第三十一話「もう一つの巡礼」
アザリアが神殿から出てきた時、その表情には満足げな色が浮かんでいた。体内に宿る第三聖火の力は、これまでとは比較にならないほど強大で、彼女自身もその変化を実感していた。
「無事に終わりました」
アザリアがメルベルに報告すると、彼は安堵の表情を見せた。
「よかったな」
「ええ、これで正式に聖地巡礼の資格を得ました」
二人がそんな会話を交わしていると、神殿の入り口から新たな一行が現れた。
「なんだ、あれ」
メルベルが眉をひそめた。
先頭を歩くのは、アザリアと同年代と思われる巫女だった。しかし、その後に続く護衛の数は尋常ではない。神殿戦士が一人、その他に武装した護衛が十名近く、まるで小さな軍隊のような行列を成している。
「おそらく、いいところのお嬢様の巫女でしょうね」
アザリアが観察しながら言った。
「あんな護衛をたくさん連れているのは、かなりの金持ちの上級巫女が聖地巡礼の試験を受けるときの典型的なパターンよ」
巫女は栗毛の髪を丁寧に編み上げ、装身具も上質なものばかりを身につけている。その立ち振る舞いからして、相当な身分の出身であることは明らかだった。
「随分と大げさだな」
メルベルが呟いた。
「でも、確実よね。これだけの護衛がいれば、どんな危険にも対応できるでしょう」
アザリアの声には、微かな羨望が混じっていた。
一行は神殿内部に消えていき、しばらくして聖火受領の儀式が始まった。神殿の奥から漏れ聞こえる光と音の変化で、儀式の進行が感じ取れる。
「うまくいっているようですね」
アザリアが呟いた。
やがて儀式が完了したらしく、神殿内部から歓声が聞こえてきた。間もなく、その巫女が護衛たちと共に神殿から出てきた。表情には成功の喜びが浮かんでいる。
「成功したようね」
アザリアが言った時、その巫女がこちらに気がついた。護衛たちを従えて、ゾロゾロとアザリアたちの方に歩いてくる。
「あら、あなたも聖地巡礼の方ですか?」
巫女が近づいてきて、上品な声で話しかけた。
「はい、そうです」
アザリアが答えた。
「私はマルドゥク・ティアマト。ティアマト家の長女です」
彼女が自己紹介すると、その名前にアザリアは内心で驚いた。ティアマト家といえば、国内有数の大商家として知られている。
「こちらは私の護衛長、エア・ナブです」
ティアマトが示した神殿戦士は、立派な法石装備に身を包んでいた。その装備の質は、一目でその価値がわかるほど上等なものだった。
「光栄です」
エア・ナブが丁寧に頭を下げた。
「それで、あなたは?」
ティアマトがアザリアを見つめた。
「イシュタル・アザリアです」
「イシュタル家…」
ティアマトが首をかしげた。
「申し訳ございませんが、存じ上げませんわ」
その言葉には、明らかに階級の違いを示唆する響きがあった。
「それはそうでしょうね」
アザリアの声に、僅かに棘が混じった。
「こちらは私の護衛です」
アザリアがメルベルを示すと、ティアマトの表情が変わった。
「あら、神殿戦士ではないのですね」
「法力使いです」
「法力使い…」
ティアマトの視線がメルベルの装備を値踏みするように見回した。
「随分と…質素な装備ですのね」
「実用的なものを選んでいますので」
アザリアが少し語気を強めて答えた。
「でも、護衛はお一人だけですの?聖地巡礼には危険が伴うと聞いておりますが」
ティアマトの言葉には、明らかに見下すような響きがあった。
「十分です」
アザリアの目に、鋭い光が宿った。
「質より量という考え方もあるでしょうが、私は信頼できる人と旅をしたいので」
「まあ」
ティアマトが眉をひそめた。
「でも、万が一のことを考えると…」
「万が一のことなら、私たちは既に何度も経験しています」
アザリアが割って入った。
「シッパルやクタでの実績もありますし」
「あら、もう聖地の下見をされていたのですか?」
ティアマトの声に驚きが混じった。
「下見ではありません。実際の世直しの旅です」
アザリアの誇らしげな口調に、ティアマトは少し面食らった様子を見せた。
「世直し…ですの?」
「ええ。各地でアンデッド退治や聖火の補充をしながら、ここまで来ました」
「それは…大変でしたでしょうね」
ティアマトの声には、同情とも軽蔑ともつかない複雑な響きがあった。
「でも、それで満足していては、本当の聖地巡礼は難しいのではないでしょうか」
その言葉に、アザリアの表情が一変した。
「どういう意味ですか?」
「危険な聖地は、これまでとは次元が違います。準備不足では命を落としかねません」
ティアマトが護衛たちを見回した。
「だからこそ、これだけの護衛を用意したのです」
「護衛の数で解決できる問題ばかりではありませんよ」
アザリアが反駁した。
「経験と技術の方が重要です」
「経験も大切ですが、万全の準備に勝るものはありません」
ティアマトが微笑んだ。
「まあ、お互い頑張りましょう」
その微笑みには、明らかに余裕と優越感が滲んでいた。
「ええ、そうですね」
アザリアも微笑み返したが、その目は笑っていなかった。
一行が去った後、アザリアは露骨に舌打ちした。
「チッ…今に見てろよ」
その剣幕に、メルベルは内心で冷や汗をかいた。
(こいつの気の強さ、普通じゃないな)
アザリアの表情には、明らかな怒りと対抗心が浮かんでいた。
「何よ、あの態度」
アザリアが吐き捨てるように言った。
「護衛の数だけ多くて、偉そうに。『イシュタル家を存じ上げませんわ』ですって?覚えてなさいよ」
「まあ、落ち着け」
メルベルが宥めようとしたが、アザリアの怒りは収まらなかった。
「それに『質素な装備』って何よ。あなたの実力も知らないくせに、装備だけで判断するなんて」
アザリアは立ち上がると、メルベルを見据えた。
「でも、こちらも金はそれなりに手に入れたから、可能な限り準備していくわよ」
「おい」
「負けてられないもの。向こうが物量で来るなら、こちらは質で勝負よ」
アザリアの目には、強い決意の炎が燃えていた。
「さあ、準備を始めましょう。最高の装備を揃えて、あの高慢ちきな巫女を見返してやるの」
メルベルは、アザリアの気迫に圧倒されながら、彼女の後について歩き始めた。
(この女、本気で怒ると手がつけられないな)
思わぬライバルの出現が、アザリアの闘志を完全に燃え上がらせてしまったようだった。




