柿本京は読み違える。
「ええ、はい。二十代前半の男子。健康体です。はい、はい、毎度です。これで彼の命も無駄にならないで済みます」
通話終了のボタンを押す。
ふう、と息を吐く。どれだけ長くこの仕事をしていても、商談の電話というのは、未だに緊張するものがある。それが数百万の金が行き来する話なら尚更だし、人の命が行き来するのなら、更に尚更だ。
俺の仕事は、掻い摘んで簡略的に説明すると、無価値に消えようとしている命に、勝ちを与える仕事だ。
つまり、自殺志願者を出来るだけ良い状態で殺して、その体を売り捌くことだ。
髪を、血を、肉を、骨を、臓器を、バラバラに解体して、小分けして方々に売り渡す。そうする事で、彼らの無価値な死に、価値を見いだせる。そのついでに(まあ本音を言うとこれが狙いなのだが、まあ人間、建前も大事だ)金が手に入る。
「まあ、あの自殺志願者にはただの人殺しだと一刀両断されちまったけどな」
そう言えばあいつ、今どうしているのだろうか。
死んでいるような目……というよりは、死んでいる目をした、今まで出会った自殺志願者の中で一番異常じみていたあいつ。
俺の所に来ていないということは、まだ生きているという事なのだろうか。いや、あいつの事だ。いつの間にか死んでいても、まあおかしくは無いのだが、なぜだろう。
俺が見てきた中で、一番異常じみている人間なのに、それでも死んでいる姿が全く想像できなかった。死んでいるとは、思えなかった。
「ま、いつかまた会えるだろう」
どうしてか、そんな予感がした。
現れたのだ、あいつが。
***
カラオケルームに入るときは、今日来るメンバーの中で、一番最後に入る。
特に意味は無いけれど、昔からそう決めているルールの一つだ。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
「いや、先に来てるんで」
「お名前はなんとおっしゃいますか?」
「桜さんとか、真希さんとか、鈴音さんとか」
「えー、桜様でございますね」
ちょっとコンピューターを操作する受付。
そして、営業用の笑顔を向けて、十二号室です。と、俺に教えてくれた。
俺は、人一人なら充分に入りそうな大きさのアタッシュケースを三つほど持って、十二号室に向かった。
途中にあるドリンクバーで、少し迷ってからリンゴジュースを選ぶ。
他の部屋から漏れる流行りの曲、それを歌っている自分に悦になっている声が響く廊下を進み、十二号室につくと、そのままノックをせずにドアを開いた。
「神はばっするか!」
前に会った時となんら変わっていない、死んでいる目をしているあいつは。
自分が好きな曲を、のりのりで歌っていた。
あいつは俺が来たことに気づいているようだったが、今歌っている曲が終わるまで、やめる気は無いようで、俺は部屋に入ると、そのままソファに座った。
数分後、曲は終わり、得点が表示される。
92点。
普通に点数が高かった。
「ふー、スッキリした」
「久し振りにそのバンドの曲を聞いたな。いつだっけ、2010年ぐらいに少し流行ったよな。今じゃあオワコンだが」
「そのオワコンっていう言い方、嫌いなんだよね」
「へえ、どうして?」
「オワコンって終わってるコンテンツの略だよね? 終わってないよ、まだ新曲とか出してるよ。なんだよ、流行ってないと終わってる認定されるのか? いつの間に音楽はアクセサリーになったんだよ。なにが『え、まだそのバンドの曲を聞いてるの? ふるっ、今はセガハジでしょー?』だよ。お前らが着飾る為に音楽はあるんじゃねえんだぞ」
「お前ってさ、にわかとか嫌いだろ」
「にわかは良いよ。これから嵌っていけば良いんだから。嫌いなのは『音楽が趣味な私が好き』な奴だよ」
「お前、そんな事に一々目くじらを立ててたら彼女出来ないぞ」
「彼女ならいたよ」
現状、日本の創作物業界を支えているのはそういう類の人間とか、いわゆる腐女子という生き物なのだから、それは仕方ないことだし、硬派ぶっても駄目だろ、知ってるか? 人生っていうのは妥協なんだぜ?
