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ステップ・バイ

好きな女が今日も怖い ~ステップ・バイ

作者: 時司 龍
掲載日:2026/05/23

 深夜1時。

 スタジオの廊下は、コーヒーの残り香と、香水。長時間労働に慣れた業界人特有の疲労が淀んでいた。

 近年は働き方改革なんて言葉も聞く。だが、この業界に関して言えば、半分以上は建前だ。無理するなと言う口で、容赦なくスケジュールは詰め込まれる。


 人気がある人間ほど忙しい。


 代わりはいくらでもいる世界だからこそ、使えるうちに使う。

 それが、この業界の普通だ。



 ラストシーンがようやく終わったようだ。スタジオの扉が開き、共演者達がぱらぱらと出てくる。疲れた顔で両腕を上げて、ストレッチをする者。スマホを確認する者。マネージャーに明日の入り時間を聞いて顔をしかめる者。

 誰もが、一日の終わりの顔をしていた。


 その中で、薔子(しょうこ)さんだけが妙に鮮明だった。


 芸能界に長くいる人間ほど、あの顔を見て一瞬黙る。白磁みたいな肌。至近距離でカメラを回されても、粗を探す方が難しい。作り物めいた輪郭に、伏せるだけで影になる長い睫毛。流行りのメイクで盛る事に慣れた若手女優やアイドルとは、土台が違う。

 顔を作り込む必要がない人間の美しさだった。

 小柄なのに、視線だけでその場の空気を支配するタイプ。


 今日は黒のタイトワンピースに、ロングコート。露出は少ないのに、妙に目を引く。スタイリストわかっているな・・・と思う。後でどこの服か、マネジャーに聞いておいてもらおう。

 華奢なくせに、首筋から肩にかけての線が異様に綺麗で、歩くだけで服の値段が上がって見える。

 そして何より、目。その視界に一分一秒でも長く映りたいと思うのは、俺だけじゃない。


 薔子さんはスマホを見ながら、ふう、とため息をついた。今日は随分長かった。やっぱり疲れているのだろう。

(じゅん)

 不意に呼ばれる。

「はいっ!!」

 秒で返す。返事が早すぎたらしく、薔子さんがちらりとこちらを見た。


「アンタの撮影は随分前に終わったはずでしょ・・・待機してたの?」


「してました」

「犬なの?」

「ワンっ」

「・・・自分で言うんだ」

 呆れた声。

 でも追い払わない時点で、機嫌は悪くない。

 潤は自然と口元が緩む。

 薔子さんは機嫌が悪いと視界から人を消す。怒鳴るわけでも、態度を荒げるわけでもない。ただ、存在を認識しなくなる。

 20年以上この業界にいて身に着けた、静かな圧だった。あれを向けられると、大抵の人間は自分から距離を取る。

 今はそれがない。


「喉乾いた、いつもの」

「買ってきます」

 即答すると、薔子さんが「早いのよ」と小さく呟いた。


 廊下を横切るスタッフ達が、こちらを見ている気がした。またやってる。そんな、生暖かい視線。薔子さんのマネージャーが申し訳なさそうに軽く頭を下げる。


 今回のドラマ撮影が始まって1ヶ月。潤が薔子さんに懐いている事は、現場ではほぼ周知事項になっていた。だが、別に構わない。好きな女に名前を呼ばれて、機嫌良く動けるなら安いものだ。


