19 絶体絶命
長い時間馬車に揺られ、馬車が停止したと思うや否や外へと連れ出され、足元をもつれさせる私の目には立派な建物が映った。
真っ白な壁は汚れ一つないようで、あちこちに金の装飾が施されて夕日の下で輝いている。
大きな窓が規則正しく並び、部屋と階数の多さを表していて私はポカンとしてしまった。
「早く着いてこい」
乱暴な足取りで王宮の中へと入っていく男性の後ろを慌てて着いていく。
私に戦う術があるなら逃げ出せるかもしれないのに。
母に教わった護身術ではどうにもならないだろうことは、馬車の中で突きつけられた剣の速さから火を見るより明らかで今は従うしかない。
神経を尖らせながら、一歩一歩私は踏みしめた。
中に入ると辺りは金色だらけの装飾で目がチカチカする。
まるで煌びやかさで威厳を示しているようで息苦しさを感じてしまう。
中に入ってしばらく歩いて行くと、一つの部屋の前で男性が立ち止まって扉を開けた。
「さっさとその薄汚い形をどうにかしろ」
「わ……っ!」
ドンと背中を押され部屋に放りこまれて扉を閉められる。
すると部屋の中には一人のメイドさんらしき人がいて目が合う。女性はニコリと笑って近づいてきた。
「急で大変かとは思いますがまずはお風呂にお入り下さい」
「さあ」と促す目は暗く濁っていて断れそうになく、私はおとなしく服を脱いでいく。
奥へ進むと浴槽があって湯気がのぼっていた。
肩までつかるとお湯は半透明な白色をしていて花のようないい香りがする。
それから髪を洗って体を洗ってもう一度浴槽につかって。
あがる頃には少しだけ気分がすっきりしたけれど、メイドさんの姿にメイさんの姿が重なり、私はここが見知らぬ場所なんだと改めて認識した。
いつの間にか用意されていた真っ赤なドレスを着せられ、まるで人形になった気持ちで部屋を出る。
慣れないかかとの高い靴に足元をフラフラさせていると近くにいたのだろうか浴室に放りこんだ男性が側に立っていて、頭からつま先までを見た後にフッと鼻で笑った。
「こい」
ツイと顎先で行く先を示して歩く後ろ姿をヨロヨロしながら必死に追いかけた。
「国王様がお待ちだ」
男性が大きな扉を叩き、「失礼します」と扉を開ける。
中に入って奥へと進むと、一番奥の王座にアガタ様と似た容姿を持つ年配と見える男性が座っていた。
「国王様、娘を連れてまいりました」
膝をついて話す男性に私はどうしたらいいのか分からず立ちつくす。
ここは私も身を屈めたほうがいいのだろうか。
けれど気を失っている間にジーア国の強制労働場に運ばれたのに、ペコペコと頭を下げるのも違うような気がして迷ってしまう。
「頭を下げろ」と小声で男性に鋭い視線と共に送られ、身を強ばらせると国王様がおかしそうに笑った。
「よいよい。変わった娘も悪くないものよ」
「――は。それではこの娘はいかがいたしましょう?」
立ち上がった男性が私を前に押しやって国王様へとの距離を少し縮める。
近づくと国王様の顔が少し前よりも見え、ルニコ様よりも大分年上の印象を受けた。
「まずはおとなしくさせねばならぬからな」
国王様が右腕を横に動かすと、瞬きの間に王座の横に人が立っていて目を見開いてしまう。
丈が長い外套に身を包み、帽子をかぶっているために顔は見えないけれど、背の高さから男性であることがうかがえた。
「驚いたか? この者は私の遠縁でな、珍妙で便利な力が使える優秀な男よ」
満足げに言う国王様にルニコ様の言葉を思い出す。
ルニコ様もシン様を称賛していたけれどこんなに冷たい目はしていなかった。
国王様の本心が見えず背中がゾクリとすると、私の恐怖心に気づいたのか国王様は口の片端を上げて笑う。
「そんなに怯えることはない。この者の術により、すぐに私を好きでたまらなくなるのだからな……」
「な……っ!」
国王様の言葉にただただ驚く私の手首を、逃がすまいと男性がつかむ。
「離して下さい……!」
「おとなしくしろ! 命が惜しくないのか!」
鋭い声で怒鳴られてもおとなしくなんてできなかった。
心を操る術なんてかけられたらシン様のことを忘れてしまう。
――そんなの絶対に嫌だ!
