第五十八話「悪夢と覚醒」
# 第五十八話「悪夢と覚醒」
暗闇の中で、メルベルは再び悪夢に囚われていた。
都の神殿の地下深く、石造りの拷問室でアザリアが鎖に繋がれている。白い巫女服は血に染まり、美しい顔は苦痛に歪んでいた。
「聖火を渡せ」
神官たちが冷酷な声で迫る。彼らの顔は影に隠れて見えないが、その邪悪な意図は明白だった。
「やめろ...やめてくれ...」
アザリアの弱々しい声が地下室に響く。
「メルベル!助けて!」
彼女の絶望的な叫び声が聞こえた。メルベルは鎖に縛られ、身動きが取れない。体中の傷が痛み、立ち上がることさえできない。
「やめろ!」
彼は叫んだが、声は出ない。ただ見ているだけで、何もできない。
神官の一人が熱した鉄を取り上げる。アザリアが彼を見つめ、涙を流しながら助けを求めている。しかし、メルベルの体は動かない—
「うあああっ!」
メルベルは汗まみれになって飛び起きた。心臓が激しく鼓動し、吐き気が込み上げてくる。
「メルベル!」
アザリアの声が聞こえた。現実の、優しい声だった。
「大丈夫?やっと目を覚ましたのね」
彼女の安堵した表情が、薄暗い部屋の中に浮かんでいる。無事だった。傷一つない、美しい顔がそこにあった。
「水...」
メルベルの喉は砂漠のように乾いていた。声もかすれて、まともに言葉が出ない。
「水をくれ...」
「はい、すぐに」
アザリアは慌てて水差しを取り、コップに注いで彼の唇に当てた。
「ゆっくり飲んで」
冷たい水が喉を通り、徐々に人心地がついてくる。メルベルは荒い息を整えながら、現実を確認した。
ここは宿場の一室。アザリアは無事。自分も生きている。
「どのくらい眠っていた?」
「三日よ。ずっと高熱で、時々うなされていて...心配したわ」
アザリアの目に、本当に安心した色が浮かんでいる。
メルベルは複雑な気持ちになった。死ねなかった、という失望。しかし同時に、生きていてよかった、という安堵。相反する感情が胸の中でせめぎ合っている。
そして、あの悪夢だ。
*一体何だったんだ?*
神殿での拷問など、今まで見たことのない光景だった。アザリアが神官に責められる理由も分からない。
*もしかして、俺の予知夢は...*
疲労からくる単なる悪夢なのか?それとも、まだ見ぬ未来の警告なのか?
「メルベル?どうしたの?」
アザリアが心配そうに覗き込む。
「いや...何でもない」彼は首を振った。「五つ目の聖火、手に入れたんだな」
「ええ」彼女は誇らしげに微笑んだ。「あなたのおかげよ。本当にありがとう」
確かに、アザリアから放射されるエネルギーは以前とは比べ物にならない。もはや一国の聖女と呼んでも差し支えないレベルだった。
「次はどうする?」メルベルは体を起こそうとして、痛みに顔を歪めた。
「無理しないで」アザリアが彼を支える。「もっと準備が必要よね。都に戻って、装備を整えて...」
「そうだな。残りの聖地は、今までとは次元が違う」
バビロンとエリドゥ。特にエリドゥは、生還者がアジョラ聖女以外にいない魔境だ。
「でも、きっと大丈夫よ」アザリアの声に自信が宿っている。「私たち、ここまで来れたんだから」
その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「お邪魔しまーす!」
吟遊詩人と作家たちがゾロゾロと入ってくる。
「メルベル殿、お目覚めですね!」若い詩人が興奮して言った。「ぜひお話を聞かせてください!」
「ルカヴィとの戦いの詳細を!」
「あの夜の森での出来事を!」
メルベルは眉をひそめた。
「帰れ。俺は病人だ」
「いやいや、そう言わずに」髭面の小説家が笑いながら近づく。「特に知りたいのは、巫女様との関係でして...」
「関係?」
「もういい関係なんでしょう?」吟遊詩人がニヤニヤしながら言った。「あの森で、二人きりで一夜を過ごして...きっと愛が芽生えて...」
メルベルの顔が怒りで紅潮した。
「てめえらの安い憶測で、アザリアを見せ物にするつもりか」
彼の声は低く、危険な響きを帯びていた。
「いえいえ、別に悪い意味じゃありませんよ」詩人は手をひらひらと振る。「ロマンスですよ、ロマンス。階級を超えた愛の物語として...」
「黙れ」
メルベルは痛む体を無理やり起こし、ベッドから立ち上がった。
「てめえらが勝手に作り上げた妄想で、彼女を汚すな」
「ちょっと、メルベル」アザリアが慌てて止めようとしたが、遅かった。
メルベルは作家の一人の襟首を掴み、扉に向かって押し出した。
「アザリアは聖女だ。てめえらのくだらない色恋沙汰の対象じゃない。二度と来るな」
「ちょっと、乱暴ですよ」
「うるさい」
メルベルは次々と彼らを部屋から追い出し、最後に扉を勢いよく閉めた。
静寂が戻った部屋で、アザリアが苦笑いを浮かべている。
「あの...怒らなくてもよかったんじゃない?」
「あいつらは興味本位で騒いでるだけだ」メルベルは荒い息をついている。「俺たちの関係を勝手に脚色して、面白おかしく語り継ぐつもりだ」
アザリアは少し寂しそうな表情を見せた。
「でも...私たちの関係って、そんなに変な話かしら?」
メルベルは彼女を見つめた。確かに、二人の間には以前とは違う何かが生まれている。しかし、それを他人に詮索されるのは我慢ならなかった。
「...関係なんてものはない。俺はあんたに雇われた護衛だ。それ以上でも以下でもない」
しかし、その言葉は自分自身にも嘘っぽく聞こえた。アザリアの表情が少し曇るのを見て、メルベルは何か言いかけたが、結局黙り込んだ。
外では、追い出された詩人たちが悔しそうに話し合っている声が聞こえてくる。




