第八十八話「あの世の塔」
意識が戻ったとき、アザリアは見慣れない天井を見上げていた。
「うーん...」
体を起こすと、そこは豪華絢爛な寝室だった。深紅のビロードのカーテン、金細工の施された家具、宝石を散りばめたシャンデリア—まるで王宮の一室のような贅沢さだ。
(何が起こったのかしら...?)
記憶を辿ると、馬車でのエンリルとの会話が蘇った。あの慈愛に満ちた笑顔が豹変し、冷酷な悪魔と化した瞬間。そして、意識を失うまでの恐怖。
「ここって...あの世?」
アザリアは窓に近づいた。そして、息を呑んだ。
窓の外に広がるのは、幻想的な光景だった。はるか眼下に、荒廃した城下町が広がっている。かつては栄えていたであろう街並みが、今は廃墟と化して薄暗い光の中に佇んでいる。この塔は相当な高さに聳え立っているようだ。
「どうもあの世らしいわね」
アザリアはあっけらかんと納得した。しかし、その時胃袋が盛大に鳴り響く。
「あの世でも腹が減るのね。不便だわ」
苦い顔をしながら、手近なテーブルに置かれた果物に目をつけた。リンゴのような赤い果実を手に取り、遠慮なく齧りつく。
「意外と美味しいじゃない」
果汁が顎を伝いながら、アザリアは部屋の様子を観察した。扉の向こうから、かすかに話し声が聞こえてくる。
(誰かいるのね)
好奇心に駆られたアザリアは、そっと部屋から出た。古めかしいが豪華な廊下を忍び足で進むと、大きな広間に辿り着く。
そこで目にした光景に、アザリアは目を見張った。
広間の中央に、異形の巨人が立っていた。身長は優に三メートルを超え、人間離れした漆黒の甲冑に身を包んでいる。兜の奥で赤い光が蠢いており、それが目なのだとすぐにわかった。
その巨人を取り囲むように、六人の美男美女が立っている。しかし、彼らもまた人間ではなかった。肌は死人のように蒼白で、瞳には不気味な光が宿っている。
そして、その一角に見覚えのある顔があった。
「エンリル...」
かつて慈愛に満ちた神官だった男が、今は青ざめた顔で美男美女たちに囲まれている。その隣には、馬車で同行していた部下たちも見える。
「話が違うではないか!」
エンリルの声が、広間に響いた。かつての穏やかな調子はどこにもない。
「永遠の命を約束したはずだ!ルカヴィにしてくれると言ったではないか!」
美男美女の一人—金髪の女性が、冷笑を浮かべた。
「ルカヴィになれるのは、基本的に法力使いのみです。あなたのような凡人には、延命が関の山ですわ」
「そんな...」
「永遠の命がお望みでしたら」別の男が口を開いた。「アンデッドにして差し上げましょう。永遠の奴隷として」
アザリアは隠れながら、その様子を見守った。
(なるほどね)
内心でにやりと笑う。
(裏切り者に相応しい末路じゃない。ザマアミロ)
美男美女たちは、お互いを名前で呼び合っている。「ライラ」「ダミアン」「セラフィナ」—どれも美しい名前だが、その声には人間味が感じられない。
広間には他にも、青白い肌をした人影が十数人立っている。皆、同じような死人めいた表情をしていた。
(あの六人が偉いのね)
話が面倒になったのか、幹部の一人—黒髪の美男が立ち上がった。
「では、お望み通りにして差し上げましょう」
その男がエンリルの頭に手を置いた瞬間、エンリルの表情が恐怖に歪んだ。
「やめろ!やめてくれ!」
しかし、もう遅かった。エンリルの額から、まるで皮を剥がれるように肌が崩れ始める。
「ぎゃああああああ!」
エンリルは床に転がり回りながら絶叫した。見る見るうちに肌が腐敗し、アザリアが旅で見慣れたゾンビそっくりの姿に変わっていく。
「お望みの通り、永遠の命を授けました」
幹部の男は嘲笑を浮かべた。
「これで立派なアンデッドです。我らが王に永遠に仕える栄誉を得られましたね」
エンリルの部下たちも、次々と同じ運命を辿った。断末魔の叫び声が広間に響き渡る中、アザリアはそっと部屋に戻った。
「やっぱり裏切り者の末路なんて、そんなものよね」
アザリアは窓に向かい、外を見下ろした。眼下に広がる荒廃した城下町が、薄暗い幻想的な光に包まれている。その美しくも物悲しい光景に、一瞬見惚れそうになった。
「脱出方法...」
窓枠に手をかけて身を乗り出してみたが、やはり相当な高さだ。飛び降りれば間違いなく命はない。
「これは無理かも...」
ガックリと肩を落とすアザリアの背後で、先ほどの断末魔が止んだ。静寂が戻った広間から、今度は別の話し声が聞こえ始めている。




