21 泣き虫と王子様
体が揺れる感覚に、何だろうとまぶたを開いていく。
すると目の前に見えた様子に急速に意識がハッキリしていく。
体が横になって高い位置にあり、シン様の顔がいつもより近い位置にある。
「目が覚めた?」
「シン様、ここは……!」
ルニコ様と首飾りの力を信じていないわけではないけれど、元の時代に戻れたのか確かな証拠がほしい。
「無事に帰ってこられたよ。――ほら、彼女の元気な声が聞こえる」
シン様に横抱きにされたまま耳をすませると、しばらく聞いていなかった明るい声が近づいてくる。
バタバタと足音も聞こえるようになり、廊下の角からメイさんの姿が見えた。
「カルドーレ様ー! 過去に行かれていたというのは本当ですか!」
目の前まで小走りできたメイさんが、息を乱しながら興奮したように聞いてきたので私はコクリと頷く。
するとメイさんは目を見開いて頬を赤く染めてうっとりとした表情を作った。
「シン様がカルドーレ様を思ってご尽力されたそうで……。夢のようなお話でうらやましいです……!」
「キャー」と暴走気味のメイさんにシン様が困ったように笑う。
「盛り上がっているところ悪いけれど、父から何か言づてを預かっていたりしないかな?」
シン様がそう言うとメイさんは雷に打たれたような表情をして勢いよく頭を下げた。
その勢いに驚いて、私は体をビクつかせてしまう。
「申し訳ありません! ルニコ様は謁見の間でお待ちしています」
「連絡をありがとう。頭を上げてくれると嬉しいかな」
「は、はいっ」と勢いよく下げた頭を戻すメイさんの様子が彼女らしくて、戻ってきたんだなとジワジワ感じて涙が浮かんでしまう。
「カル……? どこか具合でも悪くなった?」
「――いえ。メイさんに会ったら戻ってきたんだなと思って嬉しくなりました」
「カルドーレ様……。――お二方、お帰りなさいませ! 揃ってお帰りになられて何よりでございます」
「メイさん……」
「ありがとう、メイ」
ニッコリ笑顔のメイさんに、私とシン様は笑顔でただいまの言葉を返したのだった。
それからメイさんと一度別れ、謁見の間の扉の前でシン様に下ろしてもらう。
シン様が扉を叩いた後、私達は謁見の間の中へ歩みを進めた。
広い謁見の間の室内、その奥にある椅子に座る人を見つけ、少し前に会った記憶と重なって不思議な気持ちになる。
「――帰ってきたか」
幾分か目尻にシワを持つルニコ様が笑みを浮かべて手招きをする。
「あちらでは何日も過ぎていたが、こちらでは半日も経っていないとは不思議なものだな」
おかしそうに笑い声をあげるルニコ様を見て、起こったことは確かに現実なんだなと内心つぶやく。
「僕は幼い頃、ジーア国は後継ぎが不在になったことにより、セルペンテ国王の保護のもとにあるとしか教えられていません。今の学校の教科書にはジーア国の名前すらのっていませんよね?」
眉を寄せるシン様を見ても動じることなくルニコ様は笑みを崩さない。
「お前に教えたことも教科書のことも私がそうするようにしたんだ。お前達がやってきた時代までのジーア国についてはジーアの民の言い伝えでしか残っていない。人に伝われば伝わるほど真実は見えにくくなることもある。今や真実を知る者は私とお前達を含めてそう多くはないだろう……」
考えてみればジーア国については学校で習っていない。
教科書にあったとすれば、セルペンテ国の近くには海をはさんでいくつもの国があるという記述だけ。
ルニコ様はそれきり口を閉ざしてしまったので、どういう考えでルニコ様がそうされたのかは分からない。
けれど、シン様もそれ以上ルニコ様に問うことをしないようで、私は聞きたい思いを飲みこんだ。
「しかし、私にとっては長かった。何年待っても訪れない出会いに気が遠くなったぞ」
額に手をあてて大きく困ったような表情をするルニコ様を見て少しだけ笑みがこぼれてしまう。
年数が経過したからか過去にとんで初対面ではないからか。過去のルニコ様よりも話しやすい印象を受ける。
「それは僕達に言われても困ります。過去の父さんは年代も自分の年齢も教えてくれませんでしたし、未来の詳しいことを話して未来が変わっては困りますから」
「それもそうだ。シンが違う娘と出会っていたら私がカルドーレを嫁にもらったかもしれぬしな!」
「父さん……!」
はははっ、と声をあげて笑うルニコ様にシン様はムッと拗ねたような表情をした。
会って間もない時は優しい大人の男の人だと思ってた。
けれどルニコ様の前だと親子だからか、いつもより自分と年が近いように感じられてそれも嬉しいと思う。
「見苦しい男は嫌われるぞ」
「かまいませんよ。カルはどんな時も側にいてくれると約束してくれましたから」
