8 夜間の訪問者
――体が熱い……。
重たいまぶたを開くとフカフカとした柔らかい感覚にベッドの上にうつぶせでいることに気づいた。
起きあがろうとしたら背中に痛みが走ってベッドにまたうつぶせる。
顔だけを横に動かしてあたりを見ると自分が使わせてもらっている部屋で、蓄力石の光が微かな明るさを作っていた。
確かリタが急に取り乱したんだよね……。ティアさんは無事なのか、リタは怒られたりしていないか気になるけれど動けそうになくて。
部屋を照らす光、窓にカーテンが閉められていて光がもれていないからおそらく夜。
呼吸をする度に感じる痛みに耐えながら、熱にぼんやりしていると扉が静かに開かれて誰かが入ってきた。
顔を横に向けて見えた姿に私は一瞬息が止まる。
ベッドの側で立ち止まったのはティアさんだった。昼間に見た表情とは一変して戸惑ったような様子に内心首を傾げながら、怪我をしている様子はなくて胸をなでおろす。
私と目が合ったティアさんは視線を左右に走らせた後、もう一度私のほうを見た。
「目、覚めたんだ」
「はい。少し前に……」
「そう」と言ったきり、ティアさんは顔を横に向けてしまった。光からそらす形で影になった表情は分からない。
「――昼間にかばってくれたのは感謝してる。だけど」
言葉を切ったティアさんは再び私のほうを見た。
真剣そうな表情に私も緊張してきて心拍数があがる。
「シン様のことは譲る気ないから。――あたしの家は大家族だから後ろ盾がほしいの。だから、あたしは彼を愛して彼に愛されなきゃいけない」
「ティアさん……」
ティアさんの希望理由に思わず泣きそうになる。
みんなシン様に惹かれて希望したのだと思っていたから、ティアさんのように家族のためと言われるなんて考えてもいなかった。
家族のために人を好きになろうとしているなんて――。
考えこんでしまうとティアさんがふと笑って私の目尻を強くこすった。
「また泣きそうになってるし。本当涙もろいんだね」
仕方ないと言った表情がお母さんの姿に重なって見えて急に会いたくなる。
私は手を伸ばしてティアさんの手に触れた。温かくて柔らかな手の感触に何だか安心する。
「ティアさんって私のお母さんに似てます。厳しいけど優しいところもあって……」
「ちょっと止めてよ! あたしまだ十八なんだから」
顔を赤くして慌てだしたティアさんを見て頬が緩む。
冷たい言い方に怖い人かと思ったけれど、それだけじゃなかったみたい。怪我は痛いし苦しいけど、そのことを知れてちょっと嬉しくなった。
「――っ、あたしもう部屋に戻るから……!」
「治療する人がくると思うからおとなしく寝てなさいよ!」とティアさんは足音を立てながら部屋を去って行った。
……おとなしくって言われても動けないのに。
枕に顔をうめるようにしてじっとしていると、色々なことが頭に浮かぶ。
シン様はよくなったのか。お母さんは元気にしているのか。
シン様にお礼言えてないままだな……。
それからどのくらい経ったのかは分からないけれどじっとしていた。
熱でぼんやりしていたからか、背中に何かが触れる感覚がして体がはねる。
「痛……っ!」
「! ごめん! 寝てると思ったから――」
「ルーチェ様……?」
痛みに涙を浮かべながら枕にうめていた顔を横に動かす。
少し前にティアさんがいた所にいつの間にかルーチェ様が立っていた。
「寝てると思ってこっそり入ってきたんだけど、ビックリさせてごめんね?」
「いえ……大丈夫です」
ボーッとしてたからか全然気づかなかった。
ルーチェ様は眉を下げて困ったような笑みを浮かべて、もう一度私の服ごしの背中に触れる。
痛みを感じないくらいに触られて一定の場所に手が置かれた。
「……うん、痛いのはこのへんかな?」
「はい。ルーチェ様には場所が分かるんですか?」
「こう見えて回復能力を使えるからね。――リタが足をずらして乗りあげるのは防げたみたいだ。それでもけっこう重そうだから一回では完治させてあげられないと思うけど……」
私が回復能力を使うのはすり傷や切り傷、軽い打ち身や発熱などがほとんど。重そうなものは治しきれないし私一人では心配なので、少し痛みをとるなどをして他の人にお願いしていた。
能力に個人差はあっても、王族であるルーチェ様でも治しきれないことがあるのかと疑問に思う。
「私は回復能力を未だに上手く使えないのですが、ルーチェ様でも治しきれないことがあるのでしょうか?」
「うーん、ボクでもというよりはみんなそうだと思うよ」
え……!
