第三十九話「夜陰の来訪者」
キシュへの道程で立ち寄った小さな街は、一見すると他の地方都市と変わらなかった。石造りの建物が並び、商人や農民が行き交う平凡な光景。アザリアとメルベルは、ここで聖火の補充と街の浄化を請け負っていた。
「思ったより汚染は軽いわね」
アザリアが街の中央にある祠の前で呟いた。聖火の光は弱いものの、完全に消えているわけではない。
「ああ、数日で終わりそうだ」
メルベルが同意した。これまで立ち寄った街々と比べて、ここの浄化作業は比較的簡単に済みそうだった。
宿の主人も気さくな男で、二人を歓迎してくれた。
「巫女様がいらしてくださって助かります」
主人が深々と頭を下げた。
「最近、街の雰囲気がどうも重苦しくて」
「よくあることです」
アザリアが答えた。
「聖火のエネルギーが不足すると、どうしても陰鬱になりがちですから」
夕食を済ませ、部屋に戻った二人は、明日からの作業について打ち合わせていた。
「三日もあれば十分でしょう」
アザリアが地図を見ながら言った。
「その後はキシュに向けて出発ね」
「そうだな」
メルベルが頷いたが、どこか落ち着かない様子だった。街に入った時から、妙な違和感を感じていた。何かが普通ではない。しかし、それが何なのかは掴めずにいた。
夜更けになり、二人は床についた。アザリアはすぐに深い眠りに落ちたが、メルベルは眠りが浅かった。
そして、いつものように悪夢が始まった。
今度の夢は、これまでとは少し違っていた。暗い街角で、人影がうごめいている。その影たちは人間のようでありながら、どこか歪んでいる。腐った肉の匂いが漂い、陰湿な笑い声が響いている。
そして、その影たちがこちらに向かってくる。
「うっ!」
メルベルが飛び起きた。全身が冷や汗でびっしょりと濡れている。
(今度の夢は…現在進行形だった)
これまでの予知夢は、遠い未来の出来事を描いていた。しかし、今の夢は違う。今夜、この場所で起こることを予告していた。
その時、宿の建物の中から微かな音が聞こえてきた。足音ではない。何かが這いずるような、不快な音だった。
メルベルは静かに立ち上がると、剣に手をかけた。アザリアを起こすべきかと思ったが、まずは状況を確認する必要があった。
部屋の扉をそっと開け、廊下を覗いた。薄暗い廊下の向こうから、確かに何かが近づいてくる。月光が差し込む窓から、その正体が見えた。
腐敗した人間の死体が、ゆらゆらと歩いている。しかし、ただの腐敗系アンデッドとは違う。その動きには明確な意図があり、目的を持って行動しているように見えた。
(ルカヴィの手下か)
メルベルは直感した。第三種アンデッド、知能を有するアンデッドの配下。自分たちが殺した人間を腐敗系アンデッドとして蘇らせ、手下として使役する能力を持つ。
腐敗したアンデッドが部屋の前まで来た時、メルベルは扉を勢いよく開け放った。
「何者だ」
低い声で問いかけたが、アンデッドは答えない。代わりに、腐った手を振り上げて襲いかかってきた。
メルベルは剣を抜くと、一気に踏み込んだ。炎を纏った刃が、アンデッドの胴体を両断する。しかし、切断された上半身がまだ動いている。
「しつこい奴だ」
メルベルが聖火の力で完全に焼き尽くすと、ようやく動きを止めた。
「何の音?」
アザリアが目を覚まして部屋から出てきた。
「アンデッドだ。宿に侵入してきた」
「こんな街中に?」
アザリアが驚いた。
「ただの腐敗系じゃない。ルカヴィの手下だ」
メルベルの言葉に、アザリアの表情が緊張した。
「ルカヴィって、知能型のアンデッド?」
「ああ。この街に潜んでいるらしい」
メルベルは周囲を警戒した。一体だけとは限らない。
「宿の主人は大丈夫かしら?」
アザリアが心配そうに言った。
「確認してみよう」
二人は慎重に宿の中を移動した。主人の部屋を覗くと、幸い無事だった。しかし、深い眠りについており、先ほどの騒ぎに気づいていないようだった。
「妙だな」
メルベルが首をひねった。
「これだけの音を立てたのに、誰も起きない」
「まさか、眠らされてる?」
「可能性はある」
メルベルが窓の外を見た。街は静まり返っている。しかし、その静寂は自然なものではなかった。まるで死の静寂のように、不気味な重さがあった。
「どうしましょう?」
アザリアが尋ねた。
「とりあえず朝まで警戒だ」
メルベルが答えた。
「明日になったら、この街で何が起こっているか調べる必要がある」
二人は部屋に戻り、交代で見張りをすることにした。しかし、夜明けまでの間、他に異常は起こらなかった。
朝になると、街はいつもの平穏な顔を取り戻していた。




