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彼女の騎士であるために

作者: じーた


 A PERT《月天の終幕》



 空には純白の満月、取り囲む星のほうは文明の光に敗戦気味でちらほらとしか見えないが、それでも雲ひとつない夜空は圧倒的なスケールで視界を支配し、自分がいかにちっぽけな存在かを悟らせてくれる。そんな夜空があるおかげか、俺の心は案外穏やかなままだった。

 彼女とともに見上げる最後の夜空になるだろう――と、そんな現実を前にしても落ち着いていられるってのは少し助かる。おかげで、人生でもっとも希少であろう数時間を無駄にせずにはすみそうだ。


「よい風だが、この心地よさも最後となる――か」


 校舎の外壁を駆け上がる風になびくのは、常識はずれに長い黒髪。絹糸なんかよりよほど綺麗な髪を弄んでいた彼女はこちらに視線を向けてくる。魅力という概念そのものを我が物にしているような漆黒の瞳を見つめるのは数秒、気を抜くとそのまま魅入ってしまうので、俺は横においてあったリキュールの瓶を彼女に手渡し、もうひとつを月に掲げる。

「ふたりの未来に、とでもしますか?」

「よせ、虚しい」

 すこし不機嫌そうな声で唸る彼女は、ひと睨みをくれてから瓶同士を軽く触れさせた。

「代わり映えもせず殺風景な月に、というところだな」

「そいつは問題発言では?」

「構わん、変えようもない現実だ」

 一息でリキュールを空にしてしまった彼女は浅く息をつき、安っぽいガラス瓶を眺めてつぶやく。

「ん。そなたの隣で飲む酒は格別だな」

「その豪快な飲みっぷりで言われても説得力が有りませんけどね……。ま、こんな安酒でよければいくらでもお付き合いしたいところなんですが……」

 空瓶をうけとりながら、視線が落ちるのはどうしようもなかった。

「気に病むことはない。そなたにはなんの責任もなく、故に咎もない。むしろこの一年間、騎士としての任を全うしてくれたそなたにどうすれば報いることができるのか、それが未だに判らぬほどだ」

 彼女は黒曜石みたいな瞳でまっすぐに俺を見て生真面目に言ってくるが、そんな言葉には自然と苦笑が浮かんだ。

「水臭いですよ」

「水臭い……と?」

 呟く俺に彼女はほんの少し目を丸くして、俺の言葉を反芻する。

「そうですよ、俺と貴女の仲じゃありませんか」

 冗談めかして言うと、彼女はくすりと息を漏らした。そうか、感謝の言葉は無粋か――と。


「冷えるな、今宵は」

 肩が触れ合う位置に座りなおして、おそらく心にも無いことを彼女は言う。微笑混じりに向けてくる流し目は、頬が僅かに染まっていた。

「なんだその目は? 顔が赤いのは照れておるからだぞ?」

「承知しました、そういうことにしておきます」

 先回りして釘を刺され、とりあえず神妙な顔をしておく。

 そしてしばらくの沈黙。彼女と触れ合ってなどいるせいで、せっかく落ち着いていた心が騒ぎ始める。力任せに片付けたはずの山ほどの迷いが、隙間だらけの自己欺瞞から漏れ出してくるようだった。情けない話だ、少なくとも見送るまでは毅然としておこうと思ってたんだが。

 そんな俺の動揺を感じ取ったようで、彼女はこちらに身を預ける割合を少し増やした。

「別れは、辛いか……?」

 言葉には偽り無く――そんなもっとーを心に決めていたものだが、しかしこればかりは誤魔化すほかない。

「職務上の都合により、黙秘権を行使させていただきます」

 そう告げて黙り込む。今の沈黙はじわじわと傷口を広げる刃物みたいなものだが、下手に口を開いて余計なことを言うよりはいくらかましだ。

「そうか、私は正直辛い」

 だというのに、彼女は穏やかな目をして言ってくる。

「私はそれほど長く生きたわけではない。しかし、そなたのような者との出会いが二度とある自信が持てない。とても貴重なものを失ってしまうようで、恐怖すらある」

 いつもの淡々とした口調、感情はほとんど乗せられない、ただ綺麗な声。表情を見れば何か読み取れたかもしれないがそんな勇気もない。そのまま沈黙を維持する俺に、彼女はさらに続けてくる。

