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第八十三話「炎の痕跡」



夕暮れの荒野を疾駆する追跡部隊の先頭で、メルベルは馬上から地平線を見つめていた。アジョラの精鋭神殿戦士たち三十名が、彼の後に続いている。


「あれは...!」


遠方に、赤い光が立ち上がっているのが見えた。それは明らかに炎—しかも、ただの焚き火ではない。激しく燃え上がる業火の色だった。


「急げ!」


アジョラの鋭い声が響く。馬蹄の音が荒野に雷鳴のように響き渡った。


メルベルの胸に、一縷の希望が芽生えた。


(アザリアが抵抗したのか...?)


彼の予知夢で見た彼女の炎の力。もしかすると、まだ戦っているのかもしれない。


現場に近づくにつれて、状況が明らかになってきた。馬車が道の真ん中で炎に包まれ、黒煙を上げている。しかし、そこに人影はない。


「包囲しろ!」


アジョラの命令と共に、神殿戦士たちが扇形に展開した。しかし、燃える馬車の向こうから現れたのは、武装した神官たちだった。


「神殿の追跡隊だ!」


「エンリル様の命令通り、足止めしろ!」


偽りの神官たちが剣を抜いた。その刃には、不気味な黒い光が宿っている。アンデッドの力で汚染された武器だった。


「裏切り者どもめ!」


アジョラの怒号と共に、戦闘が始まった。金属音が荒野に響き、法力と法力がぶつかり合う。


しかし、メルベルにはそんな戦いに構っている時間はなかった。彼の目は、遠方を駆け抜けていく馬影を捉えていた。


「そこだ!」


メルベルは愛馬の腹を蹴った。戦場を迂回するように駆け抜け、逃走する一団を追う。


風を切って荒野を駆けること数刻。前方に大河が見えてきた。そして、河岸に停泊している一隻の船。


「間に合うか...!」


メルベルが河岸に到達した時、船はすでに岸を離れかけていた。船上に、ぐったりとした女性の姿が見える。金色の髪が夕日に輝いていた—間違いなくアザリアだった。


「アザリア!」


メルベルの叫び声が川面に響く。しかし、船上のエンリルが振り返り、嘲笑を浮かべただけだった。


河岸には、まだ数名の神官が残っていた。彼らがメルベルに向かって武器を構える。


「一人で来るとは、愚かな」


「その女を諦めろ。もう手遅れだ」


メルベルは剣を抜いた。鉄嵐流の奥義が、彼の全身に流れ込む。


「どけ!」


最初の神官が襲いかかってきた瞬間、メルベルの剣が一閃した。相手の武器を弾き飛ばし、胸元に深々と刃が突き刺さる。


「ぐあっ!」


二人目、三人目と続けざまに倒していく。野外での戦闘では、神殿戦士といえどもメルベルの敵ではない。彼の剣技は、まさに嵐の如き激しさだった。


最後の神官が倒れた時、メルベルは川岸に膝をついた。


船は、もう対岸近くまで進んでいる。そこには馬が待機しており、一団は再び陸路での逃走を図るつもりのようだった。


「畜生...!」


メルベルは拳で地面を叩いた。乾いた土が血に染まる。


「アザリア...!」


彼の叫び声が、夕暮れの川面に虚しく響いた。愛する人は、再び彼の手の届かない場所へと運ばれていく。


船が対岸に着くのを、メルベルは無力感に打ちのめされながら見つめるしかなかった。エンリル一味は手際よく馬に乗り換え、アザリアを馬上に固定する。


「待て...待ってくれ...」


しかし、一団は闇に包まれた荒野の向こうへと消えていった。


メルベルは川岸に座り込み、頭を抱えた。首の金の鎖が、彼の絶望を嘲笑うかのように重く感じられる。


古式契約の呪縛が、今度は彼自身を地獄へと引きずり込もうとしていた。愛する人を守れなかった自分への怒りと絶望が、胸の奥で燃え上がっている。


遠くから、アジョラの追跡部隊の馬蹄音が聞こえてきた。しかし、もう手遅れだった。



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