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第八十四話「絶望と覚悟」



川岸に響く馬蹄音と共に、アジョラ率いる神殿戦士たちが到着した。戦闘の痕跡—散乱する敵の遺体と血に染まった土—が、この場で何が起こったかを物語っている。


アジョラは馬から降りると、川面を見つめるメルベルの傍らに立った。対岸には、もう誰の姿も見えない。


「遅かったか...」


アジョラの声には、深い悔悟が込められていた。メルベルは振り返ることもせず、虚ろな瞳で対岸を見つめ続けている。


「なぜだ...なぜアザリアがこんな目に...」


メルベルの声は掠れていた。拳は血に染まり、震えている。


「落ち着いてください、メルベル殿」


アジョラは優しく彼の肩に手を置いた。


「まず、状況を整理する必要があります。カマエル、部下たちを集めなさい」


腹心の神官が頷き、生き残った神殿戦士たちを円陣に集める。松明の灯りが、夜闇に浮かび上がる顔々を照らし出した。


「皆に伝えておくべきことがあります」


アジョラの声は、普段の穏やかさとは異なる威厳に満ちていた。


「アザリア殿は、実は試験に合格していました。私の後継者として正式に指名する予定だったのです」


神殿戦士たちの間に、驚きのざわめきが広がった。メルベルも、初めて振り返る。


「後継者...?」


「はい。五つの聖火を獲得した時点で、彼女の資質は疑いようもありませんでした。エンリルは、それを知っていたのです」


アジョラの瞳に、怒りの炎が燃え上がった。


「あの男は、アンデッドの手下のスパイでした。私の後継者を手土産にして、自らの地位を固めるつもりだったのでしょう」


カマエルが重い口調で言った。


「アジョラ様、現実的に考えて、今から大部隊を編成しても手遅れでしょう。エリドゥまでは、最低でも三日はかかります」


「その通りです」別の神官が頷く。「その頃には、もう...」


言葉を濁したが、全員が同じことを考えていた。アザリアの運命は、もはや決まったも同然なのだ。


「少人数での追跡なら、時間的には間に合うかもしれませんが...」


「エリドゥは死の都市です。我々では、とても...」


神殿戦士たちの間に、諦めの空気が漂い始めた。


メルベルは、その会話を黙って聞いていた。現実は残酷だった。どう考えても、アザリアを救う可能性は極めて低い。


(だが、それでもいい)


メルベルの心に、奇妙な平安が訪れていた。


(やっと、俺の死に場所が決まった)


彼は静かに立ち上がった。ここで単独で追いかけ、名誉ある戦いの中で死ぬ。それが、彼にとって最も相応しい最期だった。できることなら、アザリアを救いたい。しかし、それが叶わなくても、少なくとも彼女のために命を捨てたという事実は残る。


「メルベル殿」


アジョラの声が、彼の思考を現実に引き戻した。


「あなたが牢屋で話していた、微睡の魔王についてお聞かせください」


メルベルは振り返った。アジョラの瞳には、深い関心と不安が宿っている。


「夫のガレスも、あなたと同じように予知夢を見ました。その夢は、必ず現実となりました。あなたの見た夢も、きっと真実を示しているのでしょう」


アジョラは川岸の岩に腰を下ろした。


「微睡の魔王とは、どのような存在なのですか?そして、なぜアザリアの死がその復活に繋がるのですか?」


メルベルは重い口を開いた。


「最初に見た夢では、微睡の魔王は不定形の影のような存在でした。しかし、最近の夢では輪郭がはっきりしてきています。きっと復活が間近なんでしょう」


神殿戦士たちの顔が、恐怖に青ざめた。


「その魔王は、人々に悪夢を見せて心と体を蝕む、最悪の魔物です。かつて世界を恐怖に陥れた存在だと聞いています」


メルベルの声には、深い恐怖が込められていた。


「俺の夢では...アザリアが拷問を受けて命を落とす。その後、微睡の魔王が復活する。彼女の聖火のエネルギーが、復活の触媒となるのでしょう」


アジョラは深いため息をついた。


「それで、あなたがアザリアのガードになった経緯は?」


メルベルは夜空を見上げた。星々が冷たく輝いている。


「アザリアは、最初は半ばヤケクソで聖地巡礼の旅を始めました。自分を見限った連中を見返すための、自暴自棄な冒険でした」


彼の声には、苦い思い出が込められていた。


「俺は最初、金で雇われただけの男でした。しかし、予知夢を見るうちに、この旅の真の意味を理解したのです」


メルベルは拳を握りしめた。


「俺の夢では、なぜか自分が魔王の手下になってしまい、勇敢な戦士たちを殺戮している光景も見ました。だから、無謀な旅の中で死ぬのは、むしろいい口実だと思ったんです」


「それは...」


「そして今がその時です」


メルベルの声は、運命を受け入れたような静けさを帯びていた。


「俺は単独でアザリアを追います。たとえ死んでも構いません。むしろ、それが俺の運命なのでしょう」


アジョラは、メルベルの言葉に深い疑念を抱いていた。


(この男が魔王の手下に?)


亡き夫ガレスと同じ血筋、同じ能力を持つこの戦士が、邪悪な存在に屈するとは思えない。覚悟を決めた熟練の戦士が、なぜそのような道に落ちるのだろうか?


(今から死を覚悟して単独で向かおうとしている男が、魔王に寝返る?何かが符合しません)


アジョラの頭の中で、様々な可能性が駆け巡った。予知夢には、まだ明かされていない真実があるのかもしれない。


「メルベル殿」


アジョラの声には、深い思慮が込められていた。


「もう少し詳しく、あなたの見た夢の内容をお聞かせください。何か重要な手がかりがあるかもしれません」


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