 潤は踵を返す。

 その背中に、薔子さんの声が飛んできた。

「気持ち悪い」

 冷たい声だった。

 けれど、本気で突き放す時の温度じゃない。


 多分。


 自販機の前に立ちながら、潤は一人で笑う。

 ドラマや、番宣で出るバラエティでは好き勝手言われる。

 色気のある男。陰のある男。沼系俳優。目で落とすタイプ。


 一体、誰の話をしているんだと思う。


 少し前までは別の事を言われていた。

 子役あがり。昔は可愛かったのに、成長して微妙になった。目つきが悪い。チンピラ役くらいしか似合わない。

 あの時の、表面は気の毒そうに取り繕った奴等。もったいなかったね。子役って難しいよね。あの頃は良かったのに。

 そう言いながら、次を探していく。

 この業界はそういう場所だ。

 使える時は持ち上げる。

 落ち始めたら、静かに離れる。


 潤自身、それを嫌というほど見てきた。

 でも、薔子さんは違った。

 売れなくなっていた頃も。チンピラ役ばかり回されていた頃も。目つきが悪いと言われ続けていた頃も。

 薔子さんだけは、何も変わらなかった。気を遣うでもなく、慰めるでもなく、妙に普通だった。


 だから、今でも覚えている。

 自分を、落ち目の元子役として扱わなかった人間の事を。


 雑誌のインタビューでも、ミステリアスだの大人の余裕だの書かれる事が多い。

 実態はこれだ。好きな女に気持ち悪いと言われても機嫌が良くなる大型犬。

 終わってるな、と自分でも思う。でも楽しいから仕方ない。


 戻ると、薔子さんは壁にもたれて、まだスマホを見ていた。

 長い睫毛が影を落とす。

 横顔が綺麗すぎて、一瞬見惚れる。

「はい、カフェラテです」

「ありがと」

 薔子さんが顔を上げる。

 カップを受け取る指が細い。その何気ない仕草を見ただけで、疲労が軽くなる自分は、もう駄目なんだろうなと思った。我ながら、かなり重症だ。


 気づけば、口元が勝手に緩んでいた。

「・・・なに?」

「ありがとって言われた」

「言うでしょ、普通」

「録音したい。毎日聞きたい」

「やめて」

 心の底から軽蔑するような、冷たい視線にさらされる。

 綺麗な顔でやられると、ちょっと効く。嬉しい方向に。

「ご褒美です」

「自分を安売りはしないように」


「薔子さん相手にしかしませんよ。尻尾も振って見せましょうか」


「人間やめるの?」

 薔子さんは呆れた顔をするが、口元だけ少し緩んでいる。

 潤はそれを見逃さない。本当に少しだけ。

 口元が緩む程度。目を離したら見落としそうな。

 それでも、潤は嬉しい。


 この人は滅多に気を抜かない。プライベートは当然、現場では特に。

 芸能界で生き残るために、ずっと綺麗に武装してきた人だ。

 だから時々見せる小さな緩みが、たまらなく好きだ。


「あっ今笑った」

「笑ってない」

「笑いました」

「潤」

「はい♡」

「そのハート付き返事やめろ」

「じゃあワンで返します?」

「もっとやめろ」

「ワン」

「やめろって言ったでしょうが」

 潤は思わず声を上げて笑った。薔子さんがこっちを見てくれている。本当にそれだけで嬉しい。こうして、くだらないやり取りに付き合ってくれる時間も好きだ。


 薔子さんは呆れた顔のままカフェラテを飲む。

「・・・ほんと、無駄に元気ね」

「薔子さん補給したんで」

「燃費が犬なのよ」

「大型犬なんで」

「知ってる」

 即答される。

 潤はまた笑ってしまう。こういう返しをしてくれる時点で、今日はかなり機嫌がいい。


 壁にもたれた薔子は、長い睫毛を伏せながらスマホを弄っている。

 白い指先。薄く塗られたネイル。

 細い首筋。

 何気ない仕草まで絵になる。


 ふと、画面に映った名前が見えた。

 結流(ゆきる)


