第二十八話「牧場の疎外」
クタの村に到着した時、野盗殺戮の件で生じた気まずさは、まだ二人の間に重く残っていた。村の入り口で家畜の匂いと草の香りが混じった風が頬を撫でたが、その清々しさも険悪な空気を和らげることはできなかった。
村人たちがアザリアを迎える様子は、これまでの村とは明らかに違っていた。ニップルに近いこの地域では、神殿との繋がりも深く、巫女に対する敬意も格式ばったものだった。
「巫女様、ようこそおいでくださいました」
村長が深々と頭を下げた。その視線は、しかし、メルベルには向けられなかった。
「護衛の方は…異教の戦士でしょうか?」
村長の声には、明らかな困惑と警戒心が込められていた。
「はい、法力使いです」
アザリアが説明しようとしたが、村長は眉をひそめた。
「巫女様に異教徒の護衛とは、これは…」
村人たちもざわめき始めた。メルベルの浅黒い肌と異国風の装身具は、この保守的な村では明らかに異質だった。
「問題ありません」
アザリアが毅然として言った。
「彼は優秀な戦士です」
「しかし、村の中に異教徒を…」
村長の言葉に、メルベルは静かに割って入った。
「俺は村の外で待っている」
アザリアが振り返ったが、メルベルの表情は既に諦めの色を湛えていた。
「仕事が終わったら声をかけろ」
「でも…」
「慣れている」
メルベルの短い言葉に、アザリアは何も言えなくなった。
村長は安堵の表情を浮かべた。
「それでは、巫女様、こちらへ」
アザリアは後ろ髪を引かれる思いで、メルベルが村の外れに向かう姿を見送った。
村の状況は予想以上に深刻だった。牧草地の汚染は広範囲に及んでおり、単純な浄化では済まない規模だった。
「ここ一月ほど、牛や羊が次々と病気になりまして」
畜産組合の長が説明した。
「獣医に見せても原因がわからない。薬も効きません」
アザリアは広大な牧草地を見回した。確かに、土地全体に淀んだ空気が漂っている。東西に数キロメートルにも及ぶ牧場のあちこちで、汚染の兆候が見て取れた。
「これは…相当時間がかかりそうですね」
「どのくらいでしょうか?」
「少なくとも数週間は必要です」
村人たちの表情が曇った。しかし、他に選択肢はなかった。
こうして、アザリアの長期滞在が始まった。毎日、彼女は牧草地の一角ずつを丁寧に浄化していく。メルベルは村の外れの木陰で、黙って見守り続けた。
最初の週、アザリアは毎日こっそりと食事をメルベルに届けていた。村人たちは相変わらず豊富な食料を用意してくれるが、その量は一人では到底食べきれない。
「お昼です」
三日目の昼、アザリアが包みを差し出すと、メルベルは眉をひそめた。
「村人からもらったものか?」
「私の分ですよ」
「嘘をつくな。一人でそんなに食えるわけがない」
メルベルは包みを受け取らなかった。
「私、小食なんです」
「…」
結局、メルベルは渋々と食料を受け取った。アザリアは少し離れた場所に座り、残りのパンをかじった。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎても、二人の関係はぎくしゃくしたままだった。アザリアは毎日黙々と浄化作業を続け、メルベルは変わらず村の外で待機している。
「毎回こんなことをするつもりか?」
二週間目の夕食時、メルベルが尋ねた。
「別に、こんなことじゃありません」
アザリアは少しむくれた。
「ただ、一人で全部は食べられませんから」
三週間目に入ると、さすがに村人たちも慣れてきた。アザリアが食事を半分持参することも、もはや日常の光景となっていた。しかし、メルベルが村に入ることは、依然として歓迎されなかった。
「もう少しで完了します」
三週間目の終わり、アザリアが村長に報告した。
「牧草地の東側があと数日で終わります」
「本当にありがたいことです」
