第五十話「森の行軍」
森の奥へと続く獣道は、予想以上に歩きにくかった。絡み合った根が地面を盛り上げ、朽ちた枝が足を取る。一歩ごとに落ち葉がカサリと音を立て、その度にメルベルの眉間に皺が深くなった。
先頭を行く彼は、時折立ち止まって耳を澄ませる。遠くから聞こえてくる奇怪な唸り声—それがアンデッドのものなのか、森そのものが発する声なのか、判別は困難だった。
「グルルルル...」
低い呻き声が木々の間から響いてきた時、メルベルは片手を上げて一行を静止させた。三十メートルほど先の木陰で、腐敗した人影がふらつきながら歩いている。
エア・ナブが無言でメルベルに視線を送る。彼は首を横に振り、左手で迂回の合図を送った。一行は息を殺して茂みの中を大きく回り込む。
ティアマトの装飾甲冑が枝に引っかかり、小さな金属音を立てた瞬間、全員が凍りついた。アンデッドがゆっくりと首を巡らせる—しかし幸い、風向きが味方した。腐敗臭に紛れて人間の匂いは届かなかったようだ。
やがて危険が去ると、メルベルはティアマトに鋭い視線を向けた。彼女は頬を赤らめ、唇を噛んで俯いた。
二時間ほど進んだところで、より大きな脅威と遭遇した。
前方の開けた場所で、十体を超える腐敗系アンデッドが群れをなしている。かつては村だったのだろう、朽ち果てた家屋の残骸の間を、死者たちが意味もなく徘徊していた。
メルベルとエア・ナブは身を寄せ合い、囁き声で相談した。
「迂回するには時間がかかりすぎる」エア・ナブが地図を指す。
「だが、あの数を相手に音を立てずに片付けるのは無理だ」メルベルの表情は険しい。
神殿戦士の一人が前に出てきた。
「銃を使えば一瞬で片付きます」
メルベルは首を振った。
「音でもっと多くの奴らを呼び寄せる。それでも構わないのか?」
結局、一行は一時間かけて大きく迂回することになった。その間、ティアマトは何度か不満の表情を見せたが、アザリアに睨まれて口を閉じた。
午後に差し掛かった頃、ようやく目指していた洞窟が見えてきた。古い石灰岩の崖に口を開けた自然の洞穴で、入り口は茂みに隠れて外からは発見しにくい。
「ここで小休止だ」メルベルが短く告げる。
洞窟の中は意外に広く、奥行きも十分にあった。かつて他の巡礼者たちが使ったのだろう、焚き火の跡や簡易的な石の椅子が残されている。
アザリアは疲れた様子で岩に腰を下ろした。
「思っていたより大変ね。まだ半分も来ていないのに」
ティアマトも扇子で顔を仰ぎながら答える。
「ええ、本当に。こんなに神経を使う旅だとは思いませんでした」
珍しく二人の意見が一致した。メルベルは洞窟の入り口近くに腰を下ろし、外の様子を警戒しながら乾パンを囓る。
エア・ナブが近づいてきた。
「この調子だと、聖火の場所まで到達するのに丸一日はかかりそうですね」
「上出来だろう。元々二日の予定だった」メルベルは短く答える。「問題は帰りだ。聖火を手に入れた後、アザリアの聖火エネルギーが強まる。アンデッドに察知されやすくなる」
エア・ナブの表情が引き締まった。
「それは...厄介ですね」
その時、洞窟の奥から神殿戦士の一人が小声で報告してきた。
「隊長、奥の方に別の出口があります。こちらから出れば、さらに奥地への近道になりそうです」
メルベルは立ち上がり、松明を手に奥へと向かった。確かに、洞窟の最深部には別の出口がある。そこから外を覗くと、聖火の祠がある方角により近いルートが見えた。
しかし、彼の表情は晴れなかった。近道があるということは、それだけアンデッドとの遭遇率も高くなるということだ。
「どうする?」エア・ナブが尋ねる。
メルベルは暫く考え込んだ。予定通りの迂回ルートを取るか、危険を冒して近道を選ぶか。
アザリアが後ろから声をかけた。
「メルベル、どっちがいいと思う?私はあなたの判断に従うわ」
その言葉に、ティアマトが眉をひそめた。
「私たちの意見も聞かずに決めるのですか?」
緊張が再び一行を包み込む。この微妙な空気の中で、メルベルは重大な決断を迫られていた。
洞窟の外からは、相変わらず森の不気味な唸り声が聞こえてくる。そして、かすかではあるが、あの甘い腐敗の香りが風に乗って流れてきた。メルベルの胸に、再び嫌な予感が宿る。
何かが、彼らの行く手で待ち受けている。




