第三十五話「嵐の中の温もり」
夜半過ぎから風が強くなり始めた。最初は木々を揺らす程度だった風が、次第に山小屋の壁を叩くような激しさになっていく。
「おかしいな」
メルベルが窓の外を見た。昨夜は星も見えていたのに、今は厚い雲が空を覆い、雪が舞い始めている。
「天気が変わったのね」
アザリアも心配そうに外を眺めた。
朝になると、状況はさらに悪化していた。山小屋の隙間から冷たい風が容赦なく吹き込み、室内の温度は急激に下がった。外は完全な吹雪で、数メートル先も見えない。
「これは…」
メルベルが唇を噛んだ。
「すまん、俺の見立てが間違っていた」
「間違っていたって、そんな」
アザリアの声が震えていた。寒さのせいか、怒りのせいか、おそらく両方だった。
「昨夜はあんなに天気が良かったのに、なぜこんなことに」
「山の天気は変わりやすい。それを読み切れなかった俺の責任だ」
メルベルは言い訳をしなかった。確かに、彼の判断ミスだった。
「それで、どうするの?」
アザリアが詰め寄った。
「このまま凍え死ぬの?」
「嵐が過ぎるまで待つしかない」
「いつまで?」
「わからない」
メルベルの答えに、アザリアは絶句した。
時間が経つにつれ、山小屋の中はどんどん寒くなっていく。薪はあるが、隙間風が激しくて火を維持するのも困難だった。
「寒い…寒すぎる」
アザリアが毛布にくるまりながら震えていた。
「もう我慢できない」
そう言うと、彼女は毛布を抱えて立ち上がった。
「ちょっと、何を…」
メルベルが驚いた時には、アザリアは既に彼の腕の中に体を捩じ込んできていた。
「何をする!」
メルベルが慌てた。
「私もしたくてしてるわけじゃないわよ」
アザリアがぶつぶつと文句を言いながら、メルベルの胸に体を押し付けた。
「あなたの体で暖を取らないと死にそうなの」
「しかし…」
「しかしもなにもないでしょう。緊急事態よ」
アザリアは毛布を二人に掛けると、メルベルの体温に身を委ねた。確かに、一人でいるよりもずっと暖かい。
メルベルは流石に気まずかったが、文句を言える立場でもなかった。自分の判断ミスで、彼女をこんな状況に追い込んでしまったのだから。
「意外と暖かいのね」
アザリアが小さく呟いた。
「悪くない、というのは失礼な言い方だけど」
メルベルは何も答えなかった。確かに暖かいし、悪い気分でもなかったが、それを口に出すのは躊躇われた。
しばらく静寂が続いた後、アザリアが口を開いた。
「そういえば、いつもうなされてるけど、悪い思い出でもあるの?」
メルベルの体が僅かに強張った。
「何か話したら楽になるんじゃない?」
「…夢見が悪い」
メルベルがぽつりと答えた。
「昔、悪いことをしすぎて、亡霊たちが俺を責めるんだ」
それは嘘だった。しかし、本当のことを言うわけにはいかなかった。
父や祖父は、予知夢の内容を語った後に死んでいる。夢の内容を他人に語ることで、よくない結果を招くような気がしていた。闇の戦士の血統に伝わる、ある種の迷信かもしれないが、それでも口にするのは憚られた。
「亡霊って…」
アザリアが心配そうに見上げた。
「どんな悪いことをしたの?」
「色々だ」
メルベルは曖昧に答えた。
「人を殺したこともある。金のためだけに」
それは本当のことだった。汚れ仕事に手を染めていた頃の記憶は、確かに彼を苦しめていた。
「でも、それは生きるためでしょう?」
アザリアの声は優しかった。
「誰だって、生きるためには汚いことをしなければならない時がある」
「あんたは違う」
メルベルが呟いた。
「あんたは清廉で、真っ直ぐだ」
「そんなことないわ」
アザリアが苦笑した。
「私だって、復讐心で動いてるもの。清廉なんて程遠い」
「それでも俺とは違う」
外では相変わらず嵐が吹き荒れている。二人は毛布の中で身を寄せ合いながら、嵐が過ぎるのを待っていた。
「きっと明日には晴れるわ」
アザリアが呟いた。
「そうだな」