「このままふたりで暮らすのも悪くないな。今のそなたの力なら、遠征部隊程度を追い返すことくらい可能だろう」

「……それが貴女の本心ならば、命を賭してでもかなえる覚悟はあるんですけどね」

 余計なことを言ってしまったと気づいたのが遅かった。冗談だったのかもしれないが、目を逸らしたときの苦しげな表情が目に焼きつく。

「すまぬ、忘れてくれ」

 彼女は頭を振って立ち上がった。腰よりも長い黒髪が風に舞い上がり、その視線の先は真円の月。月光に照らされる姿はため息が出るほど壮麗で、こんな間近で見ていいものかと疑問を抱くほど。燐光を帯びているように見えるのはさすがに錯覚だろうが、神懸り的な、なんて表現も過ぎたものではないと確信できる。


 ――まあ、それも当然。彼女は、月の王女様だというのだから。


「仮に、今俺が貴女を独占したところで与えられる幸せは一時のものでしょう。いずれ貴女は月を見て哀しい目をするようになる。それが判っていて引き止められるはずもありません」

 なにしろ三十万の国民が待ちわびる女性だ。ただ離れたくないから、なんて理由で引き止めるだけの度胸がないだけともいえるな……。

「酒はもうないのか?」

 何かに満足した様子で腰を降ろした彼女はあからさまに話を変えてくるが、確かにどうでもいいものだったのでおとなしく乗ることにする。

「昨日あれだけ飲んでおいてそれですか、さっきのが最後ですよ。俺の財布は綺麗なものです、中身だけね。

 すぐ記憶が飛んでもつぶれないってのは厄介です。改善をお勧めしておきますよ」

「気にするな、酒を飲む機会にも恵まれなくなる」

 彼女の気持ちの切り替えはすでに済んでいるようで、恨めしそうな顔すら作って言ってくる。

「なんでそう、避けてることを蒸し返すんですか貴女は」

 細い針で貫かれるような胸の痛みに顔をしかめると、彼女は満足そうな顔をついと背ける。

「ただの嫌がらせだ。そなたが泣いて行くなとすがり付いてでもくれれば気持ちよく踏み倒していけるかも知れんのに、下手に気を利かせたりするから私ばかりが惜しんでいるようではないか」

「前半は聞かなかったことにします。しかし今生の別れというわけでもありません、そう深刻になることもないのでは?」

 風が少し変わり、彼女の髪がこちらに流れてくる。不快なんてことは微塵も感じないが、彼女はすまぬと言って自分の髪を抱き寄せ、にやりと笑う。

「それもそうだな、さっさと国を纏め上げ、適当な後釜を据えて戻ってくることにしようか」

 王族の生き残りの軽口に言葉を詰まらせていると、なにやら凶悪な目つきで睨まれた。

「冗談だ、付き合えばか者」

 少し顔を寄せればキスでもできそうな距離で睨まれ、俺はため息ひとつ。

「まあ、愛人二号くらいには立候補しておきます。採用された暁には月まで通いますから、どうぞご検討のほどを――ああ、今の二号ってあたりがキモですからね?」

 俺の言葉に口の端を吊り上げ、彼女は挑戦的な視線を投げかけてきた。

「その言葉、忘れるでないぞ……?」


 ――眼下に異変が生じたのは、ちょうどその瞬間。


「身の程をわきまえぬ連中だな、夏の羽虫より始末が悪い」

 一気に温度を下げた視線が見慣れた校庭に現れたいくつもの光球に突き刺さる。一瞬前まで動くものすらなかった校庭に出現したそれは、大きさにして直径三メートル近い。

「ま、いいじゃないですか。貴女のために振るう最後の剣です、活目してご覧下さい」

 ダンスの誘いのように手を差し伸べると、憮然とした表情のままで彼女のそれが重ねられる。そうして身を躍らせるのは虚空、六階建ての校舎からの投身なわけだが、その速度は気が抜けるほどにゆっくりとしたものだった。

 ブレスレットが展開するホログラフのインターフェースを操作しながら、彼女は告げてくる。

「学校の敷地を範囲に障壁を展開、構造物の保護も完了。警備員が校舎の中だが心配は要らぬだろう――。

 さて、舞台は整えた。そして、私が下す最期の命になるだろう、心して聴くがよい」

 地面へと到達。こちらの手を離した腕が水平に持ち上がり、眼前の『敵』へと向けられる。


「散らせ――」


 承知の言葉は口へと出さずに胸に刻み、発せられた言葉を追い抜くようにして、大地を蹴り出す――。



 B PART 《月下の終演》



「五番を転送。二番、三番を戦闘待機」

 一歩ごとに加速を強めながら、左に重心を傾ける。

 言葉に応じて胸元のペンダントが大量の白い粒子を吐き出し、俺の右手に集まって凝縮した。

 崩れたバランスを取り戻す明確な質量は慣れ親しんだもので、視界の端には巨大な刃物の先端が映る。全体像としては車でも両断できそうな刃が一対になった超重武器だ、大層な名があるらしいが俺はただ五番と呼んでいる。

