第二話「悪夢と予兆」
# 第二話「悪夢と予兆」
## 夜明け前の悪夢
メルベルは夜明け前に目を覚ました。またあの夢だった。
汗が背中を伝い、呼吸が浅く速い。枕元に置いた剣に手を伸ばし、柄を握りしめることで、ようやく現実に戻った実感を得る。これが、ここ数ヶ月続いている日課であった。
夢の内容は毎回同じだった。
闇に包まれた世界で、腐った甘い香りが立ち込めている。人々は微睡の中に縛り付けられ、現実を忘れて夢の中でもがいている。そして、その中心に君臨するのは、正体不明の魔王であった。
微睡の魔王。
それが、夢の中でメルベルが感じ取った、その存在の名前だった。人々を腐敗した甘美な夢に閉じ込め、生命力を吸い取り続ける、最悪のアンデッドである。
そして、その夢の中で、メルベルは常に魔王の側にいた。
剣を構え、魔王を守るように立っている自分。魔王に襲いかかる勇敢な戦士たちを、次々と斬り倒している自分。長年アンデッドと戦い続けてきた闇の戦士であるはずの自分が、なぜか最悪の敵の手先となっている。
「なぜだ」
メルベルは呟いた。声は掠れ、部屋に虚しく響く。
メルベルの一族は、代々アンデッドと戦う使命を負っていた。
法力使いと呼ばれる古代武術の中でも、特に闇の力に対抗する技を継承してきた血統である。炎に似たオーラを纏い、アンデッドの邪悪な力を浄化する。それが、闇の戦士としての誇りであり、存在意義であった。
父も、祖父も、その前の代も、皆アンデッドとの戦いで誇り高く命を落としている。世界を守るために、己の命を捧げて戦った勇敢な戦士たちだった。メルベルは幼い頃から、いずれ自分もそうなるのだと信じて育った。
しかし、現実は違った。
法石技術の普及により、アンデッドはもはや恐るべき脅威ではなくなった。闇の戦士の技も、時代遅れの遺物でしかない。メルベルは一族の最後の生き残りとなり、今は街の裏社会での汚れ仕事で糊口を凌いでいる。借金取りの用心棒、密輸業者の護衛、時には盗賊まがいの仕事。先祖たちが命を懸けて守った正義とは、正反対の生き方だった。
「情けない」
メルベルは自分を罵った。父なら、祖父なら、こんな生き方は決して選ばなかっただろう。
そして、その情けない現在の自分が、夢の中では魔王の手先となっている。先祖代々守り続けてきた使命を、完全に裏切っている自分。夢から覚める度に、メルベルは先祖たちに対する申し訳なさで胸が締め付けられた。
「俺は、誇りを取り戻して死にたい」
メルベルは窓の外を見た。夜明けが近い。今日もまた、汚れ仕事を探して街を歩き回る必要はない。昨日の巫女との契約があるからだ。
聖地巡礼という自殺行為に同行することで、自分も死ねる。しかし、それは単なる死ではない。巫女を守るという使命を果たしながらの死である。たとえ生き方は情けなかったとしても、せめて死に方だけは先祖たちに恥じないものにしたい。
そうすれば、悪夢で見た未来も回避できるかもしれない。魔王の復活を手助けしてしまう前に、誇り高い戦士として死んでしまえば良いのだ。
あの巫女も、おそらく同じような絶望を抱えているのだろう。没落した名門の娘として、プライドを保ったまま死にたいと願っているに違いない。だからこそ、互いに惹かれ合うものがあったのかもしれない。
闇の戦士の血統には、もう一つの特殊な能力があった。予知夢である。
夢で見ることは、必ず現実となる。それが、一族に代々伝わる言い伝えであった。メルベルの父も、自分の死を夢で見てから戦場に向かい、その通りに戦死した。祖父もまた、同様であった。
だからこそ、メルベルは深く苦悩していた。
予知夢が現実になるということは、自分が魔王の手先になってしまう可能性が高いということだ。夢の中の自分は、確かに魔王を守ろうとして戦っている。まるで、それが正しいことであるかのように。
「あってはならないことだ」
メルベルは拳を握りしめた。どのような理由があろうとも、闇の戦士が魔王の手先になるなど許されることではない。それならば、そうなる前に死んだ方がましである。
東門で待っていると、アザリアが現れた。巫女装束に身を包み、小さな荷物を背負っている。その顔には、昨日と同じような諦めの表情が浮かんでいた。
「おはよう」
アザリアの声は静かだった。
「おう」
メルベルは短く答えた。
二人は無言のまま街を出た。聖地までの道のりは長い。途中で野盗に襲われるかもしれないし、魔物と遭遇するかもしれない。そもそも、聖地そのものが危険な場所である。
しかし、メルベルにとって、それらはもはや重要ではなかった。
この旅で誇りを取り戻して死ねれば、それで良い。巫女を最後まで守り抜いて死ぬことができれば、闇の戦士としての最後の使命を果たせる。悪夢で見た未来も回避できるだろう。
隣を歩く巫女も、おそらく同じような絶望を抱えているのだろう。
二人の絶望的な旅が、こうして始まった。




