9 眼差し
悩み抜いた結果、私が選んだのはシン様の近くにいることだった。
怪我がすっかりよくなった後、シン様の仕事をする姿が見たいとお願いして、他国と関係する書類など機密な物以外の時は部屋にいさせてもらっている。
見学初日にダンスのお礼を伝えられたし体の調子を聞けた。後は専念できると椅子に座って意気ごむ私をシン様は困ったように笑った。
「ここ何日かそうしているけれど、退屈していないかい?」
紙面に走らせていた手を止めてこちらを見たシン様に首を横に振る。
「いえ、普段見ることのできないお姿を見られて嬉しいです!」
言い訳に必死なあまり顔が熱いけど、今回は顔が熱くても泣いてしまったとしても止められない。次期国王様の命が狙われているのだから。
ティアさん達に側にいてもらおうかとも考えたけど、ルーチェ様がどんな行動をするか分からない。実の兄の命を狙うというなら、他の人にはもっと非道かもしれないと考えたから。
「そんなふうに言ってもらえて嬉しいけれど、あまり見られると照れてしまうね」
頬を赤くするシン様に私もますます顔が熱くなる。
けれどふと真剣な表情を浮かべたシン様に私は首を傾げた。
「――改めて、リタが君に怪我をさせてしまって本当にごめんね」
「いえ! もう治りましたからリタのことは怒らないであげて下さい……!」
怪我が治った後に会いに行ったらリタはしょんぼりしてて元気がなかった。
元気になってほしくていっぱいなでたら一鳴きして頬を舐めてくれて。本当に安心してしばらくなでて舐められてを繰り返していたら、様子を見にきてくれたメイさんが髪まで濡れていた私に驚いていたな……。
「そんなふうに言ってもらえて助かるよ。――そうだ、今日はみんなで出かけたいと思うんだけど、どうかな?」
机の上で書類を一つにまとめたシン様がにこりと笑った。
シン様の提案に急いで支度を整えて馬車でしばらく揺られて進む。クオーレ地区を越え、隣の地区で馬車は止まった。
「着いたようですね」と今日も優しそうなラナさんの笑顔に和みながら馬車を二人で降りれば、大きな川が流れ、花が咲き乱れる風景が広がっていた。
川の音や風が吹くと揺れる花の様子がとても新鮮に感じられて心が浮き立つのを感じる。
「僕は水質調査を兼ねているけれど、みんなは地区内を歩いてみるといいよ」
「アックアは緑が多いし、クオーレとはまた違うお店もあるからね」と穏やかに言うシン様に私達は弾んだ声で頷いた。
少し離れたところにいるカリーナさんとティアさんも嬉しそう。
考えてみると王宮の側から離れたのは久しぶりなんだよね。色々あってあっという間だからなぁ……。
ルーチェ様は王宮内で仕事があるから一緒にきていないし、シン様の護衛にはお父さんもきているから安心。
今日はゆっくりできそうで体の力が抜けるのを感じる。
「行きましょう」と手を引いてくれるラナさんに笑顔で頷いた。
「カルドーレさんはシン様のことをどうお思いですか?」
歩き疲れた私達が広場と思われる場所にあったベンチで休憩していた時のこと。
後ろに控えているルーナさんから飲み物を受けとり、一口飲んだラナさんがそう言ってきた。ちなみに、メイさんは王宮内でどうしてもすませなければいけない仕事があるそうでここにはいない。
突然の質問にラナさんに次いでルーナさんが渡してくれたカップを持ったまま固まってしまう。
「あの……どう、とは?」
隣に視線を向けると、頬をほんのり赤く染めたラナさんが遠くを見ているような表情をしている。
「私、両親の繋がりからシン様とお会いすることがありますけれど、お優しい方でしょう? ご自分を犠牲にされても仕事に励まれていて胸をうたれます」
「あの、シン様は蛇神様の血や力を受け継がれても数日前のようによく体調を崩されるのでしょうか?」
気になっていたことを聞くとラナさんは伏し目がちになって悲しそうな横顔を作る。
「前に聞いたことがあります。神様の血や力を持っていてもやはり人の身。常に万全とは限らないそうです」
「そうなんですか……」
「ええ。だからいつも心配しています。シン様は大切な人ですから」
