14 王子の秘密
シン様のもとに毎夜話をしに行くこと数ヶ月。その間で気になっていることがあった。
毎月だいたい一日だけ報告をお休みする日があって、その日はシン様が朝に部屋を訪れてきて「今日は時間がとれそうにないから話は明日聞かせてね」と伝えていく。
最初は忙しいのかなと思うだけだったけれど、何故かその日の夜になるとルーチェ様がリィちゃんと一緒に部屋に遊びにくる。
仕事はと聞くと上手くかわされてしまって謎が深まっていくばかり。
今日も朝食をとって間もなくシン様がやってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
朝から穏やかな笑顔に少し頬が熱くなりながらシン様の様子を見る。
うーん。よく見ると顔色がいつもより悪い気がする……。
「どうしたの?」
私がじっと見ていたからかシン様が首を傾げて聞いてきた。
私は意を決して口を開く。
「あの、どこか具合が悪いのですか? いつもより顔色が悪いようですが……」
私が問いかけるとシン様の表情が強張った。けれど、それはほんの少しの間で笑顔に隠れてしまう。
「そうかな? 仕事の量が多くて少し疲れているのかもしれないね。心配してくれてありがとう」
「今日の話は明日聞かせてね。楽しみにして仕事を頑張るから」と頭をなでられて照れてしまいながらも、胸にはモヤモヤとしたものが広がった。
午前中、何となく王宮の中を見て回ろうと思った私はメイさんに王宮内を散歩してくると告げて部屋を出る。
メイさんも一瞬にと言ってくれたけど、急な仕事ができてしまったと呼びにきたクレアさんと共に去ってしまった。
それから間もなくメイさんの代理としてきたのがクリスタさん。丁度仕事がひと段落して時間が空いていると言ってくれたので同行をお願いした。
「カルドーレ様は王宮内を覚えられましたか?」
「実はそれがあんまり……。よく行く所以外は覚えきれていません」
最初の頃にメイさんに案内をしてもらったけれどよく行く場所以外は覚えきれていなくて。そのため行動範囲は限られていたりする。
廊下を歩きながら考えるような仕草をしたクリスタさん。やがて思いついたようにパッと笑った。
「それでしたら一つのお部屋にご案内します」
クリスタさんに案内されたのは王宮の奥のほうにある一つの部屋だった。
「こちらです」
鍵を開けたクリスタさんが扉を開けて中へと促してくれるので先に足を進める。
中の様子に思わず声がもれた。
広い室内は壁一面、額縁に入れられた肖像画がズラリと並んでいた。
「すごい……」
「歴代の国王様の肖像画です。絵の下にあるプレートにはお名前と国王であられた年が書かれていますよ」
「お好きにご覧になって下さい」とクリスタさんに笑顔で言われ、私は年代が遠いものから見ることにする。
一番遠い年代のプレートを探して文字を追って見つけ、顔を肖像画へと上げた。
この人が初代様……?
