第七十三話「挑発の罠」
いつもの食堂で、アザリアはメルベルを執拗に責め立てていた。
「まさか、あんなにあっさり負けるなんて思わなかったわ」
彼女は箸を器用に動かしながら、チクチクと言葉の針を刺してくる。
「これで不合格になったら、どうすればいいんだろうなー」
メルベルは渋い顔をして、ご飯をボソボソと口に運んでいる。味など分からない。
「まあ、仕方ないのかもしれないけど」アザリアは続けた。「期待していた私が馬鹿だったのね」
「野外で戦えば勝算は十分にある」メルベルが低い声で言い訳した。
「本当かしら?」アザリアは疑わしそうに眉をひそめた。「あなたの流派って、本当に強いの?」
彼女は身を乗り出して続けた。
「前にルカヴィに勝ったのも、ギリギリだったじゃない。あの時も運が良かっただけなんじゃ...」
「何だと?」
メルベルの目に怒りの色が宿った。流派への侮辱は、彼にとって最も許し難いものだった。
「俺の流派は最強だ。先祖代々、どんな強敵とも戦ってきた」
「へぇ」アザリアは挑発的に微笑んだ。「じゃあ、野外なら誰にも負けないって言うの?」
「当然だ」メルベルは胸を張って断言した。
その瞬間、アザリアの目がキラリと光った。
「じゃあ、次の遠征の話を進めましょうか」
「え?」
メルベルは困惑した。話の流れが急に変わったからだ。
「誰にも負けないなら、私たち二人で聖火の旅も続けられるわよね」
アザリアの声は明るく、まるで当然のことを言うかのようだった。
「それとこれとは違うだろ」メルベルは慌てて反論した。
「あら、じゃあ嘘ついたの?」
アザリアは首を傾げて見せた。
「さっき『野外なら誰にも負けない』って言ったじゃない。それとも、私を守る自信がないの?」
「そんなことは...」
「やっぱり嘘だったのね」アザリアはため息をついた。「がっかりしたわ。男の人って、すぐ大口を叩くのね」
「俺は嘘なんてついてない!」
メルベルの声が大きくなった。周囲の客が振り返るほどだった。
「じゃあ証明してよ」アザリアは挑発的に笑った。「私を守って、一緒に残りの聖地を回れるでしょう?」
「それは...」
「できないの?」
「できる!」
メルベルは熱くなった頭で叫んだ。
「俺がいれば、あんたを絶対に守り抜ける。どんな敵が来ようとも!」
「本当?」
「本当だ!」
アザリアは満足げに微笑んだ。内心では「しめしめ」と思いながら、さらに畳み掛ける。
「じゃあ、約束ね。私たち二人で最後まで旅を続けるって」
「ああ、約束だ」
メルベルは自分でも驚くほど熱い言葉を口にしていた。流派への誇りと、男としての意地が、理性を上回っていた。
「やったー!」アザリアは手を叩いて喜んだ。「やっぱりあなたは頼りになるわ」
その笑顔は純粋で美しく、メルベルの怒りを一瞬で溶かしてしまった。
「まあ...そういうことなら」
彼は照れたように頭を掻いた。アザリアの巧妙な誘導に、まんまと引っかかってしまったことに、まだ気づいていない。
「でも、本当に大丈夫?」アザリアは心配そうな表情を作った。「とても危険なのよ?」
「心配するな」メルベルは胸を叩いた。「俺がついてる限り、あんたに指一本触れさせない」
そう言い切ってドッカと椅子に座り込んだ後、メルベルは次第に我に返り始めた。
*...待てよ*
アザリアは既に懐から地図を取り出し、ウキウキとした様子で眺めている。
「どうしようかなー。まずはバビロンから攻めるべきかしら?それともエリドゥ?」
彼女の嬉しそうな表情を見ながら、メルベルは徐々に事の重大さに気づいてきた。
*俺は今、何を約束したんだ?*
安い挑発に乗って、とんでもないことを口走ってしまったのではないか。残りの聖地—それは一万の軍勢でも苦戦する魔境だった。
「ねえ、メルベル」アザリアが地図から顔を上げた。「あなたはどっちがいいと思う?」
「あ、ああ...」
メルベルは渋い顔をして、再び箸を手に取った。今更「やっぱりやめとこう」とも言えない。アザリアの期待に満ちた表情を見れば、なおさらだった。
*なんてことを...*
彼はボソボソとご飯を口に運びながら、ガックリと肩を落とした。完全にアザリアの術中にはまってしまったのだ。
「やっぱりあなたは頼りになるわ」
アザリアの満足げな笑顔が、メルベルにはもはや悪魔の微笑みに見えた。