 対剣の柄に左手を添え、突進の勢いを振り下ろす刃へと叩き込んだ。

 刃の先には身の丈で二メートルを軽く超える敵の姿。簡単に形容するのならロボットだろう、つやのない白い金属からなる人型のそれは、特徴的な頭部やら各所に装着されているプレート状の増加装甲など、一見して戦国時代の鎧武者を連想させるような形状でもある。

 こちらの攻撃に日本刀によく似た片刃の剣を合わせようとしたようだが、どれほどの質量差があるかは想像もつかない。巨大な日本刀はあっさりと折れ飛び、一撃目が頭部を潰して胸の装甲を引き裂き、対となる二撃目で完全に両断する。

 振り下ろした縦の動きを強引に捻じ曲げて横なぎに変化させ、右から詰めてきた二体目の胴と下半身の接合面を断ち切る。柄を持ち替えて頭上で旋回させて消費した分のエネルギーを補完してやってから、残骸を踏み越えて強烈な刺突を繰り出してくる三体目の頭に真上からたたきつける。

 金属やらケーブルやらを引きちぎる手ごたえと同時に、軌道のずれた突きが肩口を抉って抜けていく。相手のボディに半ば食い込んだ武器を振り上げようとしたその瞬間、足元の影が濃くなったような気がして動きを中断、勘を頼りに背後へと突き出すと切っ先が金属へともぐりこむ手ごたえが伝わってくるが、有効なダメージであるはずもないだろう。

 振り回しているのは自重を上回る武器だ、包囲されている状態でエネルギーを失ってしまえば十分な破壊力を与えられるだけの初速を稼ぐのは難しい。思い切り良く手放して、体を投げ出すようにして横に跳んだ。

 一瞬前まで立っていた地面が粉砕される音を耳にしながら、視界の端に捉えたのは閃光。

「三番転送――」

 着地点を狙ってきた飛び道具の一撃は、白い粒子から物質化した六角形の『盾』が防いでくれた。

 素粒子に擬似的な質量を与えて云々かんぬんという謎の理論で成り立ち、分厚い鉄板すら楽に撃ち抜く光学兵器の一撃は金属質な音を立ててただの光の飛沫へと変わる。

 足を止めざるを得なかったその一瞬、巨体に似合わぬ機動力で距離を詰めてきた四体から振り下ろされる四本の刃。エネルギーに換算すれば俺を百回殺して余りあるそれは手のひらほどのサイズに分かれて滑り込んできた盾が受け止める。姿勢を立て直しながらさらに告げた。

「二番転送」

 ペンダントはお決まりのプロセスで白い粒子を吐き出し、両腕にまとわりついた直後には二連装の杭打ち機の姿がそこにある。自律行動する盾と機械仕掛けの鎧武者が力比べをしているうちに、装填されている杭をそれぞれに打ち込み一気に離脱。人の腕ほどもある杭にボディを貫通されても動き続けるタフさに恐々としながら、盾を呼び戻して集結させ、呟く。

「爆ぜろ――」

 刹那、体を圧縮されたのではと感じるほどの爆圧と轟音が炸裂し、それこそ榴弾並みの威力で飛び散った破片が盾に衝突する音がする。

「お怪我はっ!?」

 爆心地との直線上で盾を展開したが、背後には彼女の姿があった。

「案ずるな、好きに戦れ」

 微笑に頷いて、前方に展開していた盾を散らして再加速。

「四番転送――」

 伸ばした手の先に膨れ上がる光、数秒を要して実体を持ったそれは一メートル半ほどの白い投槍。刀を持った武者が作るラインの後ろで砲を構えているやつの照準から逃げながら最短距離の一体に肉薄して、誘った大振りの一撃をかわしてバックステップを踏みながら槍を投擲、肩口に突き刺さった槍は先ほどの杭同様炸裂する仕組みになっている。上半身の半分を吹き飛ばす爆風を盾で防いでから二本目の槍を光の中から掴み取り、近接戦の装備をした最後の武者へと投げつける。

 乗用車程度なら至近で爆発するだけで破壊する火力があるものの、相手の強度は信じられないものがある。開放されたエネルギーは一トン近い重量を圧力で圧倒するが、ダメージを与える様子は無かった。

