第三話「街道の不和」
ウルを発って三日目の昼下がり、アザリアは苛立ちを隠せずにいた。
街道は乾いた土埃が舞い、初夏の日差しが容赦なく照りつける。巫女装束は汗で重くなり、足元の革靴は既に擦れて痛みを訴えている。しかし、それ以上に彼女を悩ませているのは、隣を無言で歩き続ける男の存在であった。
メルベルは朝から一言も口をきいていない。いや、正確に言うなら、この三日間で彼が発した言葉は「飯だ」「休憩」「歩け」程度のものばかりである。護衛として雇った以上、最低限の会話くらいは期待していたアザリアにとって、この状況は想像以上に辛いものであった。
「どのくらいでマリに着くのかしら」
アザリアが試しに声をかけてみると、メルベルは振り返りもせずに答えた。
「明日の夕方」
またもや短い返答である。アザリアは溜息をついた。
自分は没落したとはいえ、元は名門の出身である。これまで接してきた人々は、多少なりとも敬意を払ってくれていた。しかし、この男には、そのような配慮が微塵も感じられない。まるで荷物でも運んでいるかのような、事務的な態度である。
「護衛というのは、依頼主との会話も仕事のうちではないかしら」
今度は少し語気を強めて言ってみた。
「契約にそんな条項はない」
メルベルの答えは相変わらず素っ気ない。
アザリアの頬が熱くなった。確かに、酒場での契約は簡素なものだった。しかし、人として最低限の礼儀というものがあるだろう。
「あなたという人は」
「何だ」
「いえ、何でもありません」
アザリアは言いかけた言葉を飲み込んだ。この男と言い争ったところで、何の意味もない。どうせ、マリで聖火の供給を終えたら、さっさと別れてしまえばいいのだ。
しかし、内心では別のことも考えていた。この男の戦闘能力は本物のように見える。街を出る時に見た、古風だが手入れの行き届いた武器。歩く姿勢や目配りの仕方。確かに、只者ではない雰囲気がある。
問題は、その能力を自分のために発揮してくれるかどうかである。現在の関係では、いざという時に頼りになるかどうか怪しい。
メルベルもまた、内心では複雑な思いを抱いていた。
この巫女は、思っていたより扱いにくい。没落した身の上だから、もう少し大人しいものだと予想していたが、実際はかなり気の強い女性であった。おそらく、本来なら自分のような下層の人間に命令する立場にいた人間なのだろう。
それに、時折感じる妙な違和感がある。彼女の纏う空気に、どこか甘ったるい重さがあるのだ。悪夢で嗅いだ、あの腐った花のような香りに似ている。おそらく気のせいだろうが、気になることは確かであった。
「お昼にしましょう」
アザリアが立ち止まった。既に正午を過ぎている。
「まだ歩ける」
「私が疲れたと言っているのです」
「勝手にしろ」
メルベルは街道脇の木陰に腰を下ろした。アザリアも、少し離れた場所に座る。
昼食は乾いたパンと干し肉、それに水筒の水だけである。アザリアは、かつて神殿で食べていた豊かな食事を思い出し、また溜息をついた。
「あなたは、いつもこのような仕事をしているの?」
食事をしながら、アザリアは再び会話を試みた。
「そうだ」
「どのような?」
メルベルは少し間を置いてから答えた。
「護衛、用心棒、時には運搬」
「それで生計が立つの?」
「辛うじてな」
初めて、少しだけ人間的な返答が返ってきた。アザリアは内心で安堵した。この男も、全く心を閉ざしているわけではないらしい。
「法力使いなのでしょう? もっと良い仕事があるのでは」
メルベルの表情が僅かに曇った。
「時代が変わった。俺のような古い戦士に需要はない」
その言葉には、かすかな苦味が込められていた。アザリアは、初めてこの男の内面に触れた気がした。
「私も似たようなものよ」
アザリアは自分のことを話し始めた。父の破産、神殿での冷遇、そして今回の聖地巡礼という名の島流し。メルベルは黙って聞いていたが、時折頷くような仕草を見せた。
「だから、私たちは似た者同士ということね」
「そうかもしれん」
メルベルの返事は、これまでで最も温かみのあるものだった。
しかし、その後すぐに彼は立ち上がった。
「休憩は終わりだ」
再び、素っ気ない調子に戻っている。アザリアは、この男の心の奥に何かしら重いものが横たわっているのを感じた。
午後の道程は、午前中よりも険しかった。街道は次第に山がかった地形となり、足場も悪くなってくる。アザリアの足取りは重くなったが、メルベルは相変わらず一定のペースで歩き続けた。
夕方近くになって、ようやく野営地を探し始めた。街道から少し外れた、小さな泉のある場所を見つけて、そこで一夜を過ごすことにした。
「火を起こす」
メルベルが手際よく焚き火の準備を始める。アザリアは泉で顔を洗い、足の疲れを癒そうとした。
夕食はまた簡素なものだった。メルベルが持参した野菜スープの素と、アザリアが用意した保存食を合わせたもの。決して美味しいとは言えないが、温かい食事は疲れた体には有り難かった。
「私が見張りをします」
食事を終えたアザリアが申し出ると、メルベルは首を振った。
「俺がやる」
「交代で行えばいいでしょう」
「いや、俺一人で十分だ」
メルベルの表情に、かすかな頑なさがあった。アザリアには、その理由が分からなかった。
「でも、あなたも疲れているでしょう」
「大丈夫だ」
それ以上は何を言っても無駄であることが分かった。アザリアは焚き火の傍で毛布にくるまり、横になった。




