18 ジーア国の実態
「――ちゃん……! 嬢ちゃん……!」
近くで聞こえる大きな声に少しの煩わしさを感じながら重いまぶたを開いていく。
半眼で体を動かした所であちこちに走る痛みに意識が急激にハッキリとして私は目を大きく開いた。
次第に鮮明になっていく視界には、数人の年配の人が私のほうを心配そうに見ている姿が映る。
「嬢ちゃん大丈夫かい?」
「運ばれてきて丸一日目が覚めんから心配しとったんだよ」
支えてもらいながら上半身を起こすとそこは見知らぬ場所で、まわりにいる人も知らない人ばかり。
荒れた地面が広がり、人の服装はつぎはぎされた作業服の人がほとんどで、農作業をしているような印象を与えられる。
みんな他人のはずの私を心配そうに見てくれて、人柄のよさそうな人ばかりだなと思いながら私は口を開く。
「あの、ここはどこですか?」
「どこってここはジーア国の強制労働場の一つだ。嬢ちゃんメイドさんなのに知らないのかい?」
目を丸くして聞いてくる男の人に私は信じられない気持ちになる。
頭や背中などの痛みの原因を考え、階段から落ちたことを思い出す。そしてアガタ様の冷たい笑みも思い出して背筋が寒い。
とりあえず階段から落ちて助かったことを喜ぶべきか。ジーア国にいることを嘆くべきか。
「ぐったりした嬢ちゃんが運ばれてきた時は驚いたもんだよ。王宮で働くメイドで王様や姫様に楯突く勇者がいたもんだってな!」
がはは、と大声で笑う体格のいいおじさんは私を励まそうとしてくれているのか、熊のような大きな手で私の肩をガシリとつかむ。わずかに痛みが走ったけれど、私は悟られたくなくて笑みを作った。
「――あの、こんな格好で言うのも信じられないかもしれませんが、私はジーア国で働くメイドさんではありません」
目をまん丸にする人達を見ながら、私は自分がセルペンテ国の人間で王宮でお世話になっていたことを説明した。
さすがに違う時代からきたとは言えなかったけれど、ほとんどの人がセルペンテ国から運ばれきたことに驚いているようだ。
「それじゃあ嬢ちゃんは海をこえて運ばれたてきたのか……」
「あんたも運がないな……」
「どういうことですか?」
悲しんでいるような哀れんでいるような表情をする人に問いかけると、みんなが口々にジーア国の実態を話してくれた。
セルペンテ国よりも後にできたジーア国。元々、ジーア国の国王はセルペンテ国の国王の血縁者だった。
ジーア国ができてから何代かは国民を思う優しい王様達ばかりで、少しずつ発展していく穏やかな国だった。
けれどある時先代の王が早くに亡くなり、第一王子が若くして王へと即位した。
若き王は妻や子供を溺愛するあまり民を蔑ろにし始め、高い税を納めさせ、無理な労働を強いり、妻や子供を喜ばせるために私腹を肥やすことに精を出した。
その悪しき習慣は今の代にまで引き継がれ、国民からしぼり取っては贅沢三昧らしい。
しかも税を納められない人や王族に逆らったりすると更正とうたって強制労働をさせるという、セルペンテ国で過ごしている私にとっては衝撃的な話ばかりだ。
「王妃様がいた頃はもう少しマシだったんだがなぁ……」
「せめて労働期間を短くするようにと進言して下さったりして俺らには天使のような方だったよ……」
「王族の遠縁だったからあまり聞いてはもらえなかったらしいが、それでもありがたかったな」
うんうんと頷き合うみんなに王妃様の話を聞くと、体が弱い方でアガタ様が幼い時に病死したらしい。
そういえばフィオン様も体が弱い方で、ルニコ様は周囲の反対を押しきって結婚。ルーチェ様が生まれた後に徐々に体調が悪化して病気で亡くなったとシン様から聞いている。
生まれつき体が弱く、回復能力が効きにくい体質でどうすることもできなかったとも聞いて思わずシン様の前で泣いてしまった。
それにしても、長い間関係を持っているのにセルペンテ国の国王様はジーア国の内情について何も思わないのだろうか。
ルニコ様は国民思いだと聞いているから、内情を知ったら何かしらの手立てを考えてくれそうなのに……。
考えこむ私を憂いていると思われたようで、横にいた年配の女性が皺の多い手で私の手をギュッと握ってくれた。
「逃がしてやりたいけど海の向こうじゃね……。力になれなくて悪いねぇ……」
「――いいえ。そう思っていただけるだけで嬉しいです。ありがとうございます」
他国の人間なのに思ってくれる。そのことに胸が熱く苦しくなる。
一人の男性が遠くを見つめて目を細めた。
「王族に変わった力を持つ人がいるもんだから俺達はこの国を出られないんだ。向こうの国の国王様が様子を見にきたって国の惨状にはきっと気づいとらん。幻術とやらを使って誤魔化してるらしいからな」
「そんな……」
諦めたように笑う姿に泣きたくなった。
けれど、私を気遣って接してくれている人達の前で泣くなんてきっと失礼だと思ってグッと耐える。
どうかシン様やルニコ様がアガタ様とジーア国の国王様の考えに気づきますように。願いをこめて首にかけられている指輪を強く握った。
翌日、朝早くに目覚めた私を見つけた――恐らく監視役の人――に手を強く引かれ、連れて行かれたのは草が辺り一面伸びきった場所だった。
「お前はこの辺の草でも刈ってろ」
吐き捨てるように言い、男の人は使い古された鎌を私の近くに投げ捨てる。
「せいぜい蛇にかまれないように気ぃつけるんだな――」
ゲラゲラと品のない笑いを響かせて持ち場に戻っていく姿をじっと見る。
私は気合いを入れようとメイド服のスカートの中にはいた作業ズボン――以前労働場にいた人が置いていったものをいただいた――をギュッと引っ張り上げる。
絶対に負けるもんか!