 だが十分、姿勢を立て直す前に距離を詰め、三本目の槍を直接叩き込んだ――。

「なっ!?」

 そこで予想外の出来事に見舞われる、相手が両手で保持していた大太刀を手放して抱きついてきたのだ。とてもじゃないが逃れられるタイミングではなく、嬉しくも無い金属製の抱擁を受けることになる。

「……この、最後になってえげつない真似覚えやがって」

 今の肉体強度ならベアハッグで殺される心配は無いにしろ、拘束具合からすると脱出の余地は無い。肝心の槍を刺すことには成功しているが、その位置は人間で言う鎖骨のあたりなので目と鼻の先、起爆させたとしたら俺の頭も綺麗に無くなりそうだ。

 打開策の浮かばないうちに武者は向きを変え始めた。そうして正面に抱えた俺を晒したのは、準備万端で構えられている三つの砲口の先。

「捨て身とは、なかなか洒落てるじゃねーか」

 ぞわりと、嫌なものが背筋を這った――。


「思い切ったことをしたな、大丈夫か?」

「幸いにして致命傷はありません。出血にしてもしばらくは大丈夫でしょう」

 二の腕に食い込んだ板状の破片を引き抜きながら受けた被害に意識を向ける。脱出のためには槍を起爆させるしかなかった。分割して滑り込ませた盾で重要な部位は守ったが、止め切れなかった破片は皮膚を突き破り、筋肉に食い込んでとまっている。

 立っているだけで意識が遠くなる痛みに襲われるが、気合とか根性みたいなものを総動員して直立を保つ。

「あまり無茶をするな、そなたが傷つくのを見るのはあまり気持ちのいいものではない」

「失礼しました、すぐに片付けます。残りを掃討するので射線上の障壁の補強をお願いできますか」

「承知した。詰まらぬしがらみだが、頼む」

 どうにも力の沸く言葉を背に受け、再び駆け出す。痛みはその場に置いていった。

 残っているのは砲を構えた武者三体、体調が十分なときなら速力でかき回して破壊できそうなものだが、今それをやるには少し分が悪い。

「七番、転送」

 防御は盾に任せ、足を止める。

 それまでよりも多くの粒子がペンダントから溢れ、右腕を包むようにして前方へと伸張した後には白い砲身が物質化する。

《クレフィオス、構成安定。設定を》

「最大出力、最期と思って魂込めやがれ」

《コマンドエラー》

「……空気の読めないナビだな。出力最大、レベル九までのリミッターを解除、リザーブのエネルギーも出力に回せ」

 すでに動くことはできず、短いサイクルで放たれる光条がひっきりなしに盾で弾けている。強度は怪しいところで、いつ貫かれるか判らないあたりがスリリングだ。

《承認。チャンバーへのエネルギー転送を完了、加速開始、推定出力を元にカウンターレベル仮定、射出反動を30パーセントに設定、射撃誤差補正、コンマ3パーセントで安定。ガイドバレル安定――警告、出力限界を超えます》

「そうだな、世話になった」

 そうして、発射準備の完了を告げるメッセージを聴いて重いトリガーを引き絞る。反動はたいしたことが無いものの、放たれたのは冗談じみた体積の光の奔流。その出力に砲身が自壊する音を立てながら、月に穴でもあけられそうな砲撃は三体の武者を飲み込んで塵も残さず掻き消し、最終的に学校を包む障壁を震わせてやっと収まる。

 使い物にならなくなった砲をその場に落として一息つく。深い溝ができたものの親しみのある校庭に動くものはなくなるが、しかしこれで終わりのはずはない。

「一番転送」

 そんな予感は当然のごとく現実のものになり、うなじの辺りで小さな違和感が弾ける。

 俺よりも早く反応した盾が一斉に散開して脅威の方向へと集結するが、その全てをたやすく蹴散らして迫ってくるのは真紅の刃。

 間一髪で転送の完了した刃が赤い殺意をかろうじて受け止め火花を散らした。

 拮抗した刃の向こう、ぎらぎらとした黒い瞳と視線が交差する。

「やっとお出ましか、左遷部隊の隊長さん」

 異物を食い込ませた筋肉の悲鳴を無視しながらにやりとして言ってやると、相手は露骨な殺気を叩きつけてきた。

「その身体で、相変わらず達者な口だな」

 ひとまわり増してくる負荷に抗しようとするが、食い込んだ金属片が赤熱したかのような痛みに冷たい汗が噴出し、血の溜まった靴はあっさりとグリップを失う。そんな隙を逃す相手でもなく、下手をすれば首を吹き飛ばされそうな蹴りが襲ってきた。かろうじて肩で受けるが、骨格をばらばらにされるような衝撃に次いで、普通の状態なら身体の半分が削られそうな勢いで地面を滑走する羽目になる。

