序章
諸事情あって書き直しました。以前読んでいただいていた方も、これから読んでいただく方も、よろしくお願いします。
小学生の頃に天才だの神童だのと言われていた子供は結構いるだろうと思う。まあ、そういう評価にはたいていの場合親の贔屓目だとか周囲の大人の過剰な期待だとかが多分に含まれているもので、子供達の間では別にそういう共通認識があるわけでは無い場合も多い。ただ、実際に周囲の子供より勉強が出来る子というのはいるもので、それが原因で人気者になったり逆に虐められたりしている子供もいるわけだ。
けれど、そういった子供達も中学生、高校生と成長して、勉強のレベルが上がっていくにつれて、二つのパターンに分かれる。一つはそうした周囲の期待に応えようと、周囲の評価を維持しようと勉強を頑張って、高い成績を維持する者。
もう一つはそうした評価に胡坐を掻いて、あるいはそもそも子供の頃がたまたま勉強が出来ていただけで、本来勉強熱心な方でも頭が良い訳でもなく、結果として成績の下がっていく者。
まあ、いずれのパターンもどこにでもあるような、ごくごく普通の話である。そして俺の場合は後者だった。無駄に期待されてはいたものの、その後は特に結果を残せるわけでもなく、そもそも周囲の人間に頭がいいと思われようが悪いと思われようがあんまり気にしない――― いやそれは嘘か。頭がいいと思われた方がいいに決まってるし、成績だって高い方が良いに決まってるが、そうなるだけの努力はめんどくさい。まあ、これもごく当たり前の話だ。楽して頭がよくなりたいだなんて、とてもありふれた望みであるだろう。
けれど、俺の場合は人生のある一点まではそうなっていたはずだった。特に努力したわけでも無いのに成績はよく、運動も出来て、まさに俺の人生はイージーモードだった。けれど、今となってはただの過去だ。成績だって何とか平均点に喰らいついてるような状況だし、運動も真ん中辺り。
まあ、それはいい。別に努力していたわけじゃ無い人間が落ちぶれていくのなんて普通のことだ、なんていうのは今の俺には十分理解できている。才能なんていうのが機能するのは本当にトップレベルの世界の話で、普通に生活している時には才能だけで努力を上回ることなんて出来ない。
けれど、ここで問題なのは、俺の場合落ちぶれていく過程が一切無かったことだった。ある日唐突に、普通程度の学力と身体能力に落ち着いてしまった。魔法が解けたみたいに、なんて言い方は高校二年の男子としてはちょっとメルヘン過ぎる気がするが、とはいえ間違ってはいない。四年前のある日を境に、俺という人間は大きく変わってしまっていた。
そして、そうした自己の能力と一緒に、何か大切なものを置いて来てしまった様な違和感を覚えるようになった。多くの人が一度くらいは経験があるんじゃないんだろうか?ふと、何か忘れ物をしたような気がして鞄の中を漁ってみるけれど、一体何を忘れてしまったのかが思い出せない、あの感覚だ。けれど、そういった場合普通はすぐに思い出すか、あるいはただの取り越し苦労で、そのまま何事も無く過ごしていくうちに“忘れた気がしたことすら忘れてしまう”ものだろう。
けれど俺の場合はその喪失感というか、“何かを忘れてしまった”という感覚がいつまでも続いていた。とはいえそれも四年前のことだ。四年もあれば人間慣れてしまうもので、今では普通の高校生として、普通の生活を送っていた。
そしてそれは、あの時、あの場所で、あの人に会わなければ、あるいは死ぬまで続いていたのかも知れなかった。