目を細めた横顔が悲しそうなものから違うものに変わったように見えて私は何も言えなくなる。
ラナさんはすごくシン様のことを思っているんだ……。
「ラナ様」とルーナさんが呼ぶとラナさんはハッとしたように私を見て笑った。
「私ばかり話してしまってごめんなさい。カルドーレさんはシン様をどうお思いですか?」
改めて聞かれて考える。
シン様の印象は綺麗な人で優しくて。側にいると緊張するけど、きっと悪い意味じゃない。
「上手く言えないんですけど、家族とは違うし、実家の料理屋にきてくれるお客さんとも違う。優しくて、でも近くにいると緊張してしまう、そんな感じです」
「まあ! 本当ですか!」
「え……っ?」
急に大きな声を出したラナさんが私の両手を取り、不思議に思ってしまう。
ルーナさんが咳払いをすると何故か慌てたように手を離してしまってますます不思議で。
「ラナさん……?」
「休憩してしばらく経ちましたから、またお店を回りましょう?」
「私行きたい所があるんです」とベンチから立ち上がったラナさんが私の手を引いて立たせるものだから、疑問はうやむやなまま再び歩き出すのだった。
あちこちのお店を回り、ルーナさんからそろそろ戻る時間だと知らされた私達は最後に一軒の雑貨屋さんへと足を運んだ。
木製の建物は温かみがあって商品は可愛いものから実用性があるものまで様々。見ているだけで楽しくなる。
色々なものを見ていると二つの商品に目がとまった。
二つの商品はペンダントで、金色の太陽の形のペンダントトップと銀色の月の形のペンダントトップがそれぞれついている。
太陽には青色の、月には赤色の石のようなものが端のほうに一つ埋めこまれていた。
「お嬢ちゃんお目が高い! それはシン様とルーチェ様をイメージしたものだよ」
「可愛いだろう?」とお父さんくらいの年で体格のいい男性が笑う。
確かに太陽はルーチェ様、月はシン様にピッタリだと思う。――ルーチェ様は近頃分からないけれど……。
「ウチの息子が作った一点ものだが買ってかないかい?」
一点ものという言葉に迷う。――実は好きなものを買うようにとみんながシン様からお小遣いをいただいている。
でも私は申し訳なくてほとんど使えずにいた。
「まあ。素敵なペンダントですね」
買い物を終えた様子のラナさんが袋を手に持って明るい声で言う。
「これを買うのですか?」
ラナさんの手で持ち上げられて揺れる月を眺めながら、私は曖昧に返した。
ほしい気持ちはある。でもペンダントは値が張っていてお金を使うのは気が引けてしまう。
迷っていると「カルちゃん……?」と呼ばれて後ろを振り返った。
そこに立っていたのは、ソレドによくきてくれる、短い黒髪に明るい笑顔が印象的な兄のような存在のミレさんだった。
「こんなとこで会うなんてな。元気にしてたか?」
「はい! おかげ様で元気です」
思いもよらないことに嬉しくなってしまう。
「カルドーレさん、そちらの方は……?」
目を丸くするラナさんに慌ててミレさんをお店のお客さんだと紹介。
「そうでしたか。私はラナと申します。カルドーレさんには共にシン様の婚約者候補の希望者としてお世話になっています」
上品な仕草で挨拶をしたラナさんにミレさんもおじさんも目を見開いて驚いたような声をあげた。
「ソーレさんが言ってたのは本当だったんだな。新手の冗談かと思ってた」
ミレさんが言うとおじさんはミレさんの肩を音がしそうな勢いでつかんだ。
「そうかそうか! ならこの月のペンダントはどーんと値引きしてやるよ! 見習い中のこいつの作ったものだしな!」
「これ買ってくれるのか! 親父がやっと商品として認めてくれたものなんだ」
頬を赤くして「ありがとう」と笑うミレさんに何だかこちらも温かい気持ちになる。
悩んだ結果、記念に買おうと決めて少しだけ安くしてもらって月のペンダントを購入した。
「またな!」と手を振ってくれるミレさんと横で見送るおじさんに何度も頭を下げてお店を後にした。
「いい買い物ができましたね」
「――はい。嬉しいです」
首にかけられて揺れる月はキラキラと優しく光って、シン様の髪とよく似ている気がした。