初めて知る初代様の姿に目を見張る。
国王様の姿はルニコ様の肖像画のみ現在の教科書にのせられているから。
人の姿でありながら肌は白い蛇の鱗で覆われ、目は真っ赤で瞳孔は縦に細長い。
人の姿をとりながらも蛇神様だということが私でも分かった。
それから数代移動すると白銀の髪に赤い目、白い肌と共通の容姿を持つ姿になっている。
最後に現国王、ルニコ様の肖像画にたどり着く。髪と目、肌はシン様と同じだけれど、つり目がちな顔立ちはシン様よりもルーチェ様のほうが似ているみたいだ。
「ルニコ様のお顔立ちはルーチェ様に受け継がれているそうですよ。シン様はフィオン様似だそうです」
後ろに控えているクリスタさんの言葉になるほどと思う。お父さんが言うにフィオン様は容姿の通り優しい人だったそうだからシン様もそうなのかもしれない。
一通り見たので部屋を退出するとクリスタさんはしっかりと施錠した。
「私が入ってもよかったのでしょうか……?」
普段鍵がかけられている部屋に入ったことを今更ながら気がかりになって聞いてしまう。
けれど心配は無用とばかりにクリスタさんが「ご安心下さい」と笑った。
「ルニコ様から許可をいただいています」
よかったと胸をなで下ろす私の首もとに視線を向けたクリスタさんが笑みを深める。
「指輪を気に入っていただけたようで嬉しいです」
クリスタさんの言葉にシン様がクリスタさんの実家で宝石などの加工業をしていると言っていたことを思い出す。
シン様からもらった指輪はチェーンに通して首から下げていた。
最初は首に違和感があったけれど今はもう慣れている。
「はい。綺麗な指輪で大切にさせてもらっています」
指輪に触れながらそう言うとクリスタさんは安心したようにホッと息を吐いたようだった。
「安心しました。気に入っていただけたかどうかずっと気がかりでしたので」
それからそれぞれの実家のお店の話で盛り上がり、部屋までの道のりはあっという間だった。
眠れない……。
メイさんと別れてベッドに横になるまではいつも通り。けれど時間が経ってたもなかなか寝つけなくて、ここまで眠れないのは久しぶりな気がした。
気分転換でもしようとベッドから起きて、窓際に行った私はカーテンをずらす。
夜空には満月がポッカリと浮かんで輝いている。いつもは見ていて落ち着く月明かりが今夜は何故か胸が騒ぐ。
不安になってまだ首にかけていた指輪をギュッと握ろうと触れた瞬間。
「――!」
ブツリとチェーンが切れて指輪が落ちていき、やがて固い音をたてて床を転がった。
何かの前触れだろうか……?
足元に落ちた指輪を拾いながら胸に広がる不安に鼓動が速くなる。
何だか急にシン様に会いたくなった。
仕事中に訪ねるのは気が引けるけど、どうしてもシン様の顔を見て無事を確認したくて。
指輪と切れたチェーンをなくさないようにテーブルに置いて部屋をそっと後にした。
たどり着いた執務室の扉をノックしても人の気配が感じられず、開けてみるとそこは真っ暗で誰もいなくて。
私が知っていてこの時間帯にいそうなのはこの他に寝室しか知らない。
とりあえず寝室へと向かうことにした。
「え……? 入室禁止、ですか……?」
シン様の寝室の扉を叩こうとすると近くを巡回していた人に今夜は入室禁止だと言われてしまう。
理由を聞いても詳しいことは分からないらしく、ただ今夜はシン様の部屋には入室禁止とだけ伝えられているみたいだった。
「すみません。私も入室禁止とだけ言づかっているもので……」
「いえ。こちらこそすみませんでした……」
無理を言っても仕方ないよね……。
とても気になるけど勝手に入るわけには行かない。
巡回を再開した姿を見送って私も部屋へと戻ろうとした時だった。
「――カルなのかい?」
後ろから聞こえた声に振り返ると、蓄力石を手に持って淡い光をつけているお父さんがいた。
「こんな時間にどうしたんだい?」
「眠れなくて。それに指輪をつけていたチェーンが切れたらなんだかシン様に会いたくなったんだけど……」
入室禁止なんだってと言えば「ああ、今夜はそうか」とお父さんは何かを知っているようだった。
「お父さんは理由を知ってるの?」
「まあ、わりと長くお仕えしているからね……」
