1 きっかけは母の独断
微睡みの中で気づいたいい香りにまぶたを開く。
部屋の窓、カーテンの隙間からのぞく光が朝と好天を知らせ、ベッドで身じろげば人の気配を感じた私。
部屋の入り口側へと視線を向ければ。
「いつまで寝てるんだい!」
仁王立ちしたお母さんから拳骨をプレゼントされた。
海に囲まれた国、セルペンテ国の中心に位置するクオーレ地区。中心地区だけあって昼も夜も賑わいのある場所に小さな料理屋がある。
名前はソレド。そのお店は私の実家を兼ねている――。
「いらっしゃいませ!」
来客を知らせるベルの軽快な音に私は笑顔で振り向いた。
体格のいい年配の男性が日に焼けた顔に笑みを浮かべて返してくれる。
「カルちゃん、いつもの一つ!」
「かしこまりました。店長ー! 焼き肉ランチ一つお願いします!」
カウンターの奥にあるキッチンに向けて声をあげれば、「はいよ!」と勢いのいい返事が返ってきた。
席へと案内して水を提供すれば、男性は一気に半分ほど飲んで店内を見回してまた私を見て笑う。
「今日も繁盛でよかったな」
「はい。おかげさまで」
人好きのする笑顔と言葉に私は嬉しくなって、減った水がいっぱいになるようにコップに水を追加した。
「お、サービスいいなー」
「サービスだなんて、言って下さればお入れしますよ」
「そうかそうか! 小さかったカルちゃんもこんなに大きくなって、そりゃあオレも年取るもんだ!」
「お父さんが二人いるみたいで私は嬉しいです」
近所に住んでいるおじさんには小さい頃からお世話になっている。
王様の側近に近いお役目をいただき、王宮で働いているお父さんは不在がち。そのため、この人は第二の父親のような大事な人だと思っている。
「嬉しいこと言ってくれるなぁ。――と、父で思い出したがカルちゃんは親父さんから聞いてるか? 第一王子が婚約者候補を募集してるって話」
「第一と言うことはシン様、ですか?」
第一王子のシン様は白銀の長い髪に赤い宝石のような瞳を持った見目麗しいお方らしい。
らしいと言うのは直接見た感想ではなく、お父さんから聞いた話のため。穏やかで優しく、父親である国王様と同じように国民思いだとか。
「ああ。全地区に通達がいっているらしい。カルちゃんも希望してみたらどうだ?」
「そんな! 私が王子様の婚約者候補を希望するなんて申し訳ないです」
「そんなこと言ってたら行き遅れるだろう? この泣き虫の寝坊助が!」
話しているとテーブルに音をたてて皿が置かれる。焼かれた豚肉が野菜と共に香ばしい湯気を漂わせていた。
タイミングの悪さにツヤツヤのご飯が今は憎く見えてしまって。
横を向けば赤茶色の髪を頭の後ろで高い位置に結んでいる店長――お母さんが笑っていて私は気まずくなる。
「今朝は寝坊してたもんだから拳骨を落としてやったのさ」
「お母さん……!」
何も店で言わなくてもいいのに!
恥ずかしさで私は顔が熱くなり視界が滲み出す。
せっかく今日はお昼時に泣かないですむかもと思ったのに。お母さんが私の顔を見て意地悪そうに笑っているからよけいに悔しい。
「まったく。泣き虫に寝坊助じゃあ嫁の貰い手なんて見つかりゃしないよ」
「まあまあ、ソーレさん。カルちゃんは涙もろい質なんだ。世界は広いんだから、どこかにそんなところも受け止めてくれるいい男がいるさ」
「そうかねぇ……」
信じられない、と言った表情のお母さんに見られて悔しい私は服の袖で乱暴に目尻を拭い、涙を流さないことをせめてもの反抗としたのだった。
「あれ?」
夜、店を閉めた後、明日は休日と言うことで私はリビングでゆっくりしていた。
もっとも調理はお母さんがするので、接客担当の私が夜にすることは早寝をする、ぐらいの必要事項なのだけど。
テーブルの上に置かれている一枚の手紙に気づき私は文章を読んでいく。
――ソーレ様
この度は第一王子シンの婚約者候補募集へ、カルドーレお嬢様のご推薦、誠にありがとうございます。
早速ではありますが、明日の太陽が真上の時刻にお迎えにあがりますので、ご準備のほどをよろしくお願いいたします。
なお、軽い面談の後にすぐに住みこみで試験が始まりますので、しばらくの間お嬢様をお預かりしますことをご了承下さい。
王、王子を始め心よりお待ちしています。
――王族一同より
な、何これ……!