出かけられて楽しい気分は帰りの馬車の中で一気に混乱へと変わった。
疲れが出てしまったのかラナさんが高熱を出してしまって。
急いで熱を少し下げて、馬車の窓から運転手さんに急ぐようにお願いした。
運転手さんは詳しい説明をしなくても緊急事態と察してくれて馬を走らせる速度をあげた。
シン様が乗った馬車も似たような速度で後をついてきてくれて、王宮の前で二台の馬車が停止する。
「何かあったのかい?」
すぐに馬車を降りてきたシン様に急いで駆け寄った。
「ラナさんが熱を出してしまったんです!」
「分かった。僕が彼女を運ぶよ」
シン様は馬車に入るとラナさんを横に抱くようにして降りてくる。
ラナさんの頬は赤く息づかいが荒い。
「君はここで他の人を待って、着いたら説明をお願いできるかな?」
「はい! ラナさんをよろしくお願いします……っ」
「まかせて」と言ってシン様はラナさんを抱きあげたまま王宮へと入っていった。
いつの間にか馬車は二台ともいなくなっていたので、私は入り口近くで他の人を待つ。
ラナさんが無事であるようにと、ペンダントを握りしめた。
みんなが王宮に着いて事情を説明をした後はその場で解散となり、私は部屋へと戻ってきた。
隣の部屋がずっと気になって晩ご飯は部屋で食べさせてもらって。
その後はラナさんの部屋の近くをずっとウロウロしてしまった。
「カルドーレ様、お疲れでしょうからお部屋でお待ち下さい。カルドーレ様まで体調を崩されては大変です」
心配そうなメイさんに申し訳なくて、私は部屋へと戻る。
「わたしがかわりにお聞きしてきます!」と頼もしく部屋を出て行ったメイさんの帰りをじっと待つ。
外は雨が降り始め、雨が窓にぶつかる音が微かに聞こえている。
やがてノックの音が聞こえ、「どうぞ」と返すとシン様が部屋へと入ってきた。
シン様はラナさんのところにずっといたのか出かけた時と同じ服装だ。
「心配をかけてごめんね。だいぶ落ち着いたからもう大丈夫だよ」
「メイには僕から伝えると言っておいたから」と笑顔のシン様に一安心。
よかった。
ソファーに座っている体から力が抜けるのを感じる。
横へと腰を下ろしたシン様は何故か私のほうをじっと見て無言になった。
「シン様? ――!」
じっと見ていたかと思うとシン様は急に距離を縮めて近づいてくる。
「――気に入らないな」
「え……」
低く絞り出すような声に一瞬誰が話したのか分からなくなる。
けれど今この部屋にいるのは私とシン様しかいなくて。
「このペンダント外してくれないか」
低い声のまま続けられ、シャラ、と涼しい音にペンダントに触れられていることに気づいた。
シン様は次いでペンダントトップを引っ張り、外すようにもう一度聞いてくる。
でも私は外したくなかった。シン様に似ているこのペンダントを言われるままに外したら、シン様の拒絶を受け入れてしまうようで悲しくて。
迷う私に息を吐いたシン様の目は氷のように冷たい光を放った。
「――外せと言ってるだろう……!」
シン様の荒げた声と共に月の飾りを強く引かれて首に痛みを感じた瞬間、ブツリと耳障りな音が響いた。
やがてペンダントトップを持った大きな手に力がこめられ、粉々になった破片が目の前でバラバラとこぼれ落ちていく。
「あ……っ」
シン様の変わりように言葉が出てこない。体が震え涙が次々とあふれてくる。
そんな私を見るシン様の表情には感情が見えなくて、赤い瞳だけが冷たい光を持っている。
「君は何故ここにきたんだい? 他の男に近づくのが目的なら不愉快だ……!」
吐き捨てるように言うとシン様はそのまま部屋を出て行ってしまった。
「なんで……?」
ソファーの上に散らばった破片をかき集めながら、いくら考えてもシン様の様子が変わった理由が分からない。
そんなに私のことが嫌いだったのかな……?
優しくしてくれたのもやっぱり王子としての役目だったんだ……。
早く家に帰らなきゃ。
ルーチェ様のことが解決したらその後すぐに。
集めた破片や壊れて落ちたチェーンとその一部を拾い上げ、私はそれをぎゅっと握りしめた。