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第七十九話「悪夢の警鐘」



談話室でアザリアが荷物を取りに立ち去ると、エンリルの表情は一変した。慈愛に満ちた仮面が剥がれ落ち、冷酷な計算の光が瞳に宿る。


(若い娘を騙すなど、造作もないことよ)


エンリルは口元に邪悪な笑みを浮かべながら、懐から小さな鈴を取り出した。それを二度鳴らすと、石廊下の向こうから足音が響いてくる。現れたのは三人の神官—表向きは敬虔な聖職者だが、その瞳には彼と同じ暗い光が宿っていた。


「計画通りだ。娘は完全に術中にはまった」


エンリルの声は低く、抑制された興奮に震えていた。


「準備はできているか?」


「はい、エンリル様。馬車は裏門に待機しております」


「よろしい。あの戦士が気づく前に、娘を連れ出すのだ」


神官たちは無言で頷き、闇の中へ消えていった。


---


その頃、メルベルは宿屋の薄暗い部屋で、悪夢の渦中にあった。


石造りの地下室。松明の炎が壁に踊る不気味な影を映し出している。そこに響くのは、聞き慣れた声の絶叫だった。


「やめて!お願い、やめて!」


アザリアだった。彼女は冷たい石の台に縛り付けられ、黒いローブを纏った神官たちに囲まれている。その手には、赤熱した鉄の棒が握られていた。


「聖火のエネルギーを吐き出すのだ。我らが王のために」


神官の一人が、冷酷な声で命じる。アザリアの美しい顔は涙と汗に濡れ、恐怖に歪んでいた。


「メルベル...メルベル、助けて...」


彼女の叫び声が、メルベルの魂を引き裂く。彼は夢の中で手を伸ばそうとするが、体が鉛のように重い。足が動かない。声が出ない。


赤熱した鉄がアザリアの肌に近づく。彼女の悲鳴が、現実を超えた鮮明さでメルベルの鼓膜を震わせた。


「うあああああ!」


メルベルは汗まみれになって飛び起きた。しかし、悪夢の残響は彼を離さない。部屋の隅に、まだアザリアの幻影が見える。彼女は涙を流しながら、助けを求めて手を伸ばしている。


「アザリア...」


メルベルが手を伸ばすと、幻影は煙のように消えた。しかし、彼女の悲鳴は耳から離れない。匂いまでもが現実のようだった—血と汗と恐怖の匂いが。


首の金の鎖が、突然メルベルの肌に食い込んだ。まるで生きているかのように、彼の首を締め上げる。


「ぐっ...!」


これは普通の悪夢ではない。今まで経験したどんな予知夢よりも鮮明で、切迫している。何かが起こっている—今、この瞬間に。


メルベルは跳ね起きると、急いで身支度を整えた。剣を腰に差し、外套を羽織る。宿屋を飛び出すと、神殿への道を駆け抜けた。


「アザリアはどこだ!」


神殿の受付で、メルベルは息を切らしながら叫んだ。受付の神官は困惑の表情を浮かべる。


「アザリア様でしたら...確か研修の...」


「どこにいる!今すぐ教えろ!」


メルベルの剣幕に、受付の神官は慌てふためいた。しかし、要領を得ない返答に業を煮やしたメルベルは、神殿の奥へと駆け込んだ。


「おい、そこは男子禁制だ!」


「アザリア!アザリア!」


メルベルの叫び声が、神聖な石廊下に響き渡る。数人の巫女たちが驚いて振り返るが、彼は構わず奥へ進む。アザリアの部屋を探し当て、扉を蹴り開けた。


部屋は空だった。しかし、それ以上に異常なことに気づく—彼女の旅装束が消えている。普段使いの衣類は残っているのに、冒険用の装備だけがきれいになくなっていた。


その瞬間、メルベルの前に再び幻影が現れた。アザリアと、見知らぬ中年の神官が談話室で会話している光景だった。神官の顔ははっきりと見えないが、その笑みだけが異様にくっきりと浮かび上がる。邪悪で、計算された笑みが。


「くそっ...!」


メルベルが頭を振って幻影を払おうとした瞬間、複数の足音が迫ってきた。神殿戦士たちだった。


「不法侵入だ!取り押さえろ!」


「離せ!アザリアが危険なんだ!」


メルベルは抵抗したが、神殿内部では彼の力も制限される。法石による増幅を受けた神殿戦士たちに、ついに押し倒された。


「話を聞け!アザリアが攫われた!神官の中に裏切り者がいる!」


しかし、メルベルの叫びは、異教徒の戯言として聞き流された。彼の体を縛り上げる縄が、きつく食い込む。


金の鎖が、まるで彼の絶望を嘲笑うかのように、さらに強く首を締めつけた。

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