眉を下げるお父さんに私はうつむく。
国の歴史は習っていてある程度知っているけれど、シン様個人のことはほとんど知らないなと思うと悲しくなった。
「カル、シン様に会いたいかい?」
静かな声で聞くお父さんに私は顔を勢いよくあげる。
光に照らされている目が真剣なもので体に緊張が走ったけれど気持ちは変わらない。
「会えるの……?」
期待をこめてそう言えばお父さんが曖昧に笑うのでどう受けとったらいいのか迷う。
「カルがシン様を今よりも知りたいと思うなら。だけどね、会うことでシン様を傷つけてしまうかもしれない」
「それでも会いたい?」と続けられて戸惑う。
会って無事な姿を見たい。でもシン様を傷つけてしまうかもしれないとはどういうことなのか全く想像がつかなくて。
再びうつむいてしまった私の頭をお父さんが優しくポンポンと軽く触れてくる。
「カルならきっと大丈夫だと信じているよ」
お父さんは服のポケットから鍵を取り出してシン様の寝室の鍵穴に差しこんで回す。するとカチャリと鍵が動く音が耳に届いた。
それからその鍵を私にそっと手渡してくる。
「中に入ったら内側から鍵をかけるんだ。退室した時はその鍵で忘れずにしめるように。――さあ行っておいで?」
目尻を下げたお父さんが私の背中を優しく押す。
それに促されるように私はできるだけ音をたてないように扉を開けた。
部屋に入って内鍵をしめて一歩踏み出す。
それとほぼ同時に「誰だ!」と鋭い声がとんできて体がビクついた。
「今夜は入室禁止だと伝えたはず。早く出て行くんだ……!」
怒りを感じる声色に体が震える。それでも私は一歩、また一歩とベッドがある奥へと近づいていく。
シン様に嫌われるのではないか。シン様を傷つけてしまうのではないか。
そう思うと今にも涙が落ちそうだけど、どうしてもシン様の姿を確認したかった。
ベッドの近くに蓄力石が置かれてけっこうな明るさで照らしている。シン様は上体を起こしてベッドの上にいるようだった。
こちらに顔を向けるシン様の赤い目が少し距離があっても光にあたって見える。
いつもは温かく感じる眼差しが今は冷たく尖っているように思えて足が震える。
「それ以上近づくな! 早く――……っ!」
拒絶を示したシン様が急に背中を丸めるようにして苦しげな様子を見せた。
その姿を見た瞬間シン様の言葉は頭から吹き飛んでしまい、私は急いで駆け寄った。
「シン様っ! ――……っ!」
駆け寄った私と私に気づいたシン様が目を見開いたのはほぼ同時。
シン様は左半身の肌が白い鱗に覆われていた。
突然のことに言葉が出ない私を見たシン様は勢いよく布団をかぶり姿を隠してしまう。その時に一瞬見えた左目は瞳孔が縦に細長いものでまるで半身が初代様のよう。
「シン様……」
「どうしてきたんだ……! 君には知られたくなかったのに――!」
叫ぶ声は震えを含んでいて、どんな言葉をかけたらいいのか迷ってしまう。
まさかシン様がその姿を隠しているとは知らず、会いたいという軽い気持ちだけで訪ねたことを後悔してしまった。
「満月の夜僕はこんな姿になってしまう……。何代も前からこの姿になる人はいないというのに――」
「シン様……」
布団をかぶりながら小声で言うシン様に布団ごしに触れようとすると「触らないでくれ!」と厳しい声が返ってくる。
「同情なんていらない。どうせ君も罵るんだろう? 異形の化け物だと――!」
「な……っ!」
シン様の心ない言葉にカッとなる。体が熱を持って視界が歪み、私は感情のままシン様がかぶる布団を勢いよく引き剥がした。
「勝手なこと言わないで下さい! 私はまだ何も言ってません!」
具合が悪く取り乱している様子は気がかりだけど爆発した感情は止まらない。
「確かに驚きました。でもそれはシン様がその姿になることを知らなかったからです! 突然姿が違ったら誰だって驚きます……!」
叫ぶように言うとシン様が勢いよく起き上がって私を鋭く睨みつける。
「それじゃあ君はこの姿を見てどう思った? 半身鱗で覆われて片目だけ瞳孔が細長いこの姿を……!」
吐き出すように言われて私は言葉につまる。
どう思ったと聞かれても急なことだったからただ驚いたとしか返しようがない。