「ったく、怪我人相手に容赦ないな……」

 十メートルほど吹き飛ばされて跳ね起きる。ただ顔の筋肉が引きつっただけのような笑みを浮かべてみても、返ってきたのはいつもの怒声ではなく極めて落ち着いた声。

「もはや、手段は選ばん」

 瞳に余裕の無い闘志を宿し、男は告げてくる。

「逃亡した王女の暗殺などという任を受けた時点で武人という立場など失ったようなもの。しかしその任すら満足にこなせないようでは、私の誇りを捨てる他無い。このような形で貴様と決着をつけることになるのは不本意だが、役目を遂げたら私も死ぬつもりだ。詫びはあの世でさせてもらう」

「めーわくな覚悟決めてくれんなよ。大体、お前の国は負けたんだろう?」

 ぐちゃぐちゃと嫌な音を立てる靴は仕方なく脱ぎ捨て、さっきの蹴りで腱を完全に潰された左腕はもはや役に立ちそうにない。右手を鍔元に寄せ、左手は柄尻に引っ掛けるように下段に構える。まともに打ち合えるのは、良くて二合というところだろう。

「ああ、今は退く。しかし王族が絶えたとあれば国は乱れる。後ろの女さえ殺せば、再び戦力を整えてからでも潰すのはたやすい。故に――私の役目は意味をなくしたものではない」

 構えられた剣にこちらも応える。

 アツイやつだ、マジで国に命捧げるつもりかよ。そんなことを胸中でつぶやきながら、砲弾じみた突進を全力で受け止める。高速道路でトレーラーとタイマン張ったほうがいくらかましだと思えるプレッシャーを押しのけ、かろうじて耐え切った金属の衝突音までもが数え切れない裂傷に響いて脳が焼ける。

「貴様の首は私の生涯最高の栄誉にして最大の汚点だ。このような腑抜けた大地ではなく、真の戦場で剣を交えてみたかったものだな」

 ぎりぎりと耳障りな音を立てる刃を隔てて職業軍人が吼える。

「死んでも御免だ。俺は少年誌のラブコメみてーのがやりたかったんだよ。素敵なかぐや姫様が舞い降りたってのに、何が悲しくて死にかけながら暑苦しい軍人とチャンバラだあぁ!?」

 勢いに任せて剣を振りぬき、その遠心力を捻り込むようにして半回転。捨て身じみた後ろ蹴りは奇跡的にクリーンヒットするが、分厚い胸甲の先に与えたダメージはわずかだろう。

 案の定切り返してくる斬撃に影響などまったく見えず、フェイントなんて影すら見えない馬鹿正直な太刀筋は、受け方を間違えれば全てが致命傷に至るもの。袈裟、右薙ぎ、逆袈裟と続いた三連撃をよろめきながらも何とかかわし、喉元を狙ってきた突きを剣の腹で受けた反動で間合いを開く。

「最後だってのに情けねえ姿晒させやがって、俺と彼女の夜を返しやがれ……」

 止まる気配の無い出血に足元を確認すると、滴り落ちた血がかなりの範囲で地面を濡らしている。血を吸った学生服の重量さえ抗しがたいものになってきた。剣の切っ先が校庭へと突き刺さり、次に構えたらそこで力尽きるかもしれない。

 心の底には明確な死の予感が広がり始めているが、麻痺した頭はそれを恐怖と捉えない。痛覚を告げる物質が在庫切れになりでもしたのか、感じるのは焼けるような熱さだけになっていた。

「次の一太刀を最後にしようぜ、かったるい舞台の幕引きだ。ほら、終幕にはちょうどいい舞台でもあるわけだしさ……」

 半分以上を闇に飲まれた狭い視界、その中にかろうじて相手の姿を捉え。剣を引きずるようにして構えらしきものをとる。この状況で斬撃と呼べるのは全身を使った左の切り上げくらいだろう、予想ではこちらの剣がとどく前に腹の辺りから両断されそうだが、意識が消える前に四番の転送と起爆をタイムラグ無しに行えば傷を負わせることくらいはできるだろう。倒すまではいかなくとも、彼女が逃げ切れるだけのダメージを与えればそれで十分、後は迎えに任せればいい。

