第四十八話「苦痛の行軍」
キシュへの道程が始まって三日目。この行軍ほど苦痛なものはなかった。
「あら、その装備で本当に大丈夫なの?」
ティアマトが振り返って言った。
「森の中は危険なのよ」
「ご心配なく」
アザリアが歯を食いしばって答えた。
「私たちは慣れておりますから」
「慣れてるって言っても、まだ一つしか聖地を…」
「申し上げましたでしょう?十分だと」
二人の巫女の間には、常に緊張が漂っていた。些細なことでも、必ず嫌味の応酬になる。同行している神殿戦士たちも、この雰囲気には辟易していた。
メルベルは黙々と歩いているが、神殿戦士たちの視線が痛いほど感じられた。
「あの異教徒、本当に大丈夫なのか?」
「装備が貧相すぎる」
「ティアマト様の足を引っ張るんじゃないか」
ヒソヒソと交わされる囁きが、時折聞こえてくる。メルベルは慣れているとはいえ、これだけ大勢から向けられる視線は不快だった。
「もう我慢できないわ」
昼食の休憩時、アザリアが爆発した。
「あの無礼者たちと別れて行動しましょう」
「だめだ」
メルベルが即座に止めた。
「この大人数の行軍には、野盗との遭遇がまず避けられるという最大のメリットがある」
「でも…」
「我慢しろ」
メルベルの言葉は冷たかった。
「少しは相手に負けることも覚えたらどうだ」
「負ける?」
アザリアの目が見開かれた。
「なぜ私が負けなければならないの?」
「大人になれということだ」
「私は十分大人よ!」
アザリアが立ち上がった。
「あなたこそ、なぜいつもそんなに卑屈なの?」
「卑屈じゃない。現実的なんだ」
「現実的?弱腰の間違いでしょう?」
メルベルは黙り込んだ。確かに、彼女の言い分にも一理ある。しかし、無用な争いは避けたかった。
夕方、宿場町に到着すると、酒場では吟遊詩人が歌を披露していた。
「聞け、異教の戦士を連れた金髪の巫女の物語を」
詩人の声が響くと、アザリアの表情が一変した。
「炎の剣を振るう戦士と共に、ルカヴィの手を切り落とし、山の聖火を手にせり」
「ほら、私たちの歌よ!」
アザリアが得意満面の顔で振り返った。
「有名になったものね」
その時、ティアマトが鼻で笑った。
「たかが吟遊詩人の歌でしょう?」
「たかがって何よ」
「こんなこと、大したことではありませんわ」
ティアマトが肩をすくめた。
「私たちの冒険譚も、きっと歌われるでしょうし」
「でも、今歌われているのは私たちの物語よ」
「今だけでしょうね」
「何ですって?」
「より偉大な功績を成し遂げれば、人々の関心は移るものです」
「偉大な功績?」
アザリアの声が上ずった。
「あなた、まだ一つも聖地を攻略していないじゃない」
「それはこれから証明いたします」
「証明って、前回は失敗したくせに」
「失敗ではありません。戦略的撤退です」
「戦略的撤退?」
アザリアが声を上げて笑った。
「それを世間では失敗と呼ぶのよ」
酒場の客たちが、二人の巫女の応酬を興味深そうに見つめている。
「お二人とも、やめてください」
エア・ナブが慌てて割って入った。
「人目もありますし」
「そうですな」
メルベルも同調したが、内心では疲れ果てていた。
(この調子が森まで続くのか)
考えただけでも、頭が痛くなってくる。
宿に着いても、二人の巫女の冷戦は続いていた。夕食の席でも、嫌味の応酬は止まらない。
「明日は森に入る」
エア・ナブが疲れた声で言った。
「どうか、協力をお願いします」
「もちろんですわ」
両者が同時に答えたが、その目は相変わらず敵意に満ちていた。
メルベルは天井を見上げた。
(こんな状態で、本当に大丈夫なのか)
森での戦闘が始まる前から、既に疲労困憊だった。