「ね?」と笑いかけられて私は言葉をつまらせる。
赤い目が明かりの下でキラキラして優しく細められて。そんな表情を向けられるのはお父さんやお母さん、小さいときから知り合いの人以外ではシン様が初めてで。
恥ずかしくてくすぐったくて、胸が苦しくなるけど悲しい気持ちじゃなくて。
私はシン様の服の袖をつかみ、小さな声で頷いた。
それから袖をつかむ手をそっと外されたと思う間もなく、シン様の両手が首の後ろにまわされる。
「じっとしていて」と言われるままにおとなしくしていると、シャラ、と音が聞こえて指輪を通していたチェーンが外されたことに気づいた。
指輪はシン様の右手に持たれ、チェーンは涼しげな音をたてて足元に落ちていく。
落ちる様子を追うと、冷たくて大きな左手が私の右頬にそえられて上を向くように促される。
見上げた先には笑みを消し、真っ直ぐな眼差しを向けるシン様がいた。
「――国王の前で今ここに誓うよ。どんなことがあっても僕が君を守る。たとえ離れた場所にいたとしても心は常に君を思っているから」
「シン様……」
「君に辛い思いをさせるかもしれない。大変な思いをさせるかもしれない。それでも僕はもう君以外の人を考えられないんだ……。僕の隣に君がいる、それだけで僕の力になるから」
視界が歪む私の目に、私の左手を同じく左手でつかんで高く持つシン様が映る。
「カルドーレが大好きだよ。どうか僕の正式な婚約者になって下さい」
「シン様……っ」
ボロボロと涙がこぼれ出した私を見るシン様が眉を下げて首を傾げた。
「ダメ、かな?」
残念そうに言うシン様に私はブンブンと首を横に振る。
王子様の婚約者になる、そのことに不安がないわけじゃない。私なんかがって今も思ってる。
けれど、アガタ様と婚約されたと聞いたことが悲しくて。ジーア国に連れて行かれて離れて気がついた。私はシン様が好きなんだって。
だから、シン様の気持ちを伝えられて涙が出るほど嬉しい。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします……っ」
泣きながら笑みを浮かべると、シン様が顔を近づけて唇で涙を拭ってくれて。
「ありがとう。こちらこそよろしくね」
顔を離して優しい笑顔を浮かべたシン様が、私の左手薬指にルビーにはさまれたローズクォーツが輝く指輪をそっとはめてくれた。
そしてシン様の顔が近づいてきて――。
「ウォッホン」
急に聞こえてきた咳払いにハッとして、顔を動かすとバツが悪そうなルニコ様がいて顔が熱くなる。
「結ばれたのはめでたいが私の前では控えてくれんか」
チラチラとこちらを見るルニコ様に今の光景がよみがえる。
ルニコ様が咳払いしなかったら私、シン様と――!
そう思ったら顔がカッと熱くなってうつむいた。
恥ずかしくてシン様の顔を見られない……!
「無粋な人ですね。そこは見守ってくれるのが筋でしょう」
いつもより声が低くなって機嫌の悪さがうかがえるシン様でも、ルニコ様のまったく気にしていないような笑い声が聞こえた。
「私以外にも無粋な者がいるようだが?」
「え……?」
シン様と私の声が重なったと思ったら謁見の間の扉が突然開かれた。
「カルちゃん!」
明るい大きな声で話しながら駆けてくる懐かしい姿に、私は嬉しくなってその場を駆け出す。
金色の髪をドレスと共にフワフワと揺らし、宝石に負けない綺麗な緑色の目。久しぶりに見たリィちゃんの姿に気持ちが高ぶってしまう。
「リィちゃん!」
「話は聞いたよ。リィも過去に行ってみたかったなぁー」
「楽しそう」と心底残念そうなリィちゃんに私は曖昧な反応をしてしまう。
色々大変なことがあって楽しいとは正直言えなくて。
けれど、シン様と思いが通じたのは過去にとんだおかげだと思うから後悔はしていない。
「兄さん、ボクにも色々話してよ!」
リィちゃんの後を追うように謁見の間に入ってきたルーチェ様が、ニヤニヤと悪戯な笑みでシン様の体を肘でつつく。
「僕らから話せることはないよ。――まさか父さん、王宮中に言って歩いたわけではないですよね?」
まとわりつくように話しかけるルーチェ様を少しうっとうしそうにしながら、シン様は鋭い視線をルニコ様に向ける。
ルニコ様は顎に手をあてニンマリと笑みを浮かべて。
「それは二人が確かめてみるといい」
と、嫌な予感のする返答をしたのだった。
それから精神的に大変だった。
廊下で会う人会う人に微笑ましそうに見られて、時には「おめでとうございます」なんて言われるから一日に何度も泣いたり泣きそうになったりしてしまって。
その度にメイさんがかいがいしく涙をハンカチで拭いてくれるから申し訳ないやら嬉しいやら。