「分かりません。ただ、指輪のチェーンが切れて嫌な予感がして……。シン様の姿を一目見たかった、ただそれだけなんです……っ」
カッとなった気持ちが落ち着くと今度は急に寂しくなってくる。
潤んだ目から涙が流れるのをそのままに私はシン様を見つめた。
「シン様は優しい方です。私にいつも優しくしてくれて、仕事だっていつも一生懸命で。確かにシン様は蛇神様の血を引いているお方です。でも人の血だって引いています。だから自分のことを化け物だなんて言わないで下さい……!」
自分のことを化け物と呼ぶなんて悲しすぎる。
私は衝動にまかせてシン様に抱きついた。
「カル……」
「シン様はシン様です! 例え蛇の姿になっても――」
「ごめん。そしてありがとう……」
大声で泣く私が泣き止むまで、シン様はギュッと抱きしめていてくれた――。
それからしばらくして泣き止んだ私。
「もう一つ知っていてほしいことがあるんだ」と言ったシン様の様子をベッドの端に座らせてもらって見ていると、シン様は両手のひらを上に向ける形で胸元の高さまで移動させる。
目を閉じたと思ったら手のひらが光り出して驚いた。
「わぁ……!」
光がおさまるとシン様の手のひらには小さい白蛇が一匹乗っていた。
あたりを見て舌をチロチロと出し入れしている。
「このように僕と父は白蛇を分身として出すことができるんだ」
「すごいですね!」
可愛い大きさに思わず手を近づける。
すると蛇はスルスルと私の腕に巻きついてきた。
その様子にシン様が目を見開き、やがてパチパチと瞬きをする。
「カルは蛇は平気なの?」
「虫はほとんど苦手ですけど、動物なら大体平気です」
「珍しいね。国の始まりが蛇神様とは言え、毒がなくても蛇をあまり好まない人が多いのに……」
蛇の体をなでながら考える。
このような白蛇は街やお店の前でわりと見かけているから見慣れていたりするんだよね。
「小さい頃からお母さんが白い蛇は蛇神様と同じ姿だからそっとしておくようにと言っているんです。だから見かけても蛇神様が近くにいるのかな、と思っていました」
「ふふ、それはあながち間違いではないかもしれないね」
小さく笑ったシン様は私の腕に巻きついた蛇を優しくつかんで自分の手の上に再び置いた。
「蛇神様の本来の姿は白い大蛇と言われているから蛇神様本人ではないけれどね。さっき話したようにこの蛇は分身だから、街などで白蛇を見かけたら間違いなく僕か父の分身だよ。蛇が見た情報を僕達が共有しているんだ」
「そうなんですか……!」
「例えば蛇が見ている所で問題があれば場所を特定して向かうことができる。国内の様子を知るには便利な力かな」
シン様の能力に感動していると手のひらの蛇は消えてしまった。残念。
「――そういえば、カルは僕の部屋まで誰ときたの?」
ふいにこてんと首を傾げたシン様に私はギクリとする。
会いたい一心でここまできたから、微かな明かりの中の長い廊下を一人で歩いてきた。
視線をさまよわせる私に気づいたのかシン様の目がスッと細くなる。
「――まさか一人できたなんて言わないよね……?」
「そ、それは……っ」
低くなった声に私は慌てて立ち上がる。
このままでは怒られるかもしれないと思い、「お大事にして下さいね!」と言って扉へと走り出した。
けれど扉にたどり着くずいぶん前に腕の中に捕まってしまう。
「逃げたってダメだよ。この姿の時は体に多少の負担がかかるけど力は強くなるからすぐに追いつくからね」
「すみません……。慌てて部屋を出てきたので……」
腕を外され、聞こえた息を吐く声に恐る恐る後ろを向く。
怒っていると思ったシン様は予想とは違って困ったように笑みを浮かべていた。
「まいったな……。カルは僕の予想の上を行ってばかりだよ」
「シン様……?」
意味がよく分からず聞いても何でもないと濁されてしまってシン様の気持ちは読み取れず。
とりあえず怒っていないようで安心した。
「それじゃあ帰りは小さな護衛に送ってもらうことにするよ」
笑顔のシン様のもとに現れた姿に私は目を丸くする。
就寝の挨拶を交わした私は、長い廊下を足元に気をつけながら、可愛い護衛に部屋まで連れて行ってもらったのだった。