表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/244

第九十三話「理想への渇望」



「それでね」アザリアは得意そうに話を続けた。「汚染された鉱山の街で、私ったら調子に乗って地元の戦士を雇ったのよ。『もうメルベルはいらないでしょ』なんて、タカを括って」


セラフィナは身を乗り出した。


「それで?」


「地元の戦士って、本当に役に立たないのね」アザリアは肩をすくめた。「いざという時になったら、腰を抜かして逃げ出すし。それなのに、なぜかメルベルが危険を察知して、走って追いかけてきてくれたの」


「走って?」


「ええ。血相を変えて。そこにいたエンリルみたいなゾンビを、あっという間に退治してくれたわ」


セラフィナの喉が、渇くような感覚に襲われた。


(昔ながらの...二人一組の旅...)


それは、彼女が人間だった頃に物語で聞いた、理想的なガードと巫女の関係そのものだった。現実に、そんな絵に描いたような冒険をしている人間がいるなんて。


「続きを聞かせてください」


セラフィナの声には、抑制しきれない興奮が込められていた。


「そんなに聞きたい?」


アザリアは少し得意になった様子で話を続けた。


「高山の中で、メルベルが目測を誤って、私たちは山小屋に釘付けになったことがあったの。吹雪で外に出られなくて」


「それで?」


「メルベルの腕の中で、毛布にくるまって寒さを凌いだのよ。一晩中、彼の体温だけが頼りだった」


セラフィナの脳裏に、ある疑問が浮かんだ。男女が一夜を共にすれば、当然...


「その時、あなたたちは...?」


意味深な問いかけに、アザリアは渋い顔をした。


「覚悟はしてたのよ、一応。でも、今思えば...」


彼女は深いため息をついた。


「襲っておけばよかった」


セラフィナは思わず息を呑んだ。


「え...?」


「だって、あの人、そういうこと全然しないのよ。真面目すぎて」


アザリアの言葉に、セラフィナは深いショックを受けた。巫女とガードが肉体関係を持たないなど、極めて稀なことだった。通常、長期間の旅を共にすれば、自然とそういう関係になるものだ。


(なぜ...?そんな純粋な関係が...)


「キシュの森では、もっと大変だったわ」


アザリアの声が続く。


「他の巫女たちと合同で森に入ったんだけど、途中で別れることになって。二人だけで、森の闇の中で震えながら息を潜めていたの」


セラフィナは目を閉じた。その光景を想像すると、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。


(もし...もしも私の時も、そうだったら...)


キシュの森で、愛するガードと最後の夜を過ごした時。もしも彼が逃げ出さずに、最後まで自分と一緒にいてくれたなら—


「あの夜は、今でも忘れられない」


アザリアの声が、夢見るような調子になった。


「一睡もできない夜の中で、何千回もメルベルの鼓動を聞いたわ。規則正しい心臓の音だけが、私の安らぎだった」


セラフィナは震える唇で、その言葉を反芻した。


「息を潜めた恐怖と、でも同時に感じる安堵。彼がいる限り、きっと大丈夫だって信じることができた」


「体温と鼓動だけが頼り...」


セラフィナの声は掠れていた。それは、彼女がかつて夢見て、そして永遠に失った理想の夜だった。


「そうよ。外では魔物が蠢いていて、いつ襲われるか分からない。でも、メルベルの胸で眠っていると、世界で一番安全な場所にいるような気がしたの」


アザリアの瞳に、その夜の記憶が宿っている。純粋で、美しく、そして何より—真実の愛に満ちた記憶が。


セラフィナは拳を握りしめた。その話は、彼女にとって垂涎の物語だった。自分が人生を賭けて求め続け、そして決して手に入れることのできなかった、完璧な愛の形。


(なぜ...なぜこの女だけが...)


嫉妬と羨望が、セラフィナの心を激しく揺さぶった。しかし同時に、その美しい物語に魅了されている自分もいた。


「素晴らしい話ですわね」


セラフィナの声は、かすかに震えていた。


「まるで、古い物語のような...」


「でしょう?」アザリアは微笑んだ。「私も最初は信じられなかった。こんな人が、本当にいるんだって」


その時、セラフィナの心の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


アザリアの語る愛は、間違いなく本物だった。そして、それは自分が永遠に手に入れることのできない、美しい真実だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