。
誰かが殺して、誰かが死んだ。
たったそれだけの話だ。
「それで色々悩んじゃって迷ってる。自分が今まで答えだと思ってたものが違うんじゃないかと、暗中模索で『白紙の問題』を解こうと必死になってる」
わっかいねー、と食人鬼は笑った。
「そんなくだらない事に、一生見つかるはずのない答えに、躍起になれるのは、まああなたみたいな年頃だけだから、まあ必死に解くといいと思うわね」
「僕みたいな年頃?」
「そ、あなたみたいな年頃。いや、あなたみたいな多感な時期、と言った方がいいかな?」
食人鬼は首を傾げながらそう言った。
「小さな子供は悩むことを知らない。あるがままを受け入れて、あるがままに楽しむ。大人になると、その自分と周りの間で折衷案をつくって、適当な着地点を見つけて、そこに居座る。結局、そこで悩むことができるのはあなた達だけ。この『白紙の問題』に悩めるのはね」
だから存分に悩みなさい、とまるで母親のように食人鬼は言うのだった。
白紙の問題。
問題ではあるのだから、白紙とはいえ、そこに答えは存在する。
答えはあるけど、問題はない。
子供の頃はまだその存在に気づかずにいられる。
大人はそれに適当な着地点をつくる。
結局のところ、その答えを探して迷うことができるのは僕ら『思春期』だけ、か。
「じゃあ……これからも迷うことにしますよ」
僕はポケットの中から錆だらけのハサミを取りだした。
もう刃物として役目は果たせそうもない、切れ味最悪のハサミである。
「あら、それ前にも構えてなかった?」
「気づいてたんだ」
「なんとなくね、あなたのポケットが妙に盛り上がってたから。うっすらとハサミのシルエットも見えたし」
「なるほど」
「それでこれから、そのハサミでどうするの?」
「あなたを殺します」
「……それがあなたの『答え』?」
「いや、その『過程』です」
「……」
食人鬼は笑った。
今から殺されるということを理解したうえで。
笑った。
「どうしてあなたが、そちら側にいれたのか、不思議でたまらないわ」
鮮血が舞った。
切れ味最悪のそれでも、刺突することで、どうにか人を殺すことが出来た。
「……ふう」
並ぶ二つの元人間。
加害者の被害者と、被害者の加害者。
人を食べる鬼。
あなたを食人鬼と、殺人鬼と同じ『鬼』と表記するのか。
それは多分、あなたは人殺しの中では少し異質だから。
あなたは腹を満たしたいのではない。
食べたいのだ。
人を。
それは、どうしようもないぐらい、どうしようもない事実であり、変えようがない現実だ。
他の人殺しは代用がきくかもしれないのに、あなただけは代用がきかない。
人殺しであるしかない。
殺したいから殺す殺人鬼と同じ。
殺すしかない人。
人を殺すしか道がない人。
人をやめた何か。
だからあなたは鬼だ。
人殺し以上、殺人鬼未満の鬼だ。