第五話「小さな光」
二日目の朝、アザリアは昨日よりも早く祠へ向かった。
街の人々の視線は、明らかに冷ややかになっている。昨日の失敗により、彼女への期待は疑念に変わっていた。それでも、アザリアは歩き続けた。足の痛みは昨日よりもひどく、一歩ごとに激痛が走るが、立ち止まるわけにはいかない。
祠の前で、再び跪いた。
今度は、昨日とは違うやり方を試してみる。力任せに聖なるエネルギーを注ぎ込むのではなく、まず聖火の状態を感じ取ろうとした。目を閉じ、呼吸を整える。
聖火が弱々しく脈打っているのが分かった。まるで、病気で苦しんでいる人の心臓のように、不規則で弱い。何かが、聖火の力を阻害している。
「そうか」
アザリアは呟いた。単純にエネルギーを供給するだけでは不十分なのだ。まず、阻害要因を取り除かなければならない。
周囲を調べてみると、祠の基部に異常を発見した。石の隙間から、黒ずんだ水が滲み出している。おそらく、地下水の汚染が聖火に影響を与えているのだろう。
アザリアは浄化の祈りを唱え始めた。これは基礎的な技術だが、広範囲に渡って行うのは初めてである。額に汗が浮かび、手が震えてくる。
三時間ほど続けて、ようやく小さな変化が現れた。聖火の明滅が、わずかに安定してきたのである。
「おお」
見守っていた住民の一人が、小さく声を上げた。
アザリアは立ち上がり、震える足で宿屋に戻った。昨日ほどの絶望感はないが、まだまだ不十分である。しかし、確実に前進している手応えがあった。
三日目、アザリアは更に早く祠に向かった。
今度は、聖火そのものではなく、周辺環境の浄化に集中した。祠の周囲に散乱していた腐敗物を片付け、汚れた水を清め、悪い空気を払う。地味で目立たない作業だが、これらが聖火の力を妨げている要因だった。
昼過ぎになって、ついに目に見える変化が起きた。
聖火の炎が、一瞬だが力強く燃え上がったのである。同時に、祠周辺の空気が清々しく変わった。
「巫女様」
管理人の老人が駆け寄ってきた。
「水の匂いが変わりました」
確かに、近くの井戸から嫌な臭いが消えている。アザリアは、初めて達成感というものを味わった。
その日の夕方、宿屋の食事が少しだけ美味しくなっていた。宿の主人は、感謝の表情でアザリアを迎えてくれた。
四日目、変化は更に明確になった。
聖火は安定した光を放ち、街の空気は清浄になってきている。病気で寝込んでいた子供たちが外に出てきて、商店も少しずつ活気を取り戻し始めた。
しかし、アザリアの体力は限界に近づいていた。毎日の浄化作業で、彼女自身のエネルギーが大幅に消耗している。顔は青白く、手は常に震えていた。
メルベルは相変わらず無言で見守っていた。特に手を貸すでもなく、励ますでもない。ただ、依頼主が倒れでもしたら契約に支障が出ると考え、最低限の食事だけは確保してくれる。
内心では、少しだけ見方が変わっていた。
(ふぅん)
都の正式な巫女というだけのことはある、という程度の評価である。最初は全く駄目だったが、諦めずに続けているうちに、それなりの成果を出している。思っていたより、根性があるらしい。
それでも、メルベルの態度に変化はなかった。相変わらず素っ気なく、必要最小限の会話しかしない。彼にとって、これは仕事である。依頼主の能力が向上することは歓迎すべきことだが、それ以上でもそれ以下でもない。
五日目、ついに聖火は完全に回復した。
炎は力強く燃え上がり、街全体に暖かな光を投げかけている。水は透明になり、食物は新鮮さを取り戻し、人々の顔に笑顔が戻ってきた。
「ありがとうございました」
住民たちが次々とアザリアに感謝の言葉を述べる。子供たちは彼女の周りに集まり、花を手渡してくれた。
そして、街の長老が進み出た。
「巫女様、心ばかりの品ですが」
長老が差し出したのは、上質な布に包まれた金貨の入った袋であった。街からの心づけ、成功への報酬である。
アザリアは一度、上品に手を振った。
「そのようなお気遣いは」
「いえいえ、どうか」
長老が再び差し出すと、アザリアは慎ましやかに微笑んだ。
「それでは、ありがたく」
通例通りの美しい儀式であった。アザリアは内心でほくほくしている。久しぶりに味わう正当な報酬と敬意に、心が躍っていた。
人々が散らばった後、アザリアはメルベルの方を振り返った。彼は祠から少し離れた場所で、相変わらず無表情に立っている。
「あなたも来ればよかったのに」
アザリアは不思議そうに言った。
「なんで遠くで見ているの? あなたも報酬をもらう権利があるでしょう?」
メルベルの表情が、わずかに険しくなった。
「俺が巫女様の隣でのうのうと金を受け取れるわけないだろう」
その声には、かすかな怒気が込められていた。
アザリアは驚いた。メルベルがこれほど感情を露わにするのを見るのは初めてだった。
「どういう意味?」
「俺は異教の戦士だ。神殿とは関係ない」
メルベルは吐き捨てるように言った。
「都市部では、俺のような人間は歓迎されない。分からないのか?」
アザリアは言葉を失った。確かに、報酬の儀式の間、住民たちはメルベルの方をちらちらと気にしていた。しかし、それが何を意味するのか、理解していなかった。
「でも、あなたも私を護衛して」
「護衛は俺の仕事だ。だが、それ以上ではない」
メルベルは背を向けた。
「俺は宿で待っている」
彼の後ろ姿を見送りながら、アザリアは初めて自分の無知を痛感した。神殿の内部で育った自分には、外の世界の厳しさが分からなかったのだ。
手の中の報酬の袋が、急に重く感じられた。
その日の夕方、祠の前でアザリアは一人静かに座っていた。燃え盛る聖火を見つめながら、この数日間の成果と、先ほどの出来事について考えている。
自分の成功に酔いしれていたが、メルベルの言葉で現実を思い知らされた。世界には、自分の知らない複雑な事情があるのだ。
明日は、次の街に向けて出発する予定である。今度は、もう少し周囲のことを考えて行動しなければならないだろう。