村長が深々と頭を下げた。
「これほど大規模な浄化をしていただけるとは」
確かに、牧草地の状況は日に日に改善されていた。家畜たちも元気を取り戻し、村全体に活気が戻ってきた。
しかし、アザリアの心は複雑だった。長期間の滞在で、メルベルとの関係は改善されるどころか、より微妙なものになっていた。毎日顔を合わせながらも、本当の意味で話し合うことはなかった。
四週間目の最終日、ようやく全ての浄化作業が完了した。
「ありがとうございました、巫女様」
村人たちが口々に感謝を述べた。報酬も、これまでで最も豊かなものだった。
「これで安心して家畜を育てられます」
村人たちに見送られながら村を出た時、アザリアの足取りは重かった。一月近い滞在を経て、彼女とメルベルの関係は出発時よりもさらに悪化していた。
宿場への道すがら、二人の間に会話はなかった。長期間の緊張が、ついに限界に達しようとしていた。
「食事のことは…ありがとう」
メルベルがぽつりと言った。
「別に」
アザリアは素っ気なく答えた。
「でも、おかしいと思わない?あなたがあの村を守ったのに」
「守った?」
メルベルが振り返った。
「野盗を殺しただけだ。それも、あんたが嫌な顔をするような方法で」
アザリアは返す言葉がなかった。確かに、彼女はメルベルの殺戮に嫌悪感を抱いた。そして一月間、村人たちの偏見を黙って受け入れ続けた。
「私は…」
「何も言うな」
メルベルが遮った。
「明日にはニップルに着く。そうすれば、もっとマシな護衛を雇えるだろう」
「そんなこと言わないで」
アザリアの声が震えた。
「私は、あなたに…」
「何だ?」
メルベルの視線が厳しい。
「…感謝してるの」
「感謝か」
メルベルは苦笑した。
「ならそれでいい。俺のことは気にするな」
「ちょっと待ちなさいよ」
アザリアの声に怒気が込められた。
「その、いじけたような態度はやめてもっと堂々としていたらどう?」
メルベルが振り返った。
「何だと?」
「野盗の時もそうだけど、何でもかんでも他の人が悪いという言い方は感心しないわ」
アザリアの目に強い光が宿った。
「確かに世間の目は厳しいかもしれないけれど、それを全部人のせいにするのはどうかと思うの」
「あんたに何がわかる」
メルベルが反発したが、アザリアは怯まなかった。
「わからないわよ。でも、あなたがそんな卑屈な態度でいる限り、誰も尊敬なんてしてくれないじゃない」
「卑屈だと?」
「そうよ。私だって最初は没落した家の娘だって馬鹿にされてきたけれど、そんなこと気にしていたら何もできないもの」
アザリアの気迫に圧倒され、メルベルは言葉に詰まった。
「それに」
アザリアが続けた。
「あなたは優秀な戦士なんだから、もっと誇りを持つべきよ。異教徒だからって何なの?あなたの実力は本物でしょう?」
メルベルは暫く黙っていたが、やがて深いため息をついた。
「…確かに、その通りだ」
「わかればいいのよ」
アザリアは少し満足そうに頷いた。その態度には、これまでの謙虚さとは違う、生来の傲慢さが垣間見えた。
メルベルがまたため息をついたとき、アザリアが鋭く睨んだ。
「何?」
「いや、なんでもない」
メルベルは苦い顔をして慌てて答えた。
「ただ…疲れただけだ」
「そう」
アザリアは短く答えて、自分の荷物を整理し始めた。
「ところで、ニップルまでまだ数日かかるのよね」
「ああ、そうだな」
メルベルは複雑な表情で答えた。一月間の緊張に加えて、今度はアザリアに言い負かされた疲労感が重くのしかかっていた。
話し合いというよりは、完全に言い伏せられた形だった。アザリアの気の強さの前に、結局は折れてしまった自分に、メルベルは何とも言えない複雑な感情を抱いていた。
一人残されたアザリアは、メルベルを言い負かしたことに満足していた。