内心で叫んで目を大きく開く私を見て、ルーチェ様は背中に手をあてたままおかしそうに笑う。
手があたる場所は熱がある中でもじんわりとした温もりが体の中に伝わってくるのを感じた。
「もしかして知らなかった? どんなに回復能力が優れた人でも重い症状のものとかは一回じゃ治せないと思うよ。能力を長く使い続けることはできないし、対象の人の負担にならないとは限らないからね」
「トリステさんも同じだと思うよ」と言われて私は驚いた。お父さんや他のほとんどの人は早く完治する能力があると思っていたから。
「個人差はあるから、優れた人は回数を少なくできるけどね。あと、能力は万能じゃないから、逆にどんなに力を持っていても治しきれずに悪化してしまうこともあるよ」
それは知らなかった。今までずっと思いこんでいたし、考えてみればお父さんに詳しく聞いたこともないし、お母さんに聞いてみたこともない。
「うん、これくらいが限度かな。痛みはほとんどなくなったと思うけど起きてみてくれる?」
ルーチェ様の言葉に恐る恐る起きるために体を動かす。
息をしても感じていたのが嘘のように痛みが軽くなっている。
手を借りて立ちあがって少し歩いてみても支障はないみたいだ。
「うん。動けるくらいまではよくなったね。前側のほうの傷は早くに治しておいたから大丈夫だよ」
「ありがとうございます……!」
こんなにすぐに楽になるなんて感動した。裏を返せば今まで大きな怪我や病気がなかったからいいことなんだけどね。
「明日もう一回治療したら治ると思うけど無理はしないでね」
笑顔のルーチェ様に感謝の意味をこめて笑顔でもう一度お礼を伝える。
するとルーチェ様は私の手をひいてベッドに倒れさせ――覆い被さってきた。
背中に感じる微かな痛みと弾力、軋むスプリングの音に一瞬何が起きたのか分からなくて、笑顔を消したルーチェ様を見つめた。
「ルーチェ様……?」
「――本当キミって無防備だね」
大きな手ですっと頬をなでられ、やがて首にたどり着いて軽く押さえるように力を入れられた。
「ダンス練習の時を忘れちゃったの? 夜遅くに怪しいヤツが入ってきたのにおとなしくしちゃって――ああそれは怪我をしてたからか。ごめんね? リタの暴走は予想できなかったよ」
目を弓なりにしても笑っているようには見えなくて体がガタガタ震え出す。
少し前まで熱があったせいか血の気がひいて余計に寒く感じた。
あれは演技じゃなかったの……?
「ねぇ、兄さんじゃなくてボクの婚約者にならない?」
「え……?」
「兄さんは激務が多いから体調が万全じゃないし、今ならボクにも叩けると思うんだよね」
「どう?」と首を傾げるルーチェ様がひどく恐ろしい存在に見える。血の繋がった兄弟なのにそんなことを軽く言えるなんて――!
「あ、もしかしてその顔怒ってるの? 全然怖くないよ!」
「そう言うことは関係ありません……! ルーチェ様には婚約者がいるとお聞きしましたし、蛇神様の血を引くのは第一王子の方だけだと――っ」
言葉を切るように首をつかむ手に力を入れられて少し息苦しさを感じる。
婚約者の話はティアさんから聞いているし、第二王子以降の方が王になった話は聞いたことがない。
「婚約者は形式上いるだけだから大丈夫。それに歴代に例外がいたのを知らないんだ?」
面白そうに笑うルーチェ様をじっと見た。
例外がいたのは学校に置いてあった本を読んで知っているけど、でもそれは――。
「例外がいらっしゃったことは知っています。でもそれは双子の方がどちらも蛇神様の力を受け継いだために、特例として二人とも第一王子として名乗られ、二人が国王となって協力して国を治められたと本で読みました」
後継者は双子の兄にあたる方のご子息となり、今の代に続いている。
私が答えるとルーチェ様は笑みを消して首から手を離した。そらされた顔は暗くてよく見えない。
「ふぅん。国のことよく知ってるんだ。そうだよ。例外はそれだけ。だからボクは興味あるんだよね。第一王子が死んだら蛇神様の血と力はどうなるのかを、さ」
「そんなこと……っ」
私が起きあがろうと目の前のルーチェ様の肩を押すと呆気なく体が離され、起きあがることができた。
ルーチェ様は立ちあがった姿勢のままこちらをじっと見ている。
どうすればいいの? シン様に知らせるべき?
――ダメだ。私の言葉より弟であるルーチェ様の言葉のほうが信憑性がある。
私にできるのはシン様の盾になるくらいしか――。
悩んでいるとルーチェ様がクスリと小さく笑い声をもらし、意識が現実へと戻ってくる。
「もしかしてボクと戦おうとしてる? それなら止めときなよ。非力なキミじゃボクに傷一つつけられないから」
「あ――」
「交渉決裂だね。まあせいぜい兄さんがボクに殺されるのを近くで見てるんだよ」と言い残しルーチェ様は足早に部屋を出て行ってしまった。
その後呆然とベッドに座っていると様子を見にきてくれたメイさんに安心して泣き出してしまい。
慌てるメイさんに言えたのは「明日の治療はお父さんにしてほしい」だった。
首をひねりながら頷いてくれたメイさんに抱きつきながら、頭の中はグチャグチャで。
これからどうすればいいんだろう……。
私は大変なことに巻きこまれてしまったのかもしれない――。