なんて、続けようとしたその矢先、こいつはさらっと、どうってことなさそうに返してきた。
そりゃあ驚いた、こんな奴に彼女が出来るなんて思わなかったからな。
そもそも、友達がいるかどうかでさえ怪しいのに。
だから俺は、漫画なら目玉が飛び出してしまうぐらいには、驚いた。
しかしこいつは、そんな事がどうでも良くなるような事を、続けて言った。
「まあもういないけどね、殺しちゃったから」
「……」
口調からして、嘘はついていない。というか、そんな嘘をついてなんのメリットがあるというんだ。
人殺しに対して、人殺しジョークなんて、実際、あまり、面白いものでもない。
こいつも流石にそれは理解しているだろう。つまり、それは嘘ではない。
「……あそ」
なんだか会わない内に、いろいろ性格……というか、性質が変わっているようだった。
いや、元々その性質自体は破綻していたのだから、そのベクトルが変わった。と、いった方がいいのか?
「それでお前はどうしてここにいるんだ? ここに来るのは女の子三人のはずだぜ」
「ああ、それは僕だよ」
「はあ?」
「いわゆるネカマってやつ。ちなみにその三人とも、全員僕だよ」
なんとも気軽に、こいつは言ってのけたが、それに俺は唖然としてしまった。
ネカマが実際に存在したからではない。
別にネカマ自体は自殺志願者たちが集うあのサイトでも珍しくなく、一度ネカマに引っかかってからというもの、気をつけるようにはしていた。実際、その後からは俺はネカマに引っかかったことは一度もなかった。
それぐらい、気を張りながら、何重も確認していたのに、こいつはそれをさらりと抜けてきやがった。しかも三人分も。
「なんつうか……自信無くなっちまうなぁ」
俺は一回、深くため息をついてから。
「まあ、いいか。んで、わざわざ人を騙すような事をしてまで、俺に会いに来たんだ?」
「うん、二つぐらい、聞きたいことがあって」
こいつは、指を一本立てた。
一つ目の質問、と言う事なのだろう。
「お前ってさ、家族を殺してる?」
果たして、最初にきた質問は、余りにも馬鹿らしい質問だった。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、阿呆らしいと思いながらも、俺は年上として、年下の純粋な疑問に、真面目に答える。
「殺してない、そもそも殺す必要すらない。どうしてわざわざ家族を殺さなきゃいけない。保険金があるなら別だけどな、残念ながらうちはそこまで金持ちじゃねえんだ」
「なんだ……おかしいな、予想と全部違う」
「なんの予想をしてたんだよ」
「いや、人殺しは皆家族を殺してると思ってたから」
「なんでそんな暴論になったんだよ」
「殺人鬼と予備軍。今まで会ってきたその二人は家族を殺してるみたいだったから、そうなんじゃないかって。ただ、童女はそうじゃなかったし、お前も違うのなら実はそうでもないのか?」
今まで遭ってきた人殺しとか、なにやら不穏なセリフはまあ一旦捨てておこう。いや、捨てておいちゃあ駄目なんだろうけど。
「そりゃあ流儀じゃなかったからだろ」
「流儀?」
「流儀っていうか、ルール。人を殺す条件みたいなもんだ」
俺らだって決して、殺したくて殺しているわけではない。
例えば俺にしたって、殺したその副産物として金が手に入っているという訳ではなく、逆に金を手に入れるその過程に、偶然、偶々殺しがある。が、まあ正しいのだろう。
なんだかこう、自分の事をこう冷静に分析してみたりすると、まるで自分が異常な事に気づいているように見えるけれど、実際、その通りだったりする。
植物の心のように静かに暮らしたい、平穏を望む、触れたものを爆弾に変える能力を持つ、異性の手首を偏愛する殺人鬼が、己を殺人鬼だと自覚していたように、俺は俺が人殺しだということを自覚している。
生まれたばかりの子供なんかじゃないんだ。長年自分と向かい合って生きてきた。だから自分が周りと比べてズレた価値観を持っていることぐらい、理解している。
