第八十五話「夢の真意」
川岸の松明の灯りが、アジョラの思慮深い表情を照らし出していた。部下たちは困惑の色を隠せずにいる。聖女が、なぜ異教徒の戯言に真剣に耳を傾けているのか理解できずにいた。
「聖女様...」
カマエルが口を開きかけたが、アジョラは手を上げて制した。
「静かになさい」
その声には、有無を言わせぬ威厳があった。彼女の瞳は、メルベルの顔を見据えている。
「メルベル殿、もう少し詳しくお聞かせください。あなたが魔王の手下になるという夢について」
「俺も...自分でもよくわからないんです」
メルベルは困惑の表情を浮かべた。
「夢ではそうなっているから、としか言いようがありません。なぜそうなるのか、どういう経緯でそうなるのかは...」
「では、夢の中のあなたは、邪悪な気持ちで人々を殺戮していたのですか?」
アジョラの質問は、核心を突いていた。部下たちは、聖女の異常なまでの関心に戸惑いを隠せない。
「聖女様」
別の神官が割って入ろうとしたが、アジョラの鋭い視線が彼を黙らせた。
「そろそろ決断を...時間が」
「私が話しています」
アジョラの声は氷のように冷たかった。部下たちは、彼女のこのような一面を見るのは初めてだった。
メルベルは目を閉じ、夢の記憶を辿ろうとした。今まで、予知夢の内容について誰かと真剣に語り合ったことはなかった。アザリアでさえ、笑い飛ばしただけだった。
「そういえば...あまり深く考えたことがありませんでした」
メルベルの声に、自分自身への驚きが込められていた。
「夢の最初では、俺は悪魔に襲われている女性を救おうとしていました。当時は、それがアザリアだとはわからなかったのですが」
「続けてください」
「俺は必死に敵を倒していました。彼女を守るために。しかし...」
メルベルの表情が苦痛に歪んだ。
「気がつくと、俺が倒していたのは勇敢な神殿戦士たちでした。そして、アザリアだと思っていた女性は...」
「何でしたか?」
「邪悪な魔王でした」
アジョラの瞳に、理解の光が宿り始めた。部下たちは相変わらず困惑しているが、彼女だけは違った。
「その魔王の外見は、どのようなものでしたか?」
「外見...」
メルベルは額に手を当てて、記憶を探った。初めて、夢の詳細について真剣に思い出そうとしている。
「ええっと...グニャグニャしていて、よくわからない感じでした。形が定まらないというか...大きくはない気がします。でも、とても恐ろしい存在でした」
アジョラは静かに頷いた。そして、手で部下たちを制すると、深い思索に沈んだ。
松明の炎が風に揺れ、川の流れる音だけが夜の静寂を破っている。
(なるほど...)
アジョラの心の中で、パズルのピースが組み合わさり始めていた。
(アザリアが誘拐された理由は、彼女が単なる鍵や触媒だからではない。彼女自身が...変貌するのでは?)
夫ガレスから聞いた古い伝承が、記憶の奥から蘇ってきた。微睡の魔王についての、恐ろしい言い伝えが。
(もしかすると...)
アジョラの表情に、深い憂慮が浮かんだ。しかし、この推測を今ここで口にするのは早計すぎる。確証もない。
「聖女様?」
カマエルの声が、アジョラを現実に引き戻した。
「どうされましたか?顔色が...」
アジョラは立ち上がった。その表情には、確固たる決意が宿っている。
「メルベル殿、あなたの夢について、まだ考えなければならないことがあります」
「はい」
「しかし、今は時間がありません。まずはアザリアを救うことが先決です」




