第三十話「聖火の都ニップル」
朝霧が晴れると、ニップルの巨大な城壁が視界に飛び込んできた。これまで見てきた都市とは明らかに格が違う。法石採掘の中心地として栄えるこの都市は、近代化の波に洗われながらも、古代の威容を失っていなかった。
「すごいですね」
アザリアが息を呑んだ。
城壁の向こうに聳える建造物群は、古代王朝の宮殿を思わせる壮麗さだった。階段状に積み上げられた石造建築は、時代を超えた荘厳さを湛えている。
「ああ」
メルベルも感嘆の声を漏らした。これほどの規模の都市を見るのは久しぶりだった。
門をくぐり、街の中に足を踏み入れると、その雰囲気は一変した。大通りを歩く人々の視線が、一斉にメルベルに向けられる。
浅黒い肌、異国風の装身具、そして明らかに神殿製ではない武具。ニップルの住民にとって、これほど露骨な異教徒は珍しい存在だった。
「何だ、あの男は」
「巫女様と一緒にいるが…」
「護衛にしては随分と…」
ひそひそと交わされる囁きが、メルベルの耳に届く。最初は気にするまいと思っていたが、流石に全ての人間が振り返るとなると、耐えがたいものがあった。
「アザリア」
メルベルが小声で呼びかけた。
「少し街の外の宿で待っていてもいいか?」
しかし、アザリアはその提案を完全に無視した。むしろ歩調を早め、堂々と街の中央に向かって進んでいく。
メルベルは少し驚いた。クタの村での経験を考えれば、彼女が自分を気遣ってくれるものと思っていた。だが、今のアザリアは違っていた。
やがて二人は街の中央部に到達した。そこには巨大な神殿がそびえ立ち、その中心から天高く炎が立ち上っている。炎は灯台のように空に向かって伸び、街全体を照らしていた。
「これは何だ?」
メルベルが見上げながら尋ねた。
「この国で一番大きな聖火です」
アザリアが誇らしげに答えた。
「聖地巡礼前の巫女は三つの都市で聖火を頂き、そこから旅に出るという決まりがあるのです」
その炎の美しさは、確かに息を呑むものだった。ウルクやウルで見た聖火とは比較にならない規模と威力を感じさせる。
「つまり、あんたはここで最後の聖火を受け取るということか」
「ええ」
アザリアの声には、これまでにない決意が込められていた。
「これで準備は完了します。本当の聖地巡礼の始まりです」
神殿の周囲には、白い衣をまとった神官たちが行き交っている。そして、その全員の視線が、メルベルとアザリアに向けられていた。
特にメルベルに対する視線は厳しい。神聖な聖火の前に、異教徒の戦士が立っているという事実に、明らかに困惑している。
「巫女様」
一人の年配の神官が近づいてきた。
「お疲れさまでした。長い旅路だったでしょう」
「はい、ありがとうございます」
アザリアが丁寧に答えた。
「こちらは私の護衛です」
神官の視線がメルベルに向けられた。その目には、明らかな疑問の色が浮かんでいる。
「護衛の方は…法力使いでしょうか?」
「はい」
アザリアの答えは簡潔だった。
「それでは、聖火の儀式の準備をいたしましょう。ただし…」
神官が言いにくそうに口を開いた。
「護衛の方は、神殿内部には入れませんので、こちらでお待ちください」
「わかりました」
メルベルが答えた。予想していたことだった。
アザリアは振り返ることなく、神官に従って神殿の内部へと向かった。
神殿の中に入ると、そこは外の喧騒とは別世界だった。高い天井に響く足音、壁に刻まれた古代文字、そして至る所から立ち上る聖火の光。アザリアは久しぶりに感じる神聖な空気に、心を躍らせていた。
「聖地巡礼の手続きを行います」
案内の神官が説明した。
「まず資格審査、次に聖火受領の試験、そして最終的な認定となります」
「わかりました」
アザリアが頷くと、神官たちがひそひそと囁き交わすのが聞こえた。
「あの護衛、異教徒じゃないか」
「聖地巡礼に異教徒とは…」
「神殿の権威に関わる」
アザリアは振り返ると、神官たちを鋭く睨みつけた。その視線の厳しさに、神官たちは驚いて慌てて目を逸らした。
外で待っているメルベルは、神殿内部から漏れ聞こえる会話に苦笑していた。
(この女、一体どういう神経してるんだ)
彼は逆に呆れていた。以前のアザリアなら、そんな視線に萎縮していたはずだ。しかし今の彼女は、堂々と神官たちに立ち向かっている。
神殿内部では、聖火受領の試験が始まろうとしていた。
「三つ目の聖火は、これまでとは比較にならない強力なものです」
試験官の神官が説明した。
「この聖火に耐えられない巫女は、これ以上の容量を持てないと判断され、聖地巡礼を諦めていただくことになります」
「承知しています」
アザリアの声に迷いはなかった。
石の祭壇の上で、巨大な聖火が静かに燃えている。その炎は、これまで見てきたどの聖火よりも純粋で、強力だった。
「では、始めてください」
アザリアは深呼吸をすると、両手を聖火に向けて差し出した。その瞬間、炎が彼女の体内に流れ込み始める。
圧倒的なエネルギーが体を駆け巡る。これまでの聖火とは桁違いの力に、アザリアは必死に耐えた。
しかし、彼女の体は確実にその力を受け入れていく。マリやクタでの経験が、彼女の容量を大幅に拡大していたのだ。
「驚異的ですね」
試験官が感嘆の声を上げた。
「これほどスムーズに第三聖火を受け入れる巫女は滅多にいません」
儀式が完了すると、アザリアは今までにない充実感に満たされていた。体内に宿る聖火の力は、以前とは比較にならないほど強大だった。
「合格です」
試験官が宣言した。
「あなたは正式に聖地巡礼の資格を得ました」
神殿の外で待っていたメルベルの元に、アザリアが戻ってきた。その表情には、成功の喜びと新たな決意が宿っている。
「終わりました」
アザリアが報告した。
「これで本当の冒険が始まります」
メルベルは彼女の変化を感じ取っていた。神殿から出てきたアザリアは、入る前とは明らかに違っていた。より強く、より自信に満ちている。