だから俺はこうして、己がやっているその行動に正当性を与えている。
自殺志願者の命に価値を与え、今まさに無くなろうとしている命に価値をつける。
誰一人損しない、正当性。
自分のズレた価値観に正当性を与えて、俺は生きている。
しかしこいつは、理解していない。
おおよそ、恐らく、自分がおかしい事には気づいているだろう。まさかそこまで狂っておきながら、自分が狂っていないと言い張れる、ある意味強い精神をこの死んでいる目が持っているとは思えない。
だからこいつは、自分がおかしい事は理解しているはずだ。
ただ、どう自分が狂っているのかは理解できていない。
右に曲がっているのか左に曲がっているのか、上にズレてるのか下にズレているのか、そもそもズレるような軸が自分にあるのかさえ、分かっていない。
自分のことが分かっていない。
鏡を見てもそれが自分だという事に分からない程度に。
果たして、こいつはそれは分かっているのだろうか。
分かってないのを、分かっているのだろうか。
「ふうん、なるほど」
死んでいる目のこいつは、しかし、質問してきたくせに興味なさげに呟いた。
しかしそう考えてみると、どうしてこいつがわざわざ来たのかも察しがつく。
探しに来たのだろう。
自分を。
同じようにズレている人を見て、己を見る為に。
それには確かにここはうってつけだ。なんせ、人殺しと自殺志願者。二つのズレた人種が存在するのだから。
しかしこの様子から鑑みるに、どうやらその宛は外れたようだ。
一つ目の質問を終え、そいつは二つ目の質問を俺に投げかけてくる。
それに俺は答える。
そいつはその答えに少し納得してない風だったが、しかしやはり、また「あっそ……」と軽く答えた。
なんだろうか、もしかしてこの質問自体には意味などないのだろうか。
「ふう……」
しかしなんだこの部屋。
なんか暑くないか?
まるで、さっきまで暖房がつけられていたみたいだ。
俺は手を扇子のように使って、自分を扇ぎながら、持ってきたリンゴジュースを口に含んだ。
含んで、喉を通して――コップを落とした。
パリン、と音をたてて割れるコップを見送ってから、俺は自分の痙攣している手を見る。
緊急事態のはずなのに、どうしてか、頭が働かない。震える腕を見ても頭は『震えている』とだけしか理解できていないようだった。
ようやく頭が異常だと理解した時には毒は体中に回っていて、俺は膝から崩れ落ちるように、床に自らの体を叩きつけるようにして、倒れた。
口からは血が溢れ、意識はどんどん遠のいていく。
どうやら俺は一服守られてしまったらしい。
なるほど、あの質問は俺が毒を飲むまでの時間稼ぎだったのか。
しかしこんな仕事をしている手前、そういう事には気を使ってきてきた。たとえ相手がこいつだとしても、俺はそんな、毒を盛るような隙を見せなかったはずだ。
一体どこで――。
「ドリンクバーだよ」
「あそこのタンクの中に、僕は毒を仕込んだ。お前が使うような仮死状態にする薬じゃなくて、速やかにあの世に送ってくれる毒を原液で。僕が二番目に死に迫れた毒だから、その強さは保証しておくよ」
「まあ」
「こうして僕は生きているのだから、もしかしたら生き残れるのかもしれないけどね」
そう言ってあいつは部屋から出ていった。
外からはあのいけ好かない、悦にはいった歌声が一切しなかった。
どうやらあいつは、俺がどれを飲むのか分からないから全部に毒を仕込んでいたらしい。
可哀想に。とは思わない。
思った所で、その死に価値がつくわけではないのだから。
彼らはただ、運が悪かっただけ。
人殺しと自殺志願者。
仲売人と生霊の話の近くにいてしまった。たったそれだけなのだから。
彼等の死には価値はない。
強いて言うなら、演出としては価値はある。
……。
俺の死には果たして、意味があるのだろうか。価値があるのだろうか。
それはまだ分からないけれど、多分無いのだろう。