 まあ、こんなところか。思いつく限りの最善の策なのは間違いない、怒られるだろうし、ひょっとしたら泣いてまでくれるかもしれないが……。

 ――申し訳ありません。俺はこの程度だったようです、

 胸中で深く謝罪。腰溜めに構えられる真紅の剣に意識を集中し、すぐに来るであろう最後の瞬間へ余力の出力点を合わせる。

「今の貴様と冥界で手合わせしたら、正直勝てる気はしない。殺せるのは肉体だけかもしれぬが、今はそれでよいのだ……」

 何かをなだめるような口調をかき消すようにして響くのは地面をえぐる瞬発の快音。地を這うような飛翔はもはや捉えることもできず、身体が覚えたタイミングで剣を振り上げるほか無い。

 どこか遠くで、彼女の声を聞いた気がした――。


「……少しは骨のある女かと思っていたが、違ったようだな。この期に及んで部下の死も看取ることができぬとは、騎士への侮辱も甚だしい。死体に偏った身体で私と切り結んだこいつの意志すら踏みにじるつもりか」

「なんとでも言うがいい、心の底から愛した者の死体を踏み越えて生きられるほど、私は強くない」

「そういう腑抜けた感情論を気にするわけではないが、それでは自分が許容できぬといったものをそいつに押し付けるころになるのではないか、姫よ」

「なに、私と違って恐ろしく広い世界で生きる人間だ。私一人が抜けた穴など、すぐにほかの誰かが埋めてくれよう。面白い話ではないが、それならそれで私は満足だ」

 なにやらひどく的外れなことを彼女が言っているのが聞こえる。何故頭の上から聞こえるんだとか、すぐそばで聞こえる熱血軍人の声ってのも無視できないものがある。

 確かめようにも身体は言うことを聞かず、まぶたが開いているのかどうかすらはっきりしない。遠くに見える小さな光は、ひょっとしたら月だろうか……。

「自己犠牲か、王族が抱くにはずいぶんな終焉だな」

「違うな、ただの身勝手な自己満足だ。そう考えれば不自然ではあるまい?」

 いや、貴女が身勝手なのはいつも通りで構わないのですが、今回のそれは俺にとってとても困ったもののような気がします。とりあえず、心地よすぎてなにもかもどうでも良くなりそうな今の状態からは抜け出さないと……。

「――そのまま眠っていろ。組織の回復は最優先で行っているが出血が多すぎる、無事では済まなくなるぞ」

 いや、そんなことはどうでもいい。問題なのは貴女がなにをしようとしてるかってことだ。俺の想像通りだとしたら、それは本当に俺に対する侮辱に他ならない。俺は貴女を守ると誓った、その誓いを交わした以上、貴女は俺自身の死でもそれが必要ならば見届ける義務がある。

 だから、貴女が俺の身代わりになるなんてことは……絶対にあってはいけないこと、

「馬鹿にしないでいただけますか? 俺は、生半可な気持ちで貴女の騎士になったわけではありません」

「止めろ、自分の身体のことは判っているはずだ、今無理に動いたところで……」

「運動補助の不随制御率を限界まで上げれば、そこの暑苦しい男を殺すことくらいはできます。貴女にここまで舐められてはそういう無茶をせざるを得ません。無様に生き残ってしまうあたりが少し不安ですが、ほかに手も無いでしょう」

「ふざけるなっ! そんな真似許せるはずが――」

 ペンダントに手を伸ばそうとする彼女を拒み、秘密で組み上げておいたプログラムの起動コマンドを呟く。

「制御式・修羅」

 ――剣は手の届く位置にあった、指で手繰り寄せた柄を握り締め、そのまま柄尻を突き上げるようにして相手の顎へ。防ぎに入ってきた掌に止められた場所を支点に手首の動きで刃を振り上げる。筋繊維の断裂する音を立てながら振り上げられた剣の切っ先は胸甲を深く切り裂き、次いで相手のバックステップに追いつく速度での踏み込み、理想的な震脚をもって繰り出した掌底はトン単位の衝撃を分厚い金属に送り込み、結果として傷を原点に胸甲は粉砕される。代償に左腕の前腕骨は縦に裂けるようにして皮膚を突き破ってくるが、今身体を動かしているのは筋肉ではなくペンダントが発生させる擬似ベクトルなのでいわば操り人形状態。痛みをこらえさえすれば、肉体は理想的な攻撃を勝手に繰り出してくれる。

 体組織の強度を無視して、というのははっきりと証明されたが。

 水平に吹き飛ぶ身体を追って、腱の切れる嫌な音を立てながら低い跳躍。相手が踏みとどまった瞬間に逆手に握った剣を力任せに叩きつけると、質量差を上回る速度があっさりと相手の防御を打ち崩す。バランスを崩して無防備に晒された脇腹への蹴りは確実に心臓へダメージを与えるものだった。

