6 ダンス
「さあカル、もう一度」
ダンスホールの床に座りこむ私に笑顔で手を差しのべてくるお父さん。
疲れからか拒否反応からか、腕は震えて脚はガクガクと言っている。それでもお父さんは笑顔のまま私の両手をつかんで引き、立ち上がらせた。
「基本のステップだから頑張ればできるはずだ。さあ、最初から始めるよ?」
緊張状態に涙がこぼれても今のお父さんには意味がないようで、さっと涙を拭かれてステップの動きが始まった。
初めてお父さんを嫌いになりそう……。
――ことの始まりは次の試験内容を知らされた時。
シン様が立てこんだ国務で忙しく、数日間時間がとれないことをメイさんから伝えられた。
次の試験はダンスなので、踊れる人は自由に過ごしてほしいと言う内容に私は体の熱が下がっていくのを感じ、顔色を心配してくれたメイさんに言葉通り泣きついた。
メイさんにダンス経験がないと言うと「そういうことでしたら、時間もありますしレッスンしましょう!」とにっこり笑顔。「わたしが先生としてピッタリな方をお連れします」と連れてこられたのがお父さんだった。
お父さんがダンスを踊れることに驚きながらも、きっと優しく教えてくれるに違いないと思っていた。――練習が始まるまでは。
「あ……っ!」
ステップを間違えてバランスを崩してしまい。時にはお父さんの足を思いきり踏んでしまい。
足元に集中しすぎて上半身の動きがおかしくなって結局バランスを崩してしまったり。
一日のほとんどを練習に費やして、それが四日目になっても形だけでも全くできそうな気配がなく、お父さんはついに困ったように笑った。
「そういえばカルは運動が苦手だったね。ワタシもすっかり忘れていたよ」
「気づくのが遅いよ……」
今夜が本番、一人ずつシン様と踊るのだと今日の朝に告げられて、私は部屋に籠もりたくなった。
それでも自分のことのように応援してくれるメイさんに気力を振り絞って練習を続けていた。
本番に合わせて今の服装はドレス。もちろん借り物なのだけど、服装が違うだけで私の下手ぶりは力を増していて。
「休憩をしようか」とすすめられた椅子に腰かけ、私はまわりを見た。
ラナさん、カリーナさん、ティアさんも本番に向けて綺麗なドレスを身に纏い、だけど私とは違って優雅にステップを踏んでいる。
演奏される音楽に合わせて、パートナーとの息が合っているのだろうと詳しくない私にも感じられた。
「カルもみんなに負けていられないね」と聞こえる励ましは、ますます私を落ちこませるばかりで目尻には涙が浮かんでくる。
思わずうつむくと、目の前に誰かの足元が見えて影になった。
「うつむいてどうしたの?」
聞きなれない声につられるように顔をあげると、薄紫の髪に青色のつり目を持った私より少し年上くらいの男の人が笑顔で立っていた。
「うわぁ! ルーチェ様だー!」
大きな声に視線を向ければ、カリーナさんが踊るのを止めてこちらに手を振っていて、目の前にいる人は慣れたように振り返している。
「兄さんのかわりに様子を見にきただけだから練習を続けてね」
ラナさんやティアさんも踊りを止めて演奏も止まっていたため、男の人はそう言って視線を動かした。間もなく音楽が響き、三人の踊りは再開される。
私は踊りを見ながら、未だ近くにいる人のことを考える。ルーチェと言う名前はどこかで聞いたことがあるような――。
「あ……っ」
大声をあげそうになって慌てて口に手をあて声を閉じこめる。私の驚いた様子に、男の人は悪戯が成功した子供のように笑った。
「初めまして。ボクは第二王子のルーチェです。よろしくね」
差し出された右手に、名乗り返しながら私は震える右手を差し出したのだった。
「うーん、少しはよくなったかな? もう一回いくよ!」
シン様とは違う、太陽みたいな笑顔で放つ言葉は刃のように私の心へ刺さる。
緊張やら恥ずかしさやら申し訳なさやらで頭がグルグルしている私に構わず、ルーチェ様は練習を再開。
……私は何でルーチェ様と練習しているんだろう……?
