第八十一話「予知の証明」
神殿の廊下を急ぎ足で歩きながら、アジョラの頭に一つの疑問が浮かんだ。
(あの戦士は、なぜ宿屋からこの事態を察知できたのだろうか?)
彼女の足が、思わず止まった。追跡隊の編成を急ぐ腹心たちが、困惑の表情で振り返る。
「アジョラ様?」
「少し待ちなさい」
アジョラの瞳に、鋭い洞察の光が宿った。長年の経験が培った直感が、重要な可能性を告げている。
(もしかすると、あのガードはアザリアと何らかの通信手段を持っているのではないでしょうか?それとも...)
ふと、亡き夫ガレスの面影が脳裏をよぎった。彼もまた、時として不可思議な予感に悩まされていた。まさか...
「牢屋はどちらでしたかしら?」
「地下の第三区画ですが...」
「すぐに案内を」
アジョラの声には、迷いがなかった。腹心の神官たちは戸惑いながらも、彼女の後に続く。
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地下牢の石段を降りると、牢屋番の困惑した声が聞こえてきた。
「おい、あいつまた始まったぞ」
「気味が悪いな...さっきから空中に向かって喚いてる」
アジョラが牢屋番に近づくと、彼らは慌てて頭を下げた。
「アジョラ様、なぜこのような場所に...」
「その男を見せなさい」
指し示された独房を覗くと、そこには地獄のような光景があった。メルベルが石の床に膝をつき、虚空に向かって手を伸ばしている。その顔は汗と涙にまみれ、唇からは意味不明な呟きが漏れていた。
「アザリア...やめろ、彼女に触るな...!」
「まったく、どうかしてますよ、あいつ」牢屋番が肩をすくめる。「麻薬でもやってるんじゃないかと...」
アジョラは黙って観察を続けた。メルベルの苦悶する表情、震える手、そして何かを必死に訴えかけるような仕草。これは単なる錯乱状態ではない。
「鍵を開けなさい」
「しかし、アジョラ様...」
「今すぐに」
独房の扉が開かれると、アジョラは躊躇なく中に入った。そして、迷うことなくメルベルの頬に平手打ちを食らわせる。
パァン!
鋭い音が石の牢獄に響いた。
「目を覚ましなさい!」
メルベルの目に、わずかに焦点が戻った。彼は混乱した様子でアジョラを見上げる。
「あなたは...?」
「私はアジョラです。現在の最高位聖女として、あなたに質問があります」
アジョラの声は威厳に満ちていたが、同時に切迫した緊張も含んでいた。
「アザリアに何が起こっているのですか?なぜあなたにそれがわかるのですか?」
メルベルは頭を振って、幻覚を払おうとした。しかし、アジョラの鋭い視線が彼を現実に引き戻す。
「アザリアが...神官に騙されて連れ去られました。馬車で運河の方角に向かっています」
「どうしてそれがわかるのですか?」
「俺は...俺の一族は予知夢を見ることができるんです」
牢屋番たちがクスクスと笑い声を上げる。「また始まった」「気でも狂ったか」
しかし、アジョラの表情は一変していた。
「予知夢...?」
「はい。夢で未来の危機を見ることができます。アザリアが拷問を受け、殺されてしまう。そうなれば魔王が復活してしまいます」
メルベルの言葉に、牢屋番たちは完全に沈黙した。あまりにも荒唐無稽で、返す言葉もない。
しかし、アジョラは違った。彼女の瞳に、深い理解の光が宿る。
(ガレス...あなたもそうでした)
亡き夫の記憶が鮮明に蘇った。若い頃、彼は時折悪夢にうなされていた。そして、その夢が示す危険は、必ずと言っていいほど現実となった。森での魔物の襲撃、敵の奇襲、仲間の裏切り—すべて、ガレスの夢が事前に警告していた。
「あなたの一族は『闇の戦士』の血筋でしょうか?」
メルベルの目が大きく見開かれた。
「ご存知なのですか?」
「私の夫も、同じ能力を持っていました」
アジョラの声には、深い感情が込められていた。牢屋番たちは、この展開に完全に取り残されている。
「今、アザリアはどこにいますか?具体的に教えてください」
メルベルは目を閉じ、集中した。幻覚の中の光景を探る。
「運河...大きな船に乗り換えています。アンデッドの本拠地...エリドゥの方角です」
「エリドゥ...」
アジョラの顔が青ざめた。あの忌まわしい死の都市。夫を失った場所でもある。
「すぐに追跡隊を編成いたします。あなたも同行していただけますか?アザリアの居場所を特定するのに、あなたの能力が必要です」
メルベルは力強く頷いた。
「もちろんです。俺は彼女を守ると誓ったんです」
アジョラは牢屋番に向かって命じた。
「この男の拘束を解きなさい。すぐに精鋭部隊を集合させなさい。時間がありません」
混乱する牢屋番たちを尻目に、アジョラとメルベルは地上へと向かった。