 深刻な吐血を確認しながらも攻撃に加減など見えない、左腕に続いて右足が廃材となった身体で、剣の切っ先を相手の心臓めがけて突き込もうとするのが判る。だが相手も不意打ちを受けた衝撃から立ち直る頃合で、そのままいけば互いの剣が相手の心臓を破壊するのはほぼ同時に思えた。

 相討ちなら、それもいい。そんなことを思った瞬間だった。

 視界を流れた黒い髪に死の恐怖を超える戦慄が走り、もはや軌道修正の効きそうに無い刺突に自分の左膝を叩き込むことで捻じ曲げる。

 とうに死んでいるはずの神経が、肉を裂く感覚を伝えた気がした。


「――貴様等の間に割って入るというのはどれほどの無謀かとも思ったが、やってみれば意外とできるものだな」

 極度の緊張によるものか、額に汗を浮かべながら彼女が呻いた。両手で支えた短剣で真紅の刃を受けながら、俺の剣はその脇腹を掠めるようにして浅く肉を裂いている。

「なに……を……」

 すでに運動補助なしではまともに立つ事もできない身体で、崩れ落ちるようにしながら彼女を見上げる。その後ろでは、すっかり冷めた顔をした黒い騎士が剣を納めていた。

「さて、理由はともかく私は貴様の命を救ったな? 貴様の騎士道とやらは、私も少しは勉強させてもらったつもりだが」

 出血の始まった傷口を押さえ、彼女は薄い笑みをたたえて見上げる。

 立ち上がっていた黒い騎士は、吐血の後を拭ってから静かに答えた。

「もはや、恥の上塗りを気にする余地すらない。これは死場を求めるのに苦労しそうだ」

「そう言うな、仕える相手が合っていなかっただけだろう」

 覇気すら失せた背中が空間の揺らぎに消えた後、いきなりぺたりと座り込んだ彼女は俺の頭を抱きこむと深く息をついた。

「まったく、十年は寿命が縮んだ。そなたが無茶をするからだぞ?」

 身体が動いていたら、殴ってしまっていたかもしれないと本気で思った。なんて事をしてくれたんだこの人は、俺の反応があと少し遅ければ、俺の剣が彼女を貫いていたかもしれなかった。

「この身体もそうだ、集中治療に入るとして三ヶ月。それでも元の状態まで回復する保証はできない。これだけの傷でよく正気を保っていられるな」

「黙っていてください。失礼を承知で言いますが、今回ばかりは貴女への忠誠が揺らぎました。貴女の行為は俺がこれまでやってきたことすべてをぶち壊すことに近かったのです。それほど俺に不信があるのなら、騎士の契約などさっさと破棄して国へお戻りください」

 どちらにしろまともな視力は残ってなかったので、目を閉じたまま吐き捨てる。できれば抱擁もさっさと解いてもらいたいところだが、わずかな筋肉すらもう言うことを聞かない。

「すまぬな……許せ。いや、許して欲しい。そなたの忠義は理解しているつもりだ。主としてこれほど幸福なことは無く、そなたが私の生涯最高の騎士であることを疑うつもりなど無い――先ほどの愚行が主として最低のものであるのも承知の上だ。

 しかし、しかしな……?」

 そして不自然に長い沈黙。

 顔に落ちてくるのは、ひょっとしたら涙か――。そんなものに気付いた瞬間に沸き起こった衝動に対して理性を総動員して押し込める。ここでの俺の役割は純粋な騎士であり、そこに余分な感情を持ち込むものではない。あいつの言葉ではないが、俺の役割はまだ意味を失ったものではない。

「……失礼しました。俺の力不足を忘れて勝手なことを――、先ほどの言葉は撤回します」

「いや、そんなことはない。私は――」

「忘れないで下さい、姫」

 一瞬気を抜いただけで消えそうになる意識を必死にかき合わせ、彼女の言葉を遮る。伝えたいことを口にするためになんとか呼吸を整えてから、絞り出すように告げる。

「俺は、貴女の騎士になると契約した。これは俺の人生で誇りを持てる数少ない出来事だ。俺は貴女に見合う従者になろうとしたし、貴女はあらゆる努力を無駄と思わせない最高の主だった。俺にはそれが全てだったし、それだけで充分だった……。