「ここでステップ、あ、反対の足だよ! 今度はこっちこっち!」
ルーチェ様はひらめいたように「ボクが教えてあげる!」と言い出し、気遣わしげなお父さんを笑みで納得させてしまった。「ルーチェ様にしっかり教わるんだよ」と父は嬉しそうにダンスホールを去って行き。
王子様が自ら細かく指摘して教えてくれるのはとてもありがたいことだと思う。でも慣れない私には逆効果な気がするんだけど……。
お父さんとの練習よりも修正の仕方が半端じゃなくて。手を引かれ何だか操り人形になったみたいだった。
「手はもっとこう! 近づかないと危ないよ!」
「わ……!」
バランスを崩しかけてしまい、倒れると思った瞬間手を強く引かれた。
固い胸元に受け止められて顔に熱が集中していく。
「あれ? このくらいで照れるんだ――」
「!」
「妬けちゃうね」と耳元で低く囁かれた言葉に体が強張る。
恐る恐る胸元から離した顔を上げれば、笑みを消し、暗い目をしたルーチェ様と視線が合ってぞくりとする。
明るい様子から一転底知れない様子に私は運動からではない汗が流れるのを感じた。
「……最初に生まれたからって特別扱いされて。こうやって婚約者候補の希望者を集めたりしてさ。――本当に腹が立つ」
演奏の中、他の人には聞こえないくらいの声量で絞り出すような言葉に私は声を失った。
今までは第一王子の方が順調に次期国王となっているのだろうと思っていたし、学校でもそう習っていた。
けれど、今目の前で私の手を痛いほど握り表情を歪めるルーチェ様の様子に、実は詳しいことは何も知らないのではないかと思ってしまう。
「あの……」
「――なんてね! 冗談だよ。驚いた?」
何て返したらいいのか戸惑っていると、ルーチェ様は再び明るい笑顔を浮かべた。
「兄さんが女の子達とダンスをするって言うから羨ましくなっちゃって!」
「ボク、演技上手いでしょ?」とさっきまでのことが嘘のように笑うので、張りつめたものが切れて涙がこぼれてしまった。
よしよしと頭をなでてくれる手は温かくて、今更ながらシン様との体温の違いに気づく。
「ごめんねー」と言われて「こちらこそすみません……」と謝りながらも、私の記憶には表情を歪めたルーチェ様の姿が残ってしまった。
それから一度通して踊ってみても怪しいところだらけに終わってしまい、「本番は兄さんが相手だし足を踏んでも大丈夫! 気を楽にすればいいよ」と不安になるアドバイスをもらった。
「そろそろいい時間みたいだし、ボクは他の子とも踊ったら仕事に戻るから、またね」
手を大きく振るルーチェ様に頭を下げて見送る。
カリーナさんと楽しそうに踊る姿を見ながら、私は小さく息を吐き出した。
夕食を食堂でいただいて休憩を挟んだ後、着替えた私達はダンスホールへときていた。
照明に照らされた室内は昼間とは違う雰囲気が漂い、知らない場所にいるような気持ちになる。
また、会ったことのないメイドさんや他にも王宮で働いていると思われる人などたくさんの人が集まっていた。メイさんはメイドさんが集まっている場所にいて時々こちらへ笑顔を向けてくれる。
その中で私は壁に寄りかかって一息。視線を落とせば自分の瞳より少し濃い色のドレスが目に入り、動けば揺れるイヤリングの存在を強く感じる。
メイさんによって綺麗に整えられた髪も薄く施されたお化粧も、どこか他人ごとのような気さえしてしまって。
ぼんやりしていると、青いドレスを着たラナさんが人の間を縫って私のほうへ歩いてきた。
長い黒髪は高い位置で結われドレスと同じようにとても似合っている。
「いよいよ本番ですけれど、調子はいかがですか?」
「不安だらけです……」
私が曖昧に笑うとラナさんは優しく笑って私を抱きしめてくれた。
「大丈夫です。精一杯踊れば、きっとシン様に思いは届きますから」
「お互い頑張りましょうね」と言われて頷くので精一杯だった。
お母さんの推薦で、いずれ辞退するつもりの私はシン様と踊っていいのだろうか。そのことが心にのしかかる。
もやもやとした気持ちを抱えながら、踊り始めたシン様とティアさんを見つめた。
――ティアさんは深紅のドレスに身を包み、凜とした雰囲気を漂わせながら踊り、カリーナさんは淡い黄色のフワフワとしたドレスで、終始可愛らしい印象だった。
ラナさんは静かに上品に踊りきり、たくさんの拍手に包まれて。
シン様と踊る姿は三人ともとても絵になっていて足がすくんでいく。
やっぱり私には最初から場違いだったんだ……。
手をギュッと握って今にも流れそうな涙を我慢する。
すると握った手を白い手袋に包まれている手に持ちあげられた。
あがっていく手に視線を向けると手はやがて止められて、前に立っている人にハッとする。
後ろにまとめられた白銀の髪が光できらめいて、赤い瞳を細めているシン様がいた。
「泣かないで」
目尻に浮かぶ涙を手袋ごしの親指で拭ってくれる。
「最後は君だよ、カルドーレさん」
距離を縮めたシン様が私の手をとったままホールの真ん中へと歩いていく。
歩みが止まると演奏が始まって、シン様はもう片方の手もとった。
「さあ笑って? 君のペースで始めよう――」
促されて一歩動かせば、それに合わせてシン様が動いてくれる。
「あ……っ」
「大丈夫」
たどたどしい足どりで足を踏みそうになるのに、その度にシン様がさり気なく足を動かして踊りが止まるのを防いでくれて。
何度も繰り返していると名前を呼ばれ、顔をあげるとシン様がホッと息をついた。
「やっと顔をちゃんと見れた。せっかくお洒落をしているのに見れないのはもったいないな」
「そんな……っ」
慣れない言葉に照れてしまう。
「ふふ、化粧をしていても頬が赤いのが分かるね」
「あ、あの……っ」
恥ずかしさにまた泣きそうになると、「ごめん、困らせたね。――あと少しで曲が終わるから、もう少しだけ僕のほうを見ていて」と射抜くような瞳に捕らわれて。
小さく聞こえる人の声やゆったりとした演奏を耳に入れながらも、踊り終わるまで熱に浮かされたような感覚がした――。