シン様を好きな気持ちを忘れたくない……!
静かな足音をたてて術者が近づいてくる。
「シン様……っ!」
もうダメだ。そう思って固く目を閉じると痛みを訴える叫び声が間近で聞こえて再び目を開けた。
「何をする……!」
目の前に迫っていた術者の手に一匹の蛇が噛みついていた。
――ううん、それだけじゃない。
国王様のまわりにも威嚇する蛇が何匹もいて、私の手首をつかんでいた男性は国王様を守るべく王座へと駆け寄って行く。
――逃げるなら今しかない!
私は靴を脱ぎ捨てて出口へと走り出した。
「待て! ――くそっ、蛇ごときが邪魔をするな……!」
男性の制止に構わず私は走る。
驚いたことに部屋にはたくさんの蛇がいたけれど、まるで道を示してくれるように一本道を開けてくれた。
息を切らして扉にたどり着くと一匹の白蛇がまるで「行こう」と言っているようにシャーと鳴いて開いていた隙間をくぐり抜けて行く。
その蛇はシロに似ていて、私はためらわずに部屋を飛び出した。
「はぁっ、はぁ……っ」
夜を迎えた王宮内をひたすら走り続ける。
建物の中には明かりがほとんどつけられていなくて、窓から入る月明かりだけを頼りにして足を動かして。
白蛇はいつの間にかいなくなり、また、体のあちこちがまだ痛むけど止まるわけにはいかないんだ。
階段はのぼっていないから一階であることは間違いないはず。
けれど広すぎて走っても走っても外への出口が見つからない。
後ろから追ってくる足音と叫ぶような声がだんだん増えてきてこのままじゃ捕まってしまう――。
なんとか外へとつながる扉を見つけ出したけど今度は扉が開かない……!
「――あ……っ!」
必死に取っ手を引っ張っていると肩を強くつかまれて後ろへバランスを崩してしまう。
「やっと、捕まえたぜ……?」
「いや……っ!」
間近で聞こえる声に体が震えて視界がにじんでくる。
私は首にかけている指輪を握りしめた。
――シン様に会いたい――!
涙が頬を伝って落ちる。
男の人に腕をつかまれて通った道を戻るよう引っ張られる。
今度こそもうダメだと思ったその時――。
大きな音をたてて扉が勢いよく開かれた。
「僕の婚約者を返してもらおうか」
驚いて振り返った私の耳に、会いたくてたまらなかった人の声が聞こえた。
シン様の登場にざわめきながら、人々が武器を構えて臨戦態勢をとる。
「この娘はジーア国王様のもんだ! 渡すわけがないだろう!」
ギリッとつかむ手に力をこめられて痛みに顔が歪む。
するとこちらを見ていたシン様のまとう空気が揺らめいた気がした。
開け放たれた広い入り口から月の薄明かりが入りこみ、シン様の姿をうっすらと照らす。
左右で異なる姿にざわめく周囲の中で私は今夜が満月だということに気がついた。
左半身が白い鱗で覆われ、左の目は真っ赤に光って細長い瞳孔が右目と協力して辺りを見る。
シン様がゆったりと近づくとまわりの人は後ずさり、それを何度か繰り返していると私の腕をつかんでいた人がじれたのか私を解放してシン様へと向かっていった。
「人間だか蛇だか知らねぇが一人できたことを後悔するんだな――!」
男性が唸るような声をあげてシン様に向かうとみんなが一斉にシン様へと襲いかかる。
「シン様……!」
どうすることもできずにその場で名前を呼ぶと、シン様に向かっていった人達が一瞬で吹き飛んだ。
何が起きたのか分からず立ちつくしてしまうと、まるで風にのってきたかのような軽やかさで目の前にシン様が立っていた。
「――カル。遅くなってごめんね……」
「シン様、会いたかったです……!」
私はたまらずシン様にギュッと抱きついた。
私より低い体温をひどく懐かしく感じてしまい、胸元にすがりつく。
「もう会えないかと思いました……っ」
「カル……。もう君を離したりしない――」
抱きしめ合っていると近づいてくる人の気配に二人そろって奥のほうを見る。
するとそこにはジーア国王様と私を連れてきた男性、術者がいた。
「これはこれは……。セルペンテ国の王子が如何様なことで参られたのか」
「ジーア国王。あなた方が代々続けてきた悪しき習慣について、ようやくつかむことができました」