読み終えた手紙の内容に、私は手紙を持つ手を震わせながらそろそろ風呂上がりだろう彼女のもとに走った。
「お母さん!」
脱衣所の扉を開ければ、パジャマに身を包んだお母さんがつり目がちな目を丸くして私を映す。
私が持つ手紙に気づいた途端意地悪な笑顔を浮かべ、タオルで髪を拭き始めた。
「ああ、気づいたのかい?」
「気づいたのってどういうことなの? 推薦したなんて聞いてないよ……っ」
昼間におじさんと話してた時に何も言ってなかったのに。
王宮はクオーレ地区の中心にあるから、今日の早い時間に送られていればここには当日中に届く。リビングのテーブルにあったということは今日届いたもののはず。
「言ったら駄々をこねるからね。行くことは決まってしまったから逃げられないよ?」
横目で私を見ながら鏡に向かうお母さんの姿が歪んでいく。次々にあふれてくる涙をそのままに手紙を握りしめながら考えを巡らせた。
――そうだ。私のダメダメさをアピールしたら、シン様は呆れて早々に家に帰してくれるに違いない。
こんな涙もろくて、学校を卒業して未だに能力を使いこなせない人なんて候補から外れるはず。
セルペンテ国に生まれた人は何かしらの能力を持っている。お母さんは料理が得意な製造能力。お父さんは炎と光に回復能力。
私はお母さんの製造能力とお父さんの回復能力が遺伝したけれど、十六歳になった今でもいまいち使いこなせない。
料理は能力を使うより手料理のほうがずっとマシだし、回復能力は軽い怪我や病気は治せるけど、重いものは症状を軽くすることしかできない。
王子様の婚約者候補を希望する人はきっと綺麗だったり可愛いかったり、能力も優れているに違いないんだ。
――それなら腹をくくり、試験を受けて帰ってこよう。
「わかった。試験を受けてくる」
「素直でよろしい。荷物はあたしの部屋に作って置いてあるからね。忘れずに持って行くんだよ。――まあ、軽い気持ちで行っておいで。勝手に推薦しといてなんだけど、出会いはどこに転がっているか分からないもんさ。王様も王子様も悪いようにはしないだろうし」
「お母さん……」
髪を拭く作業を止めたお母さんは私のほうを向いて表情を和らげた。
う……。普段滅茶苦茶で強引なのに大事な時はお母さんの顔するなんてずるいよ。
感動して泣きそうになっていると、お母さんは徐に右手の親指と人差し指をくっつけて丸を作って動かした。嫌な予感に涙がひいていく。
「運よく選ばれたら儲けもんだしね。旦那は王様の側で働き、娘は王子様の婚約者候補。これは店が繁盛するよ!」
声を大にして笑うお母さんに違う意味で泣きそうになる。そうだった。お母さんはこういう人だってことを感動のあまり忘れてたよ……。
「頑張りな!」と力強く背中を叩いてくるたくましいお母さんに、無言でぎこちなく頷くことしかできなかった。
翌日。太陽が真上にくる少し前に私は玄関を出て家の前に立っていた。
ワンピースのスカート部分が春風に時々揺られながら、ポカポカとした暖かさにウトウトしてくる。両手に持った旅行鞄が下がる度に隣から咳払いが聞こえて慌てて意識を保つ。
これから王宮に向かうのだからと頭を切りかえていると、遠くから馬の足音が聞こえてきた。小さな姿が段々と大きくなり、白い毛並みの馬が引く馬車が私達の前で停止した。
「カルドーレ、久しぶりだね!」
運転手の男性は私を見るなり満面の笑みで話しかけてくる。
オールバックに整えられた茶色の髪に軍服。きちんとした服装に王宮からきた人だと分かるが、それは意外な人物で。
なんと馬の手綱を持った運転手はお父さんだった。
「王様と王子様に許可をもらって父さんが迎えにきたぞ」
くしゃくしゃな笑顔で話しかけてくれるのはすごく嬉しい。お父さんは王宮で働いているからなかなか家には帰ってこられない。だから会えるのはすごく喜ばしいのだけど……。
「なんだい。あなた馬車を扱えたのかい」
私の隣でお母さんが感心したように言う。お母さんも知らなかったんだ。
「ソーレも久しぶり。元気だったかい?」
お父さんが穏やかに話しかけるとお母さんはふんと鼻を鳴らした。
その様子に私とお父さんは視線を合わせて笑う。お母さんが鼻を鳴らすのは照れた時の癖だから。
「まあまあ元気でやってるさ。そっちこそ体壊すんじゃないよ」
頬を緩めたお母さんが聞き返す。
穏やかなお父さんと男勝りのお母さんがどうやって出会って恋に落ちたのかは知らないけれど、この二人の仲は変わらずいいみたいで密かに安心する。
そう思っているうちに二人の会話が終わったみたいで、私に馬車に乗るようにとお父さんが促した。
馬車に乗るために馬の近くを通るとじっと見つめられたので立ち止まる。
「綺麗な馬だろう? おとなしいから触ってごらん」
お父さんに促されて腕を伸ばせば、馬が頭を低くしてくれた。そっと撫でてみると馬はおとなしく撫でさせてくれたので少しの間感触を味わう。
心なしか目を閉じかけているように見えて可愛い。
「それじゃあカル、しっかり王子様の心をつかむんだよ。あんたは押しが弱いからね、わざと転んで胸に飛びこむくらいしきゃダメだからね!」
「そんなことお母さんじゃないんだからできないよ……」
馬車に乗りこんだ私にお母さんがあれこれと助言してくれるけど、とても実行できそうにない。
お父さんはにこにこしたままだし。
「いいかい? 機会があったら手料理を食べてもらうんだよ。能力を使うよりもずっと心をつかめるはずだからね」
念を押すお母さんに曖昧に頷いて見せる。
お母さんは製造能力を使って料理をお店で提供しているけれど、実は手料理も上手で。母の持論は手料理は大切な人と落としたい相手に使う、とのことらしい。
早く家に帰ってきたい私としては料理を失敗して印象を悪くしたいけどそんなことは口がさけても言えない。連日拳骨はもらいたくないからね。
「名残惜しいけどそろそろ出発しよう」と促すお父さんに頷くと馬車はゆっくり動き出す。
「お母さん、行ってきます」
「元気でやるんだよ!」
ブンブンと大きく手を振ってくれる姿に、私は見えなくなるまで手を振り返したのだった。