第七十六話「堕落した接触」
神殿の最奥にある秘密会議室で、アジョラの後継者選定は密かに、しかし確実に進行していた。
「では、正式にアザリア・イシュタルを後継者候補として指名することで合意ということですね」
年配の神官が議事録に記録を取る。参加者は全員、この重大な決定に頷いた。
しかし、その中の一人—神官エンリルの心は、全く別のことを考えていた。
*ついに後継者が決まるか*
エンリルは表面上は他の参加者と同じように神妙な顔をしているが、内心では暗い喜びを感じていた。
数年前、彼は絶望の淵にいた。生来の病弱な体質に加え、原因不明の病に冒され、神殿の医師たちも匙を投げる状態だったのだ。そんな時、あの声が聞こえた。
甘く、蠱惑的で、そして圧倒的な力を感じさせる声。
『その病を癒してやろう。そして功績次第では、永遠の命と力を与えよう』
エンリルは迷わず答えた。そして今、彼の体には病の影はない。以前の病弱さは嘘のように消え去り、むしろ同世代の誰よりも活力に満ちている。
しかし、これはまだ第一段階に過ぎない。真の永遠の命と力を得るためには、より大きな功績が必要だった。
*アジョラの後継者を潰せれば...*
彼は会議の内容を聞きながら計算していた。これほどの功績を認められれば、約束された永遠の命だけでなく、ルカヴィとしての永遠の力をも手に入れることができるだろう。
*アジョラの後継者を潰せれば...*
彼は会議の内容を聞きながら計算していた。アジョラが倒れれば、この国の聖火防衛システムは大幅に弱体化する。アンデッドの勢力が一気に拡大し、微睡の魔王復活への道筋が開ける。
そして何より、これほどの功績を認められれば、自分もルカヴィ化への道が開けるだろう。永遠の命だけでなく、永遠の力を手に入れることができる。
*アザリア...*
彼は心の中で標的の名前を呟いた。五つの聖火を宿した美しい巫女。彼女をアンデッドの本拠地に連れて行き、その聖火エネルギーを王に献上することができれば...
「それでは、今後の計画について話し合いましょう」
アジョラの声で、エンリルは現実に戻った。しかし、彼の計画は既に固まっていた。
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翌日、研修が始まったアザリアは、神殿の事務室で書類整理に追われていた。地方都市の管理に関する膨大な資料を読み込み、統計を整理する単調な作業。
*これが私の未来なのかしら...*
彼女は溜息をついた。昨夜メルベルに事情を説明した時のことを思い出すと、今でも腹が立つ。
「しばらく遠征には行けそうにない」と告げた時、メルベルは明らかにホッとした表情を見せたのだ。
*あの男、日和やがって*
アザリアは拳を握りしめた。あれほど熱く語り合ったのに、いざとなると安堵するなんて。やはり本心では危険な冒険など望んでいなかったのだろう。
*いつか絶対に連れ出してやるからな*
彼女は心の中で呟いた。この退屈な研修が終わったら、必ずメルベルを引っ張り出して無謀な冒険に連れて行く。今度は彼に逃げ道など与えない。
「アザリア聖女」
振り返ると、上品な身なりの年配の神官が立っていた。白い髭を蓄え、穏やかな目をした、いかにも高位の聖職者らしい風貌。
「申し遅れました。私は上級神官のエンリルと申します」
彼は丁寧に頭を下げた。
「あなたの素晴らしいご活躍、拝聞しております」
「ありがとうございます」
アザリアは礼儀正しく答えたが、内心では疑問に思っていた。なぜこのような高位の神官が、研修生の自分に話しかけるのだろうか。
「実は、あなたのような情熱的な若い巫女を、個人的に応援したいと思いまして」
エンリルの声は温かく、父親のような慈愛に満ちていた。
「五つの聖火を二人だけで獲得されるなど、前代未聞の快挙です。その勇気と情熱に、深く感銘を受けました」
アザリアの表情が明るくなった。自分の功績を正当に評価してくれる人がいるのは嬉しい。
「しかし」エンリルは少し声を落とした。「このような素晴らしい才能を、事務作業に埋もれさせてしまうのは惜しいと思うのです」
「と、おっしゃいますと?」
「あなたには、もっと大きな使命があるのではないでしょうか」
エンリルは周囲を見回し、声をひそめた。
「実は、秘密の任務について相談したいことがあるのです。あなたのような特別な方にしか任せられない、重要な使命が」
アザリアの心が躍った。単調な研修から解放される可能性が見えてきた。
「どのような任務でしょうか?」
「詳しくは後ほど。まずは研修を続けてください。しかし、近いうちに必ずお声をかけます」
エンリルは意味深な笑みを浮かべて立ち去った。
アザリアは一人残され、胸の高鳴りを感じていた。
*秘密の任務...*
あぁなんという甘美な響きだろうか 彼に話したらなんという反応をするのか。 彼女は胸に手を当ててひそかに想像を巡らせていた。