シン様の言葉に国王様の眉が動いたけれど余裕の笑みは崩れない。
「ほう? それはどんなものだね?」
「話してみるがいい」と言う国王様にシン様は「みんな、入っておいで」と言う。
すると外からたくさんの人がゾロゾロと入ってきて、中には私が強制労働場で会った人もいた。
「術をかけて国民の出国を阻み、気に入らない者には強制的な労働を。若い女性は術で操り自分の身の回りに侍らせる。そして高い税で私腹を肥やす。全て国王としてあるまじき所業です」
「そんなもの証拠はどこにある? 国民の戯言にすぎん!」
「セルペンテ国王は何代にもわたって訪問しているではないか!」と口調を強めるジーア国王様に、シン様は赤い目を細めて術者を見た。
「それはそちらの術者がセルペンテ国王が訪問の際に幻術をかけてごまかしていたからでしょう。――そう。何代も前から」
「え……?」
シン様の言葉に私は術者を見た。
国王が何代も変わっても生きているなんて信じられない。
術者は肩を震わせ、やがて場に不釣り合いなほどに笑い出す。
「――さよう。私は人であって人ではない。枯れたようになってもなお私は生きている! まさしく神の血が流れているのだ……!」
外套の帽子を勢いよく外した術者の姿にみんなが息を飲んだ。
老人といえる容姿をかけ離れたそれは、まるで死人が立っているようなもの。しかし赤い目はギラギラと鈍い輝きを放ち、術者が生きている証になっていた。
「あなたは王族の血を引き、極めてまれなことに恐らく蛇神様の血が濃く受け継がれてしまったのでしょう。しかし直系ではないあなたはバランスを保てず、死することもできず今を生きている……」
「私は力を使うのが楽しくて仕方ない。私が力を使えば王族は栄える。利害の一致なのだ若いのよ」
シン様は術者に言葉を返さず、ジーア国王様を見た。
「今までのセルペンテ国王もジーア国の違和感には気づいていました。長年にわたって少しずつ国のほころびを調べ、現セルペンテ国王は賭に出た。あなたの娘であるアガタ姫を僕の婚約者として招いてね」
「な……!」
そこで初めてジーア国王様は大きく表情を変えたけれどシン様の言葉は続く。
「あなたはセルペンテ国も自分の手中におさめたくなりきっかけを探していましたね? そこに湧いて出た僕の存在を利用しない手はないはずです」
「アガタは良縁と思っただけだ。それ以外何もない」
「そうでしょうか? 近頃国内を荒らして捕らえた者達も、アガタ姫本人からも、セルペンテ国を乗っ取る企てやジーア国の内情について全てを話していただいたのですが……」
「お父様!」
シン様の言葉を遮るように甲高い声が響きわたる。
後ろ手にされて動きを制限されているアガタ様が整った顔を涙に濡らして現れた。
アガタ様はルニコ様の部下の人に連れられてジーア国王様の前までヨロヨロと歩いて立ち止まる。
「もう止めましょう! 蛇神様のご加護があるセルペンテ国にはかないませんわ……!」
うつむいていくつもの涙を床へと落としていくアガタ様にジーア国王様は渋い顔をする。
しかし次いで口端をつり上げた。
「術者よ、この場にいる私以外の者を皆殺しにしろ!」
ジーア国王様の言葉に戦慄が走る。
気を失った部下の人も国民の人も娘であるアガタ様もみんな切り捨てるというの……?
カッと体が熱くなって視界が歪む。
「化け物王子も殺してしまえ」と吐き捨てるジーア国王様に私は我慢できなくなった。
「シン様は化け物なんかじゃない! 部下を、国民を、自分の娘を! 平気で切り捨てる貴方のほうがよっぽど化け物よ――!」
「うるさい! 早く皆殺しにしろ!」
「御意」
ニヤリと笑う術者が手のひらに石を乗せて見せる。
その石はこの時代でルニコ様と最初に会った時に持っていたものとよく似ていた。
その石が出た途端、シン様は床に膝をついてしまい私も合わせてしゃがみこむ。
「く……っ」
「フハハハ! 苦しいだろう? 異能封じの石は力が強い者にほど効果がある」
「シン様……!」
顔を歪め、体を震わせて苦しむシン様の目の前で私は泣きじゃくることしかできなかった――。