そう胸に抱いて鎌をギュッと握りしめた。
「――ふう……」
刈っても刈っても辺り一面草だらけ。
自分が動き回って刈った場所だけが茶色を現している。
太陽はほぼ真上でお昼だと判断した私は作業を中断する。
作業手袋を外して地面に座り、支給されたパンをかじる。
ご飯の支給は一日二回。朝にパンが二個と夕方にパン一個とスープ。
夕方は全員で食べるけど朝のパンを食べるタイミングは各自らしい。
朝と昼に分けて食べるのも自由だけど、長く休んでいると見張りがとんでくるから気をつけなと聞いた。
水は朝のパンと渡される水筒一つ分だから夏場は特に大変だと昨夜言っていたのを思い出す。
食べ物が支給されるだけマシだとみんなは言っていたけれど、この量じゃ絶対足りないはずなのに。
私はもどかしさを残ったパンと一緒に口の中に放りこんだ。
――ご飯を食べ終えて作業を再開。
監視の人は蛇に気をつけなと笑っていたけど、私は正直蛇よりも虫のほうが怖い。
毒蛇は危険だけれど私にとっては虫も同じくらい怖い存在だ。
だから草を刈りながら虫がいないか蛇がいないか忙しなく見ながら鎌を持つ手を進めている。
――そんな時だった。
私が作業している少し前の草の間から、明らかに何かが顔を出して動いている。
細長い体を動かしている――どう見ても蛇にしか見えない。
「え……」
ふと蛇と視線がかち合う。すると蛇はもの凄い速さで私に向かってきた。
あまりの速さに声をあげる暇もなく、かまれる、そう思って目をつぶる。
けれど痛みがやってこないので恐る恐る目を開けた。
すると目の前であまり大きくない蛇がとぐろを巻いて顔をこちらに向けている。
不思議に思いながら私は蛇の色に驚いた。蛇は白い体に赤い目を持つ、シン様の分身の蛇と同じだった。
首を傾げると蛇も頭を動かしてくれたので何だか嬉しくなった私は勝手にシロと名づけ、日が暮れるまで蛇と共に作業をするのだった。
夕方、労働者の泊まり小屋にシロを連れて戻ると見張り役の人に怒鳴られ、私は謝って慌てて外へ出た。
出てくる時に夕食のパンとスープは持ってきたので、どこか食べる場所はないかと辺りを見ると少し離れた場所に古そうな小屋があった。
「何とか大丈夫かな……?」
一人呟きながらはずれかかった扉を動かして中に入る。
中はボロボロだったけど寝泊まりできないほどではなかったので、作業ズボンと一緒にもらった布切れで座るあたりを拭いて腰を下ろした。
パンとスープを食べ終えて固い床に横になる。
日が落ちてしまった今はほとんど見えないけど、窓から入りこむ月明かりがかすかにシロの姿を照らしていた。
――今思うとシン様の部屋を飛び出した時、私は悲しかったんだと思う。
シン様がアガタ様を選んだ。そう思うと胸が苦しくなって泣きたくなる。
シン様の側にいたいと思ってしまう。
アガタ様じゃなくて自分を選んでほしい。そう思ってしまう。
「シン様が好き……。今さら気づいたって遅いのにね……?」
涙を流しながらシロを見ればシロは静かに私の側までやってきて、まるでシン様のかわりにいてくれてるようでしばらく涙は止まらなかった――。
労働二日目の朝は寒さで目が覚めた。
かけるものがないのにそのまま横になってしまったことを後悔してももう遅い。
体のあちこちが痛むけど風邪はひいていないようで安心した。
シロがいなくなっていたことを寂しく思いながらも仕方ないかと食器を持って小屋を出る。
すると、外にはもう何人もの人がいてどうしたんだろうと思う。
内心で首を傾げながら近づいて行くと、軍服を着た男の人が私を見てニヤリと笑んだ。
「確かに上玉だな」
ジロジロと見てくる男性に不快感を持ちながら、言っている意味が分からずまわりの人を見るけれどみんな顔を青ざめさせて言葉を失っているような様子だった。
見張り役の人だけが、軍服の男性にペコペコと頭を下げて引きつっているような笑顔をはりつけている。
「数日前にきたばかりで少々傷が残っておりますが、治せば問題はないかと」
「近頃王宮にいる娘達だけでは物足りないご様子だったが、これなら国王様に満足していただけるだろう。――こい!」
「な……っ」
急に腕をつかんで引っ張られ、持っていた食器が地面にぶつかって音をたてる。
訳が分からず、離すように頼んで腕を動かしても力を強くされる一方で痛みに意識がいってしまい、引きずられるようにして馬車に押しこまれた。
「何するんですか……!」
暴れて馬車から出ようと扉に手をかける。すると首筋にピタリと冷たくて固いものがあてがわれた。
「おとなしくしろ。これ以上騒ぐとこの場で首をはねるぞ」
「……っ!」
ピリッとした痛みを感じたかと思うと続いて熱を感じて動けなくなる。
やがて馬車が動き出し、窓から見える膝をつく人達の姿が目に焼きついた――。