 潤は何となく口元を緩める。

「薔子さん、最近結構、結流ちゃんの事気に入ってますよね」

 薔子さんの指が止まる。

「前回の撮影で良かったから、今回、指名したでしょ」

「なんで急にそんな事聞くのよ」

「いや、最近よく気にしてるから」

「別にしてない」

「してますって」

 即答すると、じろりと睨まれた。

 怖い。

 綺麗。

 最高。


「・・・別に、嫌いじゃないだけ」

「それ薔子さん基準だとだいぶ上位ですよ」


「知らないわよ」

 不機嫌そうに返しながら、否定しきれていない。

 わかりやすいな、と潤は思う。


「この前も歌番組チェックしてたじゃないですか」

「たまたま流れてきただけ」

「結流ちゃんのインタビュー記事も読んでた」

「仕事関係」

「差し入れ褒めてた」

「美味しかったのよ」

 全部ちゃんと覚えてる自分も大概だな、と潤は思う。でも薔子さんの事は全部知っておきたい。


 九条薔子は、滅多に人に執着しない。正確には、しているのを悟らせない。でも薔子さんは、人を気に入ると少しだけ扱いが変わる。視線が増える。名前を出す回数が少しだけ増える。好き嫌いは、はっきりしているくせに、気にかけているを表に出すのが異常に下手だ。

「・・・あの子」

 薔子さんがぽつりと呟く。

「見せ方、まだ下手なのよ」

「へえ」

「隠したいのに、感情がステージで漏れるタイプ」

 カフェラテのカップを見ながら、薔子さんは続ける。


「危なっかしいのよね」

 その声は静かだった。


 潤は少しだけ目を細める。ちょっとお母さんみたい、と思ったのは秘密だ。口にしたら多分怒られるので黙っておく。


 九条薔子は滅多に心配を口にしない。

 それを言う時は、大抵もうかなり気にかけている。

「薔子さん、優しいですよね」

「は?」

「結流ちゃんに対して」

「違うわよ」

「でも放っとけないんだ」


 薔子さんは小さく息を吐いた。

「・・・芸能界って、ああいう子から壊れるから」

 一瞬だけ、冗談のない顔になる。その目を潤は知っていた。長くこの世界にいる人間の目だった。


 綺麗事だけじゃ生き残れない場所を見てきた人間の目。


 努力すれば必ず、日の目を見れる訳でもない。才能があっても潰される事もある。親の七光りでごり押ししても、どうにもならない時もある。


 正解なんて誰にもわからない。


 運も。

 タイミングも。

 スポンサーも。

 視聴率も。

 流行りも。

 全部かみ合って、ようやく立てる世界だ。


 そのくせ、一度落ち始めれば早い。


 才能があるほど削れて、優しい人間ほど壊れていく。薔子さんも多分、そういう瞬間を何度も見てきたのだろう。


 潤自身、子役からこの世界にいる。

 消えた子を何人も見た。

 昨日まで笑っていた子が、急に来なくなる事。

 無理に笑うようになって、少しずつ目が死んでいく事。

 期待されて、持ち上げられて、壊れた瞬間から静かに見放される事。

 珍しくもない。

 この業界では、ありふれている。


 だから薔子さんの言葉は、妙に現実味があった。

 潤はその横顔を見る。

 たぶん薔子さんは、結流の中に昔の自分を少し見ている。自分が傷ついた時の事を忘れていない。

 隠すのが下手で。

 感情が滲んで。

 見せたくないものまで、ステージに出てしまうタイプ。

 放っておけばいい。


 芸能界では、それが正解だ。


 深入りしない。

 期待しすぎない。

 壊れる時は壊れるのだから、距離を取っておく。

 みんな、そうやって自分を守る。


「まあでも」

 潤はわざと軽い声を出す。

「薔子さんに気に入られるの、結構レアですよ」

「気に入ってない」

「じゃあ興味ある」

「・・・うるさい」

「結流ちゃん知ったら喜びますよ。今度、薔薇会のご飯会にお誘いしましょ」

「言ったら殺す」

「怖」

 即答だった。

 でも、その脅しに本気の殺気がない時点で、今日はだいぶ甘い。

「潤」

「はい」

「尻尾振るのやめなさい」

「無理です。大好きな薔子さんが可愛いんで」

「気持ち悪っ」

 薔子が呆れたように笑う。

 その顔を見られただけで、今日の疲れは全部どうでもよくなった。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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 時司 龍さん、こんにちは。 「好きな女が今日も怖い ~ステップ・バイ」拝読致しました。  この作品は、居住まいを正して、さあ、読むぞという体勢が必要なんです。  では、いざ。  深夜一時。芸能…
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