数日経って耐えられなくなった私はシン様の執務室に逃げこんだ。
今日もまた朝食後に向かっている。
執務室の扉を叩いて声が聞こえたので、「失礼します」と言って静かに開けて入る。
執務机の前ではなく、ソファーに座っていたシン様が笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
よろしくというのは部屋にいさせてもらうからという意味で、シン様にも通じたのか少し困ったような笑みを向けられた。
「僕は仕事が捗るからかまわないけれど、カリーナやメイが寂しがったりしていないかい?」
シン様の横をポンポンと叩かれ、促されるままに座るとそう聞かれて困ってしまう。
後から知ったのだけど、執務室には王族の方やお父さんみたいに国務に関わる人以外は部屋の主に拒否をされて無理に入室すると罪に問われることがあるらしい。
メイドさんは定期的に飲み物を運んできたりご飯を運んできたりするから少し例外ではあるそうだけど。
――それを知った後、過去でシン様の執務室をあちこち探し回ったことはとても失礼なことだったと分かり、どうしようと顔色をなくした私だった。けれど、私がシン様を探して歩き回るだろうことはルニコ様の予想の内だったらしく、私に製造能力があることにも気づいていたそうで、ルニコ様ってすごいんだなとしみじみ思ってしまった――。
私があまりに隠れるからか、執務室を訪ねてくるリィちゃん達をシン様がやんわり断ってくれていてどちらにも申し訳なく思っている。
「色々な話をしたりお茶に誘ってくれたりするのはとても嬉しいです。でも他の人の目が気になってしまって……」
「僕も未だにチラチラ見られるから、カルはもっと見られているだろうね」
「はい……」
私が頷くとふとシン様の表情が暗くなったような気がして首を傾げる。
シン様は手元にあった書類をテーブルに置き、私の左手をとった。
「僕と婚約したことを後悔していないかい?」
「え……」
「僕の気持ちにカルが流されているんじゃないかって、女々しく思ってしまうんだ……」
確かに少し前まではシン様におされていたかもしれない。
けれど、今はシン様のことが好きだと、シン様と婚約者でいられて嬉しいと心から言えるから。
私は右手で空いているシン様の左手を握り、私の右側の目元にあてた。
「カル……?」
「私は泣き虫です。緊張したり、恥ずかしかったり。嬉しかったり、悲しかったり。色々な時に泣いてしまいます。今まで自分のこの体質に少なくても悩んでいました。でも今はシン様と出会えたのがこの私でよかったと思えるんです」
「どうしてそう思うの……?」
「シン様が私の涙にこめられた思いを読みとってくださるからです。お父さんやお母さんには涙の理由を悟られてつい意地を張ってしまうこともあります。けれど、大好きなシン様には私の色々な気持ちを隠さずに知っていただきたいと思うから――」
「カル……っ」
握られた左手を引かれ、一瞬でシン様との距離がなくなる。
広い胸と力強い腕に包まれてドキドキするけれど、これから先の未来でシン様の腕の中が安心できる場所になったらいいなと思った。
「ありがとう。僕の気持ちを受け入れてくれて……」
「私こそ好きになっていただいてありがとうございます」
腕をゆるめられて顔をあげるとシン様の顔がとても近くにあって。
目が合えばどちらからともなく笑顔がこぼれた。
「仕事が落ち着いたら二人で遠出をしてみないかい?」
「お出かけですか? ぜひ行ってみたいです」
「場所はそうだね……。海をこえてジーア国、なんてどうかな?」
目を見開く私に、「どう?」と笑うシン様の表情が悪戯に笑うルーチェ様と重なって少し幼く見える。
シン様と旅行。そう思うと胸が弾んで嬉しくなって。
しかも気になっていたジーア国に行けるならもっと嬉しい。
「今から楽しみです!」
私はおさえることのない気持ちを顔に浮かべてシン様に抱きついた。
――これから先、どんな未来が待っているかは分からないけれど、泣き虫な私の涙を拭ってくれる優しくて強い王子様が側にいてくれるから。
つなぐ手の先の人がずっと私でいられますように。
そう願いながら目尻に涙を浮かべ、私はシン様の胸に顔をうめた――。
今回の21話をもちまして完結となります。
前作と違って今回は恋愛をメインにしたいなと思いながら書かせていただきました。
書くのはすごく難しいと改めて感じましたが、少しでも皆様に楽しんで読んでいただけていたら嬉しく思います。
拙い作品ではありますが、読んでいただいた沢山の方に感謝をこめて後書きとさせていただきます。
皆様ありがとうございました!




