第十五話「傷と羞恥」
沼地から這い上がってきたメルベルは、アザリアが駆け寄る前に突然行動を起こした。
防護服を慌ただしく脱ぎ捨て、その下の上着も素早く脱いでしまう。腐食液が付着した箇所を確認する必要があったのだ。
アザリアは驚愕した。
神殿育ちの彼女にとって、男性の上半身を目にする機会など皆無に等しい。ましてや、戦士として鍛え抜かれた筋肉質の肉体など、想像したこともなかった。
(なんということを)
慌てて視線を逸らそうとするが、好奇心が勝ってしまう。横目でちらりと様子を窺うと、メルベルの背中や腕には無数の古傷があり、今回の戦闘で負った新しい傷が赤く腫れ上がっているのが見えた。
メルベルは水筒から薬品を取り出し、傷口に注いで洗い始めた。腐食液の毒素を中和するための応急処置である。薬品が傷に染みるのだろう、顔をしかめているが、声を上げることはない。
(やはり生き残ったか)
メルベルの心には、奇妙な諦念が漂っていた。またしても死ぬ機会を逃してしまった。あの化け物との戦いで命を落とせれば、先祖たちのように誇り高い最期を遂げることができたのに。
傷の手当てを終えると、彼はのろのろと服を着始めた。動作には、戦闘の疲労と心の重さが表れている。
「よし」
一言呟いてから、メルベルはアザリアの方を向いた。
「じゃあ、あとは巫女の仕事だ」
彼の声には、いつもの素っ気なさに加えて、微かな空虚感が混じっていた。
アザリアは慌てて視線を正面に戻した。頬に薄い赤みが差している。
「は、はい。分かりました」
「沼地の浄化ができるか?」
「やってみます」
アザリアは努めて平静を装いながら答えた。しかし、胸の鼓動が普段より早いのを自覚している。
二人は再び沼地に向かった。メルベルが倒したアンデッドの残骸が、黒い泥の中に沈んでいる。辺りの悪臭は相変わらずだが、先ほどまでの不気味な呻き声は聞こえない。
メルベルは沼地の縁に腰を下ろし、黙って見張りを始めた。アザリアの仕事に口を出すつもりはない。ただ、周囲に危険がないか監視するだけである。
アザリアは一人で沼地の中央に向かって歩き始めた。足元の泥は不安定で、一歩ごとに悪臭が立ち上る。
(集中しなければ)
しかし、どうしてもさっきのメルベルの姿が頭から離れない。あの傷だらけの背中、鍛え抜かれた腕の筋肉、そして何より、彼が見せた孤独そうな表情。
(私は何を考えているの)
アザリアは自分の心の動揺を叱りつけた。今は浄化の仕事に集中すべき時である。
沼地の中央で、アザリアは両手を前に伸ばした。聖火の力を呼び起こし、この汚染された土地を清めなければならない。
メルベルは遠くからその様子を見守っていた。彼の心には、まだあの奇妙な諦念が残っている。
(また、しばらくは生きることになるのか)