 確かに貴女は女性としても魅力的だし、はっきり惚れていると断言できる。だがそれよりも、俺は貴女の騎士である誇りを大切にしたい。

 恐らくこれは俺の我が儘です。ですが、どうか聞き入れていただきたい」

「……そうか、悲しいものだな。私も詰まらない男に惚れてしまったものだ」

「否定はしません」

「では、主としての褒美だ。そなたの望みを叶えよう、しかし私の騎士ならば死ぬことは許さん、そのことは肝に銘じておけ」

「承知しました。ついでにもうひとつお願いがあります」

「どういう風の吹き回しだ? 別れ際にずいぶんと頼み事が多くなるな」

「いえ、これが最後です。貴女との契約期間は一年だ、すこしばかり短くなるかもしれませんが、別れる前に騎士の任を解いていただきたい」

 告げると、髪を撫でていた手がぴくりと引っ込む。勘違いされたのか、彼女はおそるおそるといった風に訊ねてきた。

「それはどういう意味だ? 私との縁を切りたいというのは仕方のないことかも知れぬが……しかし私は……」

「縁切りなんてとんでもない。姫も言ったじゃありませんか、騎士としての任は全うしたと……その騎士として貴女を見送ります。ですから今後は、騎士としてではなく男として貴女と向き合いたい。ただそれだけのことです」

 お許し願えますか? そう発しようとした言葉が行き場をなくす。首から上の感覚がかろうじて生きていたことを心の底から感謝していると、僅かに興奮したような声音で彼女が言う。

「若干場所が違うが、口付けというのは最上級の労いだ。そして騎士の任を解くには与えられた剣を返上する必要がある」

「それは困りました。なにせ身体が動かない、どうすれば?」

 なにやら悪巧みを閃いたときの口調なのに嫌な予感を感じながら、恐る恐る訊ねる。

 こちらがなんとかして開こうとした目を手で塞ぎながら、返答は明るい。

「受け取ってはやらん、そなたが自らの手で返しに来なければな。乙女心をここまで踏みにじった罪は重いぞ? そなたの言う騎士道とやらの誠実さはよく判った。任を解かれるまで私を女と思うことは禁じよう、承知したな」

 鼻の頭に詰めたい指が乗せられる。有無を言わせぬ口調に二の句が継げずにいるうちに、惜しむような冷たい手の感触を残して彼女は立ち上がったようだった。

「では――そなたが女としての私の側に立ってくれる日を私も望もう。その日を楽しみにしながら私は月の女王として生きる。

 そなたも強くしぶとく生きるがいい、月の大地に立って我が軍を打ち破り、王宮に座する私の手を取るのがそなたの使命だ」

 凛とした声が胸に染み渡る。生物工学とは無関係な感じで身体を起きあがらせ、腕としての形を保っていない左腕は諦めて右の拳を地面に置く。

「難しい使命ですが、勅命とあればこなさないわけにはいきませんね。少々時間をいただくことになるかも知れませんが、いずれ必ず」

 その時だ、湧き出るようにして気配が増える、迎えらしき人間の声が聞こえた気がしたが、それを聞き取ることまでは出来なかった。

「どうやらこれまでのようだ。

 ではな……。暗き空の彼方より、そなたの幸福を祈っている。何時いかなる時も――だ」

 惜しむようにつめたい指先が頬に触れる感触があり、そんな言葉を残して彼女の気配が遠ざかる。

「どうか一日も早い国の復興を、貴女の軍とはいえ手加減は致しません――俺は必ず貴女を奪いに行きます」

 全身全霊を込めて宣言する。反応としては殺気立つ気配がいくつかと、苦笑する気配がひとつ。


「ああ、楽しみにしておこう――。その時は是非そなたの名を呼ばせてくれ。私もそなたの声で名を呼んで欲しい。

 これは『約束』だぞ?」


 地上での幕引きは壮麗なる月の下、御伽噺の通りにかぐや姫は月へと帰る。



 次に気がついたときは、自分のベッドの上。日付は一月ほど進んでおり、俺はものの見事に失踪扱いだったらしい。しかしそれも内々で処理されていて、問題なく日常に復帰することが出来た。

 別れ方としてはぎりぎり及第点だったと思う。たぶん意識を取り戻した後一週間の俺を目にしていたら、彼女の気持ちもがらりと変わっていたかもしれない。しかし気持ちはさっさと切り替え、俺は俺として生きねばならない。毎日のように月を見上げる気色の悪い自分にさっさと別れを告げるため、最後に交わした最初の『約束』を守るために目指す頂は雲より高く、落ち込んでいる暇も悩んでいる暇もそんなに無い。


「しかしまあ、やっぱり遠いですね、月ってのは……」


 たまにそんな泣き言を漏らしつつ、月を肴に酒